オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

メディア洗脳猿と現場獣の2極化

2024-01-19 10:42:57 | 身体障害者でもやる介護

 

 

 ・・・真冬並みの寒さだね~

 ・・・いまは真冬だが?

 こういう季節感のない馬鹿馬鹿しい会話は多い。

 バイクで朝・夜に走り回ってる俺は、完全防寒な姿でバイクに乗っているが、今年はヒーター付グローブを用意したが、気休めにはなっている。

 凍てつく寒風の中をバイクで走るのは、腰痛が治りかかってる身にはなかなかに姿勢を正して気合が要る。

 銀座で50年60年という永きを過ごして来られた80代後半の高齢の自営業者もあちこちに健在で現役だが、皆さんこの冬の寒さは堪えると、トボトボと街を歩かれている。

 足元がおぼつかないが、身内でも他人でも仕事は任せない、これが実情だろうな。

 老いはその人の生きて来た日常の総決算のようでもあり、自営の極意でもある。

 そのまんま行き倒れになるまで自営を続ける意志だけがある。

 キレイにポックリ逝くなら、それがエエんやで。

 

 コロナで儲けておった大病院が、勘違いした横柄で乱暴な医療で敬遠されつつあるが、これは田舎でもおなじことで、そんなメディア戦略だけで儲けていた大病院を他人事で凄いな~と見ていた高齢者が、いざ救急で運ばれて行って、その医療とも言えない酷い守銭奴ぶりに愕然とする、こういうことが多くなっている。

 ・・・コロナのワクチンは、あんたが最初から言っていた通り、嘘だったのか?

 気が付くのが遅いが、当たり前、そういうことだな。

 ワクチンうったからインフルエンザや感染症に罹らなかったのではなく、そうであるならばナニもしなくても罹らなかったと言う話。

 宗教とおなじで弱い心の拠り所を求める猿だけが、自意識過剰さを利用されてる。

 腰椎が何か所か老朽化してしまった89歳の爺様が、いまそんな感じだ。

 動けなくなってるから他の臓器不全になる怖れがあると警戒していた通り、朝方に息苦しくなって救急搬送されて、その訳を聞いてまた笑うしかなかった。

 腰痛でトイレに行くのが面倒だからと、水分を摂らないで我慢しているうちに、腎臓がおかしくなり肺に水が溜まり、持病の心臓も衰えてしまってのことだ。

 コロナで儲けた大病院は、あくまでも今後も色んな金儲けに繋げようとマニュアル通りの対応を始めて、医師らが無知な老人を脅して囲い込みを始めている。

 すべてお見通しの動きだから、ケアマネージャーと連携して、在宅医療をあくまでも考えていると、今現在の救急医療はお願いするが後のことは自分たちで考えてあると、大病院の言う今後の対応は丁寧にだが拒否しておいた。

 間抜けな患者を医療漬け、メディア奴隷を薬漬け、そんなマニュアルが存在する訳で、あなた方が英雄視していた連中が実は大悪党だったと、気が付けばまだ増しなほうだぜ。

 それぞれがそれぞれの日常で、痛い目に遭うまでは変わらない、これが猿な日本人さ。

 自業自得とは言っても、笑えない惨状がやって来てる。

 次は呑気に笑っているあなたの身やあなたの身内に、厳しい現実がやってくるさ。

 群れの中で安穏と衆に従って何事もなかったのは、ただただ運が良かっただけだぜ。

 これからは個々人が受けた現実の尻拭いを個々人がやらなければいけなくなる。

 世界でもお笑いの日本人、大騒動はこれからだ。

 在宅医療の為の自宅の改造はすでに始めている。

 俺が暇な時間を使っては片道1時間走って、大工仕事を始めている。

 その間も患者の容態は刻々と変化して行くが、やれることは無駄になろうともやっておく、これが大事。

 ケチで勿体ないとか、こういう場面ではいっさい言わない。

 公共のサービスもすべて利用させてもらってる。

 病院や医師の医療行為や患者の無知や高齢者の甘ったれた生き様に腹が立つことは多いが、淡々と、進めている。

 

 テレビや新聞を、物事が起きたことを知る単なる情報網として見ているのならば結構だが、その解釈や感情誘導、説明や話の持って行き先にまで入って行ってると、そりゃ~単細胞な猿は言われるがまんまの思考と感情移入で行動まで管理される。

 ボ~っと見ている暇人らの、浅はかな日常は、これから社会という枠組みが崩れ落ちて行く中で、どうなってしまうのか?

