年行く/「御書とともに」63/No.785・2011年(平成23年)12月31日(土)
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■ 大晦日・大晦。(1年の終りの日)。
月末のことを晦日 ・晦と言い、年末の最後の晦日なので大晦日・大晦という。
「みそか」は三十日の意、「つごもり」は月篭りが転じたもので、旧暦では毎月1日が新月であり、その前日を「つごもり」と呼んだ。
■ 除夜(大晦日の夜のこと)。
かつては一年の神「歳神」を迎えるために朝まで眠らずに過ごす習慣があった。
除夜には各家庭で年越し蕎麦が食べられ、寺では除夜の鐘が撞かれる。
除夜の鐘は108回撞かれる。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類、この18類それぞれに浄・染があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされている。
o☆:*:.♪今朝の一句♪o☆:*:。
ゆく年や山にこもりて山の酒
三好達治
行く年の水ひろがりて空映す
宮津昭彦
行く年の後ろに就いて行きにけり
相生垣瓜人
※ 行く年(行年、ゆく年、年ゆく、年行く、逝く年、年逝く)・年惜しむ・年の内・年の暮・年用意・極月・年歩む・年移る・年送る・年守る
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学会は「師子王の団体」【「御書とともに」63】
【聖教新聞・2011/12/25(日曜日)】より転載
http://www.seikyoonline.jp/
∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪
名誉会長が指針を贈る
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学会は「師子王の団体」
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師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきをひ(勢)を出す事は・ただをなじ(同)き事なり、日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子王奮迅之力」とは是なり(経王殿御返事、1124頁)
∞…♪…★…κ…∞…♪∞…♪
【通解】
師子王は前三後一といって、蟻を捕ろうとする時にも、また猛々しいものを捕ろうとする時も、勢いを出すことは全く同じである。日蓮が、守護の御本尊を認めてさしあげるのも、この師子王の姿に劣るものではない。法華経に「獅子奮迅之力」(涌出品第十五)とあるのはこのことである。
【同志への指針】
どんな小さなことにも、手を抜かない。決して油断をしない。真剣勝負で臨む。そして、すべてを勝ち抜いていくーーここに師子王の真髄がある。
学会は「師子王の団体」だ。我らの題目の音声こそ、一切の障魔を打ち破る師子吼である。智慧と勇気を湧き出す、絶対勝利の源泉なのだ。
【聖教新聞・2011/12/25(日曜日)】より転載
http://www.seikyoonline.jp/
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■ 大晦日・大晦。(1年の終りの日)。
月末のことを晦日 ・晦と言い、年末の最後の晦日なので大晦日・大晦という。
「みそか」は三十日の意、「つごもり」は月篭りが転じたもので、旧暦では毎月1日が新月であり、その前日を「つごもり」と呼んだ。
■ 除夜(大晦日の夜のこと)。
かつては一年の神「歳神」を迎えるために朝まで眠らずに過ごす習慣があった。
除夜には各家庭で年越し蕎麦が食べられ、寺では除夜の鐘が撞かれる。
除夜の鐘は108回撞かれる。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根のそれぞれに苦楽・不苦・不楽があって18類、この18類それぞれに浄・染があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、これは人間の煩悩の数を表すとされている。
o☆:*:.♪今朝の一句♪o☆:*:。
ゆく年や山にこもりて山の酒
三好達治
行く年の水ひろがりて空映す
宮津昭彦
行く年の後ろに就いて行きにけり
相生垣瓜人
※ 行く年(行年、ゆく年、年ゆく、年行く、逝く年、年逝く)・年惜しむ・年の内・年の暮・年用意・極月・年歩む・年移る・年送る・年守る
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学会は「師子王の団体」【「御書とともに」63】
【聖教新聞・2011/12/25(日曜日)】より転載
http://www.seikyoonline.jp/
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名誉会長が指針を贈る
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学会は「師子王の団体」
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師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきをひ(勢)を出す事は・ただをなじ(同)き事なり、日蓮守護たる処の御本尊を・したため参らせ候事も師子王に・をとるべからず、経に云く「師子王奮迅之力」とは是なり(経王殿御返事、1124頁)
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【通解】
師子王は前三後一といって、蟻を捕ろうとする時にも、また猛々しいものを捕ろうとする時も、勢いを出すことは全く同じである。日蓮が、守護の御本尊を認めてさしあげるのも、この師子王の姿に劣るものではない。法華経に「獅子奮迅之力」(涌出品第十五)とあるのはこのことである。
【同志への指針】
どんな小さなことにも、手を抜かない。決して油断をしない。真剣勝負で臨む。そして、すべてを勝ち抜いていくーーここに師子王の真髄がある。
学会は「師子王の団体」だ。我らの題目の音声こそ、一切の障魔を打ち破る師子吼である。智慧と勇気を湧き出す、絶対勝利の源泉なのだ。
【聖教新聞・2011/12/25(日曜日)】より転載
http://www.seikyoonline.jp/
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