和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

福光(三十四)新・人間革命

2011年10月12日 08時33分45秒 | 今日の俳句
    新・人間革命

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    福 光(三十四)

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 一九五七年(昭和三十二年)の六月末、山本伸一は、北海道にいた。夕張で炭鉱労働組合が、学会員を締め出すという暴挙に出たことから、信教の自由と会員の人権を守るために、北の大地を奔走していたのである。


 文京支部では、六月二十九日、組長会を開いた。七月の活動への出発の集いである。


 ここには、支部長代理の伸一から、電報が届いていた。一班十世帯の弘教達成を呼びかけ、この戦いを「一班一〇闘争」と名づけることを述べた電報であった。


 支部の組長会を受けて、日本橋地区では、島寺丈人地区部長が出席して、福島県の小名浜で、浜通り在住の地区員が集い、決起大会が行われた。


 会場は、地域で最も早く入会した、雑貨店を営む福本輝代の家であった。会合の途中、文京支部長の田岡金一から島寺に電話があった。日本橋地区の浜通りの同志に、伸一が伝言を託したのである。


 島寺は、感無量の面持ちで、声を震わせながら、その伝言を発表した。


 「“一班一〇闘争”は、断固、勝利しよう。そして、戸田先生の大誓願である七十五万世帯達成の一大推進力となろう。また、北海道での闘争が終わったら、帰りに、浜通りの磐城に寄らせていただきます」


 集った同志は、喜びに沸き返った。


 伸一が、磐城に寄ろうとしたのは、炭鉱で働く同志を、力の限り励ましたかったからだ。福島の炭鉱でも、学会員へのいやがらせや、折伏の禁止など、組合による不当な締め付けが行われていたのだ。


 彼は、炭鉱で働く福島の同志を思い、“負けるな! 負けるな!”と心で叫び続けながら、北海道を駆け巡っていたのである。


 「人間がいちど自分の目的を持ったら、貧窮にも屈辱にも、どんなに強い迫害にも負けず、生きられる限り生きてその目的をなしとげることだ、それが人間のもっとも人間らしい生きかただ」(注)――阿武隈の山並みを愛した作家・山本周五郎は綴っている。




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(聖教新聞・2011/10/10)より転載」
http://m.seikyoonline.jp/top/top?t=805&sk=377037b65d04f4e970507bffe8ed9125


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