 考えるだけで、ゾッとするわい。

 

 本業の仕事もイロイロと忙しくなって来ている。

 昨日は88歳の独り暮らしの婆様の通院に付き合って、色んな話を担当医としてきたが、今の高齢者たちは見栄や体裁が老いても凄いのが多くって、自分は!自分は!と、とてもじゃ~ないが素敵な老人ではなくなっている。

 その生きて来た自意識過剰な日常が、すべて老いて露呈しているような哀れなことよ。

 昭和の時代から、サラリーマンや公務員には、幸せな時代が長過ぎたんだろうよ。

 その意味は、現場で介護をあちこちでやってると解ることだが、貴方任せで生きてる連中は、またまた同じ高齢化をして行くんだろうが、その時代はもっと厳しい扱いを受けることになるだろう。

 甘っちょろい話だが、劣化している日本人には仕方の無いことでもある。

 

 


老いに寄り添い老いて笑うわが身

2024-01-17 11:27:29 | 銀座の周旋屋

 

 

 大企業サラリーマンや公務員という個性の要らない猿回しの猿だけ優遇されてる職業に就いている人たちは、良い思いをさせてやってるんだからと口封じを先にされているようなもので、いずれ本人は誤魔化し誤魔化し生き伸びたとしても、子や孫の代ともなれば悪臭放つ生ゴミとして捨てられることすら気が付かず、刹那の良い思いに没頭して涎を垂らしている。

 群れていれば安全? 少なくとも日本人の止まらない劣化の原因はそこにある。

 目先の我欲に憑りつかれて大事な時間を浪費している現代人は、その生の終わりに味気の無い無味無臭でスローな時間の中で、ナニを想うのだろうか?

 人為的に作られた飼育ペットの部屋で、医療だの介護だのとマニュアル漬けにされ、個性もナニもすべてを踏みにじられて、燃えるゴミとなるのを待っているだけ。

 

 高齢の親や爺婆を病院や施設に預けて安心して、顔を出す事だけが孝行になってしまってる現代社会では、寂しさの中でボケや認知症となって表情も失われてしまった老人には、もはや自己主張の方法すらなくなって、目の前にたまにやって来る子や孫の乾いた自己満足の笑いに薄ら寒さすら覚えて、無表情に老いを演じるだけ。

 思い出すのは子育てを貴方任せにして身勝手に過ごしていた自分の若い日のこと。

 老いてそれを自らが経験するとは、溜息すら出ることもない絶望の終活、自由を奪われて拘束された軟禁部屋の窓から見える景色に、早く死にたいとばかり願う己の憐れさに呆然と過ごす。

 もはや全てが手遅れの詰み、子を生むのが親の仕事、楽しく遊んで教えて見せて育てることは貴方任せ、そうして老いてくればまた心許す話相手すらおらずの貴方任せの日々、ただただ死を願うだけの自らを顧みて、自業自得の番号札を握りしめる。

 これが日本だ、日本人の生の今だ、それで良いのか? すら、問い掛けは無い。

 朝から深夜まで孤独な部屋で繰り返し襲われる愁傷感の中で、堂々巡りの後悔はいつもおなじ場所へと帰って行く。

 ・・・園の決まり事に従いなさい、先生の言う事を聞きなさい、学校の命令には服從しなさい、先生には無条件で平伏するんだ、決して逆らって孤立しないように・・・と、良い悪いではなくオオムのように繰り返すことが親の教育だと思っていた。

 貴方任せにした悔いは、もっと我が子との時間を濃密にしてやれば良かった、もっと我が孫と遊んでやって生きる笑いを伝え、もっと個々の違いを育て守ってやれば良かったと、貴方任せの日常でぼんやり想うこと。

 その後悔が自らの老いた身体に戻って来ているだけだと、死を待つだけの部屋で霞がかかって、じきに養豚場の豚のように順番を待っている自分すら忘れ果てている。

 これが生きること? これが当たり前の人間の生? これでナニも問題はないの?

 すでにそんな問い掛けすら、誰もかけてはくれず、自分の生きた時間の中身の無さに愕然とする思いすら、じきにすべて無感情な死への怖れだけに凝縮される。

 なんか違うんじゃ~ないのか?

