オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

淡々と、言葉よりも呼吸で生きる

2024-01-03 10:50:39 | 神々の話

 

 

 年末・年始とは言うが、自分自身ですべてをオリジナルにして65年を過ごして来ると、いつもの昨日と今日の違い以外の意味などナニもない。

 あちこちの高齢者たちには、それぞれに意味があるようだから、ボケ防止のための習慣として好きにさせてやってるが、そこでも俺の価値観や生き方は話してやっている。

 掃除嫌いに大掃除の口実を作るために年末があり、切り替えが自分で出来ない馬鹿者のために盆や正月がある。

 暇をこいてる身勝手な与太公や、女・子供が悪さをしないようにと集合させてる祭りとおなじことだ。

 ただそれだけのことだ。

 無意味に自分で意味を作るのならばと、俺はその年に生き神様と生き仏として自らが入る白札を、毎年の閃きで古く修行を続ける神社に出向いて頂いてきて、店の神棚に置き、俺が入る儀式を笑いながらやっている。

 自営を始めて30年続けているから、その辺のハリボテの神や仏なぞ、生きて来た濃さや格が違うと笑って見守っている。

 恃むのは自分自身の魂に対してであり、願いは自分自身の日常の生き様に対してだけで、他にナニかを頼る想いは微塵もない。

 人間が地球上に誕生していらい、作り上げてきたあらゆる嘘と虚飾の数々を片っ端から壊し続けて、自分の生を使って実験しながら今日まで生きて来れたことが裏付けにある。

 これで65年を生きて来た。

 法話や薫陶や、能書きや又聞きや受け売り知識の吹聴を聴けば、その発している半端者の醜い素性が可笑しくなるだけ。

 お前さんたちよりAIロボットの方が確かだし、それより俺の方が積み上げてきた徳の中身が違い過ぎる、そう確信している。

 そうして死ぬまで浮浪して厳しい修行の手を緩めない訳だから、残念ながら寺や神社というモノに定住してしまってるウツケ者など敵う訳がない。

 同等はいても上はおらず、下は生きている場所が違うからおらず、ただ一匹で地球の大地に佇む、すべてがそういうことだな。

 

 北陸の地震速報を聞いたのは、房総半島の先っぽの方にいる時だったが、緊急速報のわざとらしいヒステリックな叫び声には、違和感を感じたもんだった。

 緊迫感とは異質な作り物臭いヒステリックだったが、自画自賛な賛辞がAIロボットの反応であちこちに流されていた。

 ただのマニュアルアナウンス、安っぽいヒステリックにしか聞こえてなかった。

 今年は初日の出ではなく、初夕陽を見に出掛けていた。

 自分の吉方位すら自分の直感で決めていつも生きているから、そういう動きになっていただけのことで、たいした意味などナニもない。

 去年の新年一日はオヤジが大往生して一ヶ月も経っていなかったが、おなじ方位で初日の出を見て、廃寺になりそうだった古い寺を引き継いでそこで修理保全に生きる方丈さんと、朝の檀家衆への新年挨拶の前の早朝に、寺の中を案内してもらって古い彫刻にホ~ホ~と笑い合って、畏まって檀家衆の前に立つ準備をする方丈さんに背を向けた訳だ。

 いつも構えず、予定や下準備や打ち合わせなどナニもなく、あちこちに出掛けては初対面を愉しむ、目を見て一瞬ですべてを読む愉しみは、俺の趣味ではある。

 恥ずかしい利害や下心がナニも介在しないから、すぐに幼馴染みのような空気になる。

 何処へ行っても、そんな感じ。

 自由自在、モノにこだわりがないから変幻自在、それを日常にしているから経験と知識はどんな会話でも入ってゆける豊富なもんで、そんな俺と向かい合って、苦手だと思う相手は心に弱い隠し事がある証拠。

 そう思うようになっている。

 正直で素直な子供や高齢者とばかり話し込むことが多いから、ニセモノや嘘はすぐに見抜いてしまう。

 来るものは拒まないが、去るものも追わず、その時が終われば、また何事もなかったかの如し。

 虚ろな現代人のように連絡先を教え合い、携帯電話番号を交わしたり、ライン友達になったりはせず、その時が終わればまた何事もなかったかの如し。

 いつもその時だけを大事に生きるには、余計な面倒や荷物をあらかじめ負うようなことはしない。

 だから借金や負債はビタ一文もたず、貸し借りも無し、自営の仕事でも同じことで、ベタベタなルートセールスなどはせずに、いつもその時だけの自由自在を愉しんでる。

 これで成約数の90%が紹介とリピーターになっておって、不思議でもないがいつも賑やかに充分に忙しいのだよ。

 年賀状や暑中見舞も、個人でも仕事でも、ハガキやメールでもいっさいしなくなって何年も経つが、用があれば直接に会いに行くことでナンの不自由もないわいな。

 

 ともに犯した犯罪が大きければ大きいほど、仲間意識や結束は強くなっていたのは、昔からある組織のまとめ方ではあるが、この国のメディアはその隅々まで共犯者としても関わっており、画面や紙面で流す美辞麗句や感動感傷物語は、延々とそれを隠すメクラマシのまんま、退屈な令和もそのまんま。

 優しい刑事と強面の刑事が猿芝居をやるようなもんで、水戸黄門も同じワン・パターンだったな。

 そんな猿芝居にいまだに心を動かしている日本人は、ちょっとね。

 

 色んな事が起きているのは、人間のせいなんかではなくって、地球や宇宙の鼓動が、激しくなっているだけのこと。

 それを企みに利用したり、それで怖れ慄いて、自らで狂い果てているのは弱い人間という獣の性で、それが連鎖するだけのこと。

 満月の夜に、命あるものすべてに欲情が迸るのは、宇宙の真理でもあるが、人間の世界では満月を見上げて吠える者は、どんどん少なくなって行ってるな。

 地球や宇宙の営みを、性悪な小虫の人間たちが利用しようが、恐れようが、じきに淘汰という、自己責任を負わせられるだけさ。

 なにをかいわんや。