オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

素敵な老いを夢見る、初心な大人

2024-01-10 11:17:02 | 地球と生きる

 

 

 月曜日に店のウインドーの図面掲示をすべて新装してやったが、2年くらい前に買っておいたモノだったから、両面テープの粘着力が弱くなっておって、翌日の朝に来て見ると、半分以上が落ちてしまっておって、商売やめたか? 夜逃げでもしたか? な殺風景な風情になっておった。

 急いで40枚近い掲示ファイルの両面テープを新しくして貼り直した。

 すでに京橋公園で早朝のラジオ体操に励んでいる連中から、店を閉めたのか? という皮肉まで頂いて、急いで貼り直した。

 キレイになった。

 

 自然災害が起きたら、怪しい宗教勧誘や占いに予言者と称する猿回しや、慈善事業や募金という名の金儲けが活発になるが、他人の不幸をチャンスと捉えるミミッチ~顔した地獄への使者は、先頭きって地獄へと堕ちる。

 俺がオストメイトになった時や、古女房がいきなり癌ステージ4を宣告された時にも、いまでは縁を切った身内の馬鹿者から怪しい商品を送りつけてきたことがあるが、すべてとっとと生ゴミで捨てたもんだった。

 営業とかセールスと称して、身内の者を勧誘するようになったら、もうその仕事は合ってないから辞めた方が良いんだが、借金まみれの愚かな猿らには解らない。

 この宗教を恃んだから救われた、この商品を恃んだから良かった、この教えのおかげで命拾いしたという話は幾らでもあるが、それらを全て無視したおかげで、今の俺はこうやって自由自在に笑っている。

 昭和の頃から陰湿に続く、近親相姦な島国のマルチ商売、終わらない無駄な時間の過ごし方だ。

 挙句に、子や孫や関わった者らは、本当の地獄へと堕ちて行く。

 腐るほど見て来ておるわいな。

 

 人間の歴史を見れば解ることだが、平和や安穏が普通なのではなく、この地球上で人間が生きて来た足跡にはいつも自然災害があり、宇宙や地球の変化に伴う環境の激変があり、そうして人間同士の争い・殺し合いがあるのが常態だと想っている。

 その常態に疲れ果てた人間が、一時の平和・安穏を求める。

 これは山登りとおなじで、その行程の7~8割は糞オモシロくもない大変なことばかり、大怪我・死にも繋がることも普通な場所で、そのほとんどはすぐに楽を求める自分と戦っている。

 人間の歴史で紐解くと、7割くらいは争いと殺し合い、大きな戦争ではなくとも、ひとりひとりが日常で戦っており、心休まる時などほとんど無いのが本当だろう。

 俺は人間のいない場所で、地球や宇宙を感じようとして毎週のように山や海へと出掛けているが、人間がいなくとも休息にはならず、いろんな危険に隣り合わせで生きて居る。

 休息は死んでからの話で、生きて居るうちは決して休めないのが本当だ。

 眠っているうちでも、心臓や臓器は刻々と動き続けている。

 だから緊張感が途切れた時が、終わる時だろう。

 平和や安穏とした時間を求める者がいれば、人工の災害は幾らでも起きてしまう。

 

 我が国の敗戦後の、産めや増やせやで大量に生まれた団塊世代は、兄弟姉妹が多くなってしまい、その親の老いや介護については長男・長女に任せっきりで、あとは調子の良い顔見せだけで呑気に生きて来た。

 その楽ばかりして来た報いが、経験したこともない自分の老いに戸惑い混乱し、医者や病院やメディアに振り回され、自分のことなのに玩具にされて、挙句に体力の急速な衰え老いに愕然としつつも、健康食品と薬でなんとかしようと優良消費者となり、周囲を巻き込んで悶絶する。

 これが現代社会の高齢化の実態だ。

 新聞・テレビにネットなどのメディアに煽動・洗脳され果てた猿は、見栄や虚栄で威張り腐って、高度経済成長だと勘違いし、良い格好をして、素敵な老後を夢見ていた訳だが、机上の解釈や能書きなど自分の醜く憐れな老いには通用しなかった。

 歩かないより歩いた方が良いが、その程度の運動でお茶を濁していたって、バランス良く老いることは叶わないし、急にやってくる老いと衰えには対応など出来ない。

 だらだら酒を飲む、ネットやテレビに釘づけ、自然の中で身体を鍛え続けることよりもマシントレーニングに健康食品や栄養ドリンク、楽して長生きを望んでいた報い、足腰の老衰が先に訪れて、寝たきり不愉快、その歳で自分に後悔したところで、もう手遅れだとすら気がつかない。

 なんとかならないか? なんともならないのが、すなわち老いるということだ。

 俺が身体に障害を負っても、毎週毎週、山に登ったり介護に走り回っているのは、仕事だけでは足腰が弱ると知っているからだ。

 どんな金持ちでも、財産をたくさん抱えていても、自分の足で動けなくなれば、どんだけゼニカネを積んだところで、それまでの楽に溺れた代償で、ナニも楽しいことなどなくなるわいな。

 あちこちで他人の何倍もの高齢者たちの介護をやっていると、俺は死ぬまで山登りは続けて、海で泳いでいたいね。

 キツイことが多くなったが、財物を持っていても哀れな高齢化をして行ってる老人たちを見守っていると、痛感することだな。

 死ぬに死ねない、社会の玩具にされて、楽を求めた報いで内蔵だけが健康でも、これは最悪の老いだと知るべきだ。

 AIロボットや仮想空間遊びの延長で人体のことを考えておっても、生身の人間はサイボーグではなく、理想の死に方や、素敵な老い、夢見るような幸せな話は、ある訳もない。

 株価や物価とおなじで、気が付くまでは夢見心地、その時になれば地獄の沙汰。

 猿の島国のお笑い劇場だな。