 

 俺は自分の子供たちには、時間のある限り山や海で一緒に遊び呆けてこの手で育てあげ、老いた親や義理の親や他人の親でも、関わり合いのある高齢者たちならば最期まで笑いながら話しこんで、どんなに疲れ果てておっても顔を出して時間を作り、出掛けたり食べたりおなじ景色を見て笑ってやれる時間を作っている。

 若い時分は親の世代に背中を向けて生きて居たが、今の高齢者たちとおなじことはせず、キチンとこう生きるんだと見せてやっている。

 都会の現代社会では奇異なことだと言われても、生命の重さだけを背負う愉しみを、満喫したいと生きている。

 ナニが大切なものなのか? それだけだろう。

 だからと言って子や孫に世話になるつもりはない。

 自分の終わり方は、すでに考え終わって準備も終わっているがな。

 自分の生を満喫するために、こう生きて居る。

 

 今日は90歳を前にした動けなくなりつつある高齢者にケアを付け、日常生活を一気に大転換させる打ち合わせを始めている。

 それぞれの段通りや指示は俺がすべてやって、後は近い近親者に任せて現場を模様替えさせ、暮らし方を一気に変える。

 高齢者世帯には、高齢者世帯に合った暮らし方というものがあり、その地域ごとに利用できるモノはすべて情報を集めて、その中から作り上げて行く。

 もちろん、在宅で大往生させるのが目的で、そういった話も先に各々の携わってくれる人たちにはキチンと話してある。

 手助けをお願いする形で、責任を負う主はあくまでも俺であったり近親者でという立場で笑いながら始めて行く。

 高齢で、持病を持ち、激しい運動をしたこともない者が動けなくなると、一気に命の灯が怪しくなるから、その準備と覚悟もみなで共有しておく。

 明日は早朝から88歳の山の手独り暮らしの婆様を送迎して、都内を抜けて眩暈の外来に連れて行き、帰路、89歳で元気いっぱいな俺んとこの婆様も拾って、なんか気分転換に昼飯を食うつもりでいる。

 いつ、仕事をやっているのか? という、激しい日常がまた今年も始まってる。

 


現実の社会を生きるには経験だけ

2024-01-15 11:07:57 | 身体障害者でも、介護と看護の日々

 

 

 資本主義社会の大原則は、作っては壊す、壊しては作る、この繰り返しだが、大きな戦争になると一気に大きな再生という大儲けが出来た訳だ。

 誰が、その動きで、一番に儲けて良い思いをしているのか? を見て居ればすべてのインチキは解る。

 我が国も米・英に玩具にされて踊らされた敗戦によって、高度経済成長と銘打ってただの復興・再生を喜々として受け入れていたが、生活は楽になったが、オツムは空っぽになってしまい、止められない社会が暴走を始めている。

 日本国民のタンス預金や持って蓄えている現金を使わせるには、投資や運用で一斉に吐き出させようと国家を上げて動いていた方策が、島国のミミッチ~原住民には叶わず、難しいと解ると誘発させた自然災害を利用したり、事件や事故を人為的に起こす、資本主義社会を歪ませた猿の我欲にはキリがなく、生産と消費ではなく、戦争と破壊でもなく、人為的な自然災害を装った破壊と消費という形を遂行するようになっている。

 なんでも良いのさ、壊して楽を失わせれば、楽を求める需要が生まれる。

 平和ボケした国民性に合った方策を、日本では続けている。

 ウクライナや中東では、まだまだ軍事行為によって破壊が進んでいる。

 誰がそれで儲かるのか? を見て居れば良い。

 

 警察官や病院や介護施設で働く人たちにも懸命に他人や社会の為にと動き回っている人たちは多いが、それが現場で報われず、仕事も出来ない癖に組織や外部の上層団体のコネや力を利用して、私利私欲で蠢く猿や2世3世の猿回しの猿らだけが良い思いをして無茶苦茶なことを続けて来た報いは、社会崩壊まで行かなければ再生など出来ない。

 その時に微動だにしない自分を作っておらなければ、一緒に淘汰されてしまう訳だ。

 周旋屋は現場でしか生きてはいないから、メディアの報道なぞなんの興味もないし、流れが解れば罠を仕掛けておくだけで商売にはなる。

 

 この国の正義や正論、模範解答というモノは、常にメディアによって集団洗脳・煽動される形で作られているのは昭和の頃からだが、それを指揮して植民地管理を続けている米・英がその色んなメディアの後ろにはいる。

 現場は縦割り社会の雲の上、姿の見えない雇用する側からの指示どおりに、優等生に動くように教育は行き渡っている。

 これが英・米による日本管理の仕組み、幼児教育・義務教育・偏差値至上教育という確固たる価値を社会の根本に置いている意味でもある。

 キチンと教えられた模範解答を生きておれば、優遇され、他よりも儲かるという、ミミッチ〜安物の餌に群がる日本人が大多数だろう。

 東大や京大や東京芸大を出ていたって、ロクでもね~のばかりだったのが俺の家の爺さん3兄弟だったが、皆さんはそんな名称を聞くだけで優秀だと勝手に思ってしまう軽いオツムに染められている。

 頭で理解は出来ても、日常はベルトコンベアの上にあるから、どうしようもない。

 米国大リーグの人気者の大谷が先日帰国して向かった先は、在日米大使の元だったが、米・英がメディアへの圧力をまだ維持している証拠でもある。

 その米国は国内が分裂に向かっているが、相対している複数の組織にそれぞれ良い顔をして貢ぎ続けていた日本は、グチャグチャにされ始めている。

 米・英管理の大メディアの力を借りて日本を我が物顔に蹂躙してきた勢力が、その大メディアから印籠を渡されているのに受け取りを拒否している景色は、今の世界の価値の大転換そのものだが、違うのはその守ろうとしている中身がセコい我欲に取り憑かれた猿の抜毛ばかり、すでに歴史に刻まれている醜い猿の面々は、最期までチンチクリンな赤い尻を晒して逝くしかないようだ。

 

 現代の教育は、大義だとか、大命題だとか、大枠だとか、その目的・理想というものを目先の我欲にまみれた枝葉末節に求め、そこで優劣を競っているだけの猿のオママゴト。

 共産主義・社会主義・民主主義に自由主義・・・なんのためにそれを分けてそれぞれの意義を勉強しているのかを忘れ果てている。

 単に目先の競争や争いだけで終始している学問・研究なんざ、猿の自慰でしかない。

 教えてやれば死ぬまでやってる薬物中毒・アル中もおなじで、ただの自慰。

 

 年末から治らない腰痛に気分は重苦しいまんまだが、先に酷い腰痛で動けなくなっている高齢者を連れて、腕が良いと紹介を受けた整形外科に車椅子を押して出掛けていたり、動けなくなることを想定して電動ベッドをケアに準備させたり、要介護の見直し認定を依頼したり、在宅医療も準備したが、無知・未経験な近い親族では園児の感情論ばかり、後手後手になる対応を続けている。

 老いた親は施設や病院に放り込みの貴方任せ、たまに顔を出しては身勝手な自己満足で終始する。

 皮算用の親の財産はいよいよ霧消し、貴方自身の老後は姥捨山への空身の登山か? 明日の我が身は猿芝居の舞台をも見るは叶わず、夢幻。

 眩暈とふらつきに悩む88歳の婆様を病院に連れて行ったり、買い物と気分転換をさせてやる独り暮らしの89歳の婆様を連れ出したり、他にもイロイロと野暮用はあり忙しい。

 俺が倒れたらどうするんだ? な状態だから、週末の雪山はお休みして姿勢良く階段を上り下りして歩き回る為に、江の島や鎌倉の古い寺や神社を一通りウロついていた。

 銀座の店を閉めて湘南や鎌倉、箱根や熱海に移住した自営の商売人も多いが、だいたいがじきに銀座に戻って来る訳で、だから知り合いの店に顔を出すことはなく、俺は俺の野暮用で忙しく歩き回って来た。

 相変わらずにナビはロクでもない道ばかりを推奨していたが、すべて自分の長年の経験というナビで走り回って、夜には姿勢良く戻って来た。

 今朝は腰痛も楽になって来てる。

 姿勢良く仕事をして、腹筋にも気をつけて、しっかり歩く、これが一番。

 ぶら下がれる棒があればぶら下がって背骨を伸ばし、脇を締めて重いザックを担いだように歩き、四股を踏む。

 暇さえあれば小魚の干物をカリカリとカジッてる。

 非常に解りやすいオヤジだ、と言われている。

 人間の身体は解りやすいのが本当で、自分にナニが必要かが解っていると、その通りを徹底する。

 それでも老いには敵わず、駄目だと判断したら良い医者の力を借りて、外科療法で対応するが、俺はまたまた自己治癒が上手く出来たようだろう。

 


医療に美容整形、治験モルモット

2024-01-12 11:27:17 | 銀座の周旋屋

 

 

 能登半島や新潟の度重なる地震被害、震源は深さ10キロ~20キロだとか、とても浅い場所になっていることは、どこのメディアも深堀りしない。

 これがナニを意味するのか? 地震学者が解らないわけないだろうが、メディアからはナニも流れない。

 ま~、出て来ても国民には本当のことは知らせないようにとするだろうし、被害を受ける視線そらしの原発を置いている意味もそこにある訳だから、どうしようもないね。

 

 イスラエルとハマスの激化した争いの落としどころは、ウクライナでも同じだが、米・英の支配から関係を断つ、そこまで道筋を作って幕引きをするんだろう。

 それ以外の報道・ニュースなんざ、単なるメクラマシ、世界の覇権は米・英の側からBRICS諸国の側へと渡って行く。

 その為の膿をキレイに出し切っているところだが、民間人は無残に殺戮されている。

 これが人間社会の実態で、その支配され続けた被害者の国々だったBRICS諸国の本気度は、生半可なものじゃ~ない。

 大きく世界は大転換をしていってる。

 

 年末から自分自身も長年の腰痛が酷くなっておって、それでも休まずに駆けずり回っているが、89歳になる爺様がおなじ腰痛で動けなくなり、コロナ解説で一躍有名になっていた大病院の整形外科に出掛けて行った。

 すでに都内の腕の良い整形外科を、古い馴染の引っ越し屋の社長に紹介されていたから、紹介状を貰うのと、痛み止めの薬をもらうことが最初からの目的だった。

 若い整形外科医はマニュアル通りの診察を始めていたが、途中からメンドクサクなったので俺のペースで話を進めて、有無を言わさずに紹介状を書かせ、今後の急な治療の対応も継続してもらうことを伝え、双方の病院で治療を確認し合う形にしておいた。

 セカンドオピニオンとは、医療従事者が互いを監視し合うような形にするのが良い。

 片方は信頼のおける医者、他方は大病院のマニュアル医療で良い。

 田舎なんかでは医者や病院の数が少なくて、一か所で代々世話になるということも多いが、俺の爺様もそうだったが、要らない薬や疾患も病歴も無いのに常用して飲まされていた薬やら、こっちに連れて来て解った呆れるような実態があった。

 患者を独占して、脅して洗脳して取り込んで玩具にする医療は多いが、医療行為とは常に経験と知識を備えた患者側が主導権を握っていなければ、キチンと受けられない。

 現代社会は性善説ではなく性悪説で生きる、俺なんかはガキの頃からずっとそうだ。

 病気や怪我の知識だけでなく、薬の知識も持っていなければ玩具にされる。

 その辺の内科医ごときでは、俺なんかはお話相手、最後は処方を頼む薬まで俺が指示して出してもらってる。

 強い薬や無理はさせず、自然に近い形で完治を目指す、癌ステージ4の古女房もそれで半年で根治までこぎつけた。

 老衰は仕方のないことだが、そうでなければやれることは色々とあるんだよ。

 

 予防医学なんぞという怪しいモノが幅を利かせて、健康食品やワクチンや栄養ドリンクなどと言う余計なお世話なモノも社会に氾濫している。

 俺にはいっさい不要なモノばかりで興味もないが、保険や保障とおなじで、万が一の為にと消費者を煽り上げる手法は、詐欺そのものだ。

 医療とは関係の無い美容整形なんて、人体実験をされて治験をされているような酷い状況になっているが、ワクチンとおなじでそれを受けて3年から5年後が、怖ろしいよ。

 これを取り締まらない国家は、国民の命を危険に晒して知らん顔ということになる。

 人間は本来、生まれて持っている自然免疫や自己治癒能力で生き、新しいウイルスや病原菌に襲われたなら即座に抗体を作って対抗しようとする能力も持ち合わせている。

 そんな人間本来が持っている自己治癒能力の邪魔をして、先に対抗する免疫と称して怪しいモノを体内に摂取・接種させるなんざ、ナンセンスそのものだ。

 キリが無い追いかけっこが始まるだけ。

 人間の獣界でのレベルも、地に堕ちたというしかない。

 なんでもかんでも人造・人工のモノでやり繰りしようと言う現代社会では、自然な健康なんて手に入るものでもない。

 お気をつけ、遊ばせ。

 

 健康食品や栄養ドリンクを飲んで暮らし、粉モノや水モノの楽な飲食品で元気になったような気分でいるお猿さんたちは、じきに骨粗しょう症や栄養失調が原因でいろんな病気に罹って行ってる。

 素材をよく噛んで食べる、食事・栄養摂取とはそういうものだ。

 ま~、たいして消費もしてない身体には太陽の光と空気と水だけでも充分なんだろうが、消費もロクにして無い癖に、今度は栄養を摂り過ぎて難病・奇病に罹ってる間抜けな現代人も増えて行ってるから、可笑しいのを通り越して、オツムは大丈夫ですか??

 

 旧統一教会の資金源になっていた政治家や官僚・役人、大企業経営者や学者に芸能人・芸能プロダクション・・・アメリカに貢ぎ、怪しい宗教に貢ぎ、この国はメディアも含めてやりたい放題、よくもま~国民も朝から深夜までネットに新聞・テレビに釘付けになっているもんだわい。

 安倍暗殺や旧統一教会・勝共連合・日本会議への解体指示は、バイデン政府から潰れそうだった岸田への命令として出ている訳で、それを遂行出来れば4月に国賓として呼んでやると言われている。

 資金源として関係していると言われていたジャーニーズ事務所や吉本や昭和の忘れ形見の宝塚にまで一気に圧力がかかっているのも、みなおなじ流れだ。

 反社会勢力ですら管理しているバイデン政府の命令には、背けないんだろうが、国内の反対勢力も黙っちゃいない。

 その途上で、もっと昭和の膿は出るだろうが、人身御供を用意して、それでチャンチャンにしたい動きを見ていると、どれもこれもアホウ臭い。

 時代はBRICS諸国が主流になる流れなんだがね~。

 

 高ければ良い、儲かれば良い、自分の生活が楽になれば他のことなどどうでも良い、身内や家族が幸せならそれだけで良い、こういう昭和から続く社会とは一線を引いて俺は生きて来ているが、30数年前の不動産バブルをそのド真ん中で謳歌して以降、自営を始めた時の俺の価値観だ。

 丁寧に、ジッと相手の目を見て、互いの想いを伝えるために日常を積み上げて行く。

 そこでも身勝手に自分の欲望の主張を一方的に続ける相手であれば、いずれ殺し合いになる相手やも知れずと、サヨウナラをして距離を置く。

 昭和の時代から、ゼニカネ絡みの世界で生きて来ると、そうなるのが当たり前だ。

 ゼニカネで人間の幸せが手に入ると錯覚して、人の温もりを誤解して、楽してキレイなだけの日常が目的だと勘違いして生きて居る現代人は、これから地獄を見るだろうよ。

 俺の関わり合っている世界では、ゼニカネ抜きの笑いが絶えない関わり合いが拡がって行ってる。


素敵な老いを夢見る、初心な大人

2024-01-10 11:17:02 | 地球と生きる

 

 

 月曜日に店のウインドーの図面掲示をすべて新装してやったが、2年くらい前に買っておいたモノだったから、両面テープの粘着力が弱くなっておって、翌日の朝に来て見ると、半分以上が落ちてしまっておって、商売やめたか? 夜逃げでもしたか? な殺風景な風情になっておった。

 急いで40枚近い掲示ファイルの両面テープを新しくして貼り直した。

 すでに京橋公園で早朝のラジオ体操に励んでいる連中から、店を閉めたのか? という皮肉まで頂いて、急いで貼り直した。

 キレイになった。

 

 自然災害が起きたら、怪しい宗教勧誘や占いに予言者と称する猿回しや、慈善事業や募金という名の金儲けが活発になるが、他人の不幸をチャンスと捉えるミミッチ~顔した地獄への使者は、先頭きって地獄へと堕ちる。

 俺がオストメイトになった時や、古女房がいきなり癌ステージ4を宣告された時にも、いまでは縁を切った身内の馬鹿者から怪しい商品を送りつけてきたことがあるが、すべてとっとと生ゴミで捨てたもんだった。

 営業とかセールスと称して、身内の者を勧誘するようになったら、もうその仕事は合ってないから辞めた方が良いんだが、借金まみれの愚かな猿らには解らない。

 この宗教を恃んだから救われた、この商品を恃んだから良かった、この教えのおかげで命拾いしたという話は幾らでもあるが、それらを全て無視したおかげで、今の俺はこうやって自由自在に笑っている。

 昭和の頃から陰湿に続く、近親相姦な島国のマルチ商売、終わらない無駄な時間の過ごし方だ。

 挙句に、子や孫や関わった者らは、本当の地獄へと堕ちて行く。

 腐るほど見て来ておるわいな。

 

 人間の歴史を見れば解ることだが、平和や安穏が普通なのではなく、この地球上で人間が生きて来た足跡にはいつも自然災害があり、宇宙や地球の変化に伴う環境の激変があり、そうして人間同士の争い・殺し合いがあるのが常態だと想っている。

 その常態に疲れ果てた人間が、一時の平和・安穏を求める。

 これは山登りとおなじで、その行程の7~8割は糞オモシロくもない大変なことばかり、大怪我・死にも繋がることも普通な場所で、そのほとんどはすぐに楽を求める自分と戦っている。

 人間の歴史で紐解くと、7割くらいは争いと殺し合い、大きな戦争ではなくとも、ひとりひとりが日常で戦っており、心休まる時などほとんど無いのが本当だろう。

 俺は人間のいない場所で、地球や宇宙を感じようとして毎週のように山や海へと出掛けているが、人間がいなくとも休息にはならず、いろんな危険に隣り合わせで生きて居る。

 休息は死んでからの話で、生きて居るうちは決して休めないのが本当だ。

 眠っているうちでも、心臓や臓器は刻々と動き続けている。

 だから緊張感が途切れた時が、終わる時だろう。

 平和や安穏とした時間を求める者がいれば、人工の災害は幾らでも起きてしまう。

 

 我が国の敗戦後の、産めや増やせやで大量に生まれた団塊世代は、兄弟姉妹が多くなってしまい、その親の老いや介護については長男・長女に任せっきりで、あとは調子の良い顔見せだけで呑気に生きて来た。

 その楽ばかりして来た報いが、経験したこともない自分の老いに戸惑い混乱し、医者や病院やメディアに振り回され、自分のことなのに玩具にされて、挙句に体力の急速な衰え老いに愕然としつつも、健康食品と薬でなんとかしようと優良消費者となり、周囲を巻き込んで悶絶する。

 これが現代社会の高齢化の実態だ。

 新聞・テレビにネットなどのメディアに煽動・洗脳され果てた猿は、見栄や虚栄で威張り腐って、高度経済成長だと勘違いし、良い格好をして、素敵な老後を夢見ていた訳だが、机上の解釈や能書きなど自分の醜く憐れな老いには通用しなかった。

 歩かないより歩いた方が良いが、その程度の運動でお茶を濁していたって、バランス良く老いることは叶わないし、急にやってくる老いと衰えには対応など出来ない。

 だらだら酒を飲む、ネットやテレビに釘づけ、自然の中で身体を鍛え続けることよりもマシントレーニングに健康食品や栄養ドリンク、楽して長生きを望んでいた報い、足腰の老衰が先に訪れて、寝たきり不愉快、その歳で自分に後悔したところで、もう手遅れだとすら気がつかない。

 なんとかならないか? なんともならないのが、すなわち老いるということだ。

 俺が身体に障害を負っても、毎週毎週、山に登ったり介護に走り回っているのは、仕事だけでは足腰が弱ると知っているからだ。

 どんな金持ちでも、財産をたくさん抱えていても、自分の足で動けなくなれば、どんだけゼニカネを積んだところで、それまでの楽に溺れた代償で、ナニも楽しいことなどなくなるわいな。

 あちこちで他人の何倍もの高齢者たちの介護をやっていると、俺は死ぬまで山登りは続けて、海で泳いでいたいね。

 キツイことが多くなったが、財物を持っていても哀れな高齢化をして行ってる老人たちを見守っていると、痛感することだな。

 死ぬに死ねない、社会の玩具にされて、楽を求めた報いで内蔵だけが健康でも、これは最悪の老いだと知るべきだ。

 AIロボットや仮想空間遊びの延長で人体のことを考えておっても、生身の人間はサイボーグではなく、理想の死に方や、素敵な老い、夢見るような幸せな話は、ある訳もない。

 株価や物価とおなじで、気が付くまでは夢見心地、その時になれば地獄の沙汰。

 猿の島国のお笑い劇場だな。