オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

被害者だけの社会で加害者でいる

2024-08-24 08:25:01 | 身体障害者でもやる介護

 

 

 天然痘・猿痘ワクチンを製造・販売しているデンマークの医薬会社が、流行を予期して大量に生産をしておるが、日本はどのくらい買わされるのか?

 日本人の多くは、これを我先にと行列を作って頂きに参るんだろうな。

 菌をばら撒いて、その菌に効果があるというワクチンを作る、卵が先か鶏か?

 そこで接種するワクチンで自然免疫をまた破壊して、幾らでも金儲けは出来るね~。

 このワクチンは大丈夫! とほざく前に、ウイルス思考が本当なのか? 疑うべき。

 

 コロナ渦後の新しい生活というフレーズが流行っておったが、西村や加藤が先導して叫んでおった戯けた話。

 テレワーク? 自宅で仕事? 対人直接のコミュニケーションを避ける? それに乗る形で新しいビジネスがあちこちに出来たが、すでに敗残の兵になっている。

 触れ合って、向かい合って話して笑い合って、これ以上の人間社会での愉しみは無い。

 俺は演説やキレイゴトを吐く挨拶やは大嫌いだが、囁きだけは日常の愉しみになってる。

 

 ウクライナはゼレンスキーが自国民からボイコットされつつある。

 イスラエルはネタニヤフがどうなるかな?

 この頃の戦争や紛争は、その頭がのうのうとメディアで口攻撃し合っているが、昔は頭を狙って戦はやっていた。

 ただの残酷な見世物になっているようじゃ~、民は蜂起するのが当たり前だろう。

 戦争や紛争に、挙手・多数決の平和な民主主義なんて有り得ない。

 

 1年と8カ月前に俺のオヤジは93歳で眠るように自宅で大往生したもんだったが、国を信じ、NHKを信じ、新聞を信じ、真面目一辺倒の生涯を終えている。

 親の代から引き継いだ無駄だらけの家と旧習という亡霊を6人兄弟姉妹の長男ということでひたすら背負って守り、その為の出費で蓄えは底をついておったから、実家の公庫の残債は俺がぜんぶ肩代わりしてやってたこともある。

 田舎の山の上にある家の代々の墓碑と墓群の扱いに困り果てて、ワシがなんとかする! の一点張りで、結局はナニも出来ない状態だった。

 神頼み・仏頼みで宝くじを買うことくらいでナニが出来るのか? 笑って言ってやっていた。

 無駄に広い実家も古くなり、その修繕費を考えて、10年前から俺の店の近くに引っ越しなさいと誘っていたが、頑なに首をタテには振らなかった。

 5年くらい前に、直腸に癌がみつかってオストメイトになる手術をした方が良いと言われたと電話があり、すでにオストメイトで生きて居た俺は急遽その外科部長やらに会いに行った。

 医者の仕事は切って取って繋いで閉じてで成功しても、その後の日常生活を考えると無理だと言ってやった。

 公共機関のフォローもあるし支援体制も整っていると呑気に看護科長が言っておったから、具体的な話ばかりをして、ではこういうケースはどうする? こういうアクシデントにはどうする? こういうトラブルが起きたらどうなる? と徹底的に詰めてやったが、具体的な答えはナニも出ては来なかった。

 マニュアル通りの医療行為という奴だった。

 手術は中止させたが、進行はたいして早くもなかったから、認知が始まっていたところだったので老朽化の方が先だろうと、本人にも笑って言ってやった。

 それから2年くらいして、夕暮れになるとおかしくなるという報告を受けて急遽田舎に戻ると、いるはずの無い客と話をしていたり、夜中に家の中を徘徊していたり、仏壇の前では毎夕に1時間いじょうも先祖と話し込んでおって、笑えもしない酷い状況だった。

 医者には夕暮れ症候群だとか色々と言われたが、今まで背負って生きて来た重荷に潰されているんだと笑って、もう後は俺にすべてを任せれば良いと何度も言ってやった。

 年金は困ることがないくらいに貰っていた。

 蓄えを聞けば驚くほどの少なさで、しかし借財は無い。

 新型コロナ騒動のド真ん中で周囲は驚いて反対する声ばかりだったが、最後のチャンスだと言い、上京してからの生活についても細かく紙に書いて解り易く話してやった。

 この年金で、こういう収支で、家を幾らで売り、引っ越しにかかる諸経費はこんなもんだと、細かいところまで紙に書いて話してやった。

 新生活の場所は俺が用意して、介護に必要なモノは事前に細々と揃えて置くから心配するな。

 医療機関はこれも俺の経験で積み上げた最高の医療体制で迎える。

 介護や在宅医療なども医師会経由で俺が責任を持つ。

 田舎にいては惨めな最期を迎えるぞ! 家の墓も俺が全責任を負って儀式をして、こっちのデカい寺の合同墓に引き継ぎ、ありもしない呪縛から解き放つ。

 暑い夏に、それらを一気にやった。

 東京から長い付き合いの引っ越し屋の社長を連れて行き、現地で人集めしてトラック類も用意して、先に東京に持ってゆく荷物を選別して運び出し、先代からの分も含めて2世帯分の凄まじい量のモノを産廃・普通ゴミと分別して廃棄し、あとは売却を地元の同業者に依頼して、老いた二人を飛行機に乗せてトンボ返りで戻って来た。

 二人とも東京で生まれてはいるから、生まれたところに戻るだけだと笑っておった。

 いろんなアクシデントは日常に起きてはいたが、そんな動きをした後では微々たる話。

 次は墓仕舞いも出来ない山の上の先祖墓の話にしていった。

 毎日毎日、仕事の合間には顔を出し、あの世とは? 先祖とは? 生きるとは? 死ぬとは? 人間とは? 正義とは? いろんな話を実話を入れて話してやった。

 生まれてガキの時分に住んでいた場所や想い出の場所にも、仕事のついでに連れ出しては一緒に出掛けていた。

 90年生きて身に付いてる真面目で頑なな価値観を、その何倍もの経験を積んだ俺が狂わないようにぶち壊して、再生したようなもんだった。

 認知はコロリとなくなって、毎日手土産持参で顔を出すと ありがとう! ありがとう! と嬉しそうに握手をせがんで来ていた。

 直腸癌も緩和ケアで、入院させると認知再発が起こるだろうから、余計なことはしなかったが、最期は便の出が悪くなってはいた。

 ステントを入れる話もあってその技術ではトップの大病院も紹介されて連れていったが、最終的には止めにした。

 なるべく余計なことはせず、医療には振り回されず騙されず、自然に逝く、これを本人には何度も伝えていた。

 丁度その頃に、元気だった古女房が仕事がらコロナワクチンを2回うけてから体調を崩し、診断に出掛けていきなり直腸癌ステージ4を宣告された。

 休む暇もなく、そっちに関わり続け、俺の素晴らしい主治医でもあった外科医の力もあって、根治するまでにこぎつけた。

 その時の話は何度も書いてきているが、マニュアル通りの副作用・後遺症の残る抗がん剤治療はせずに、俺が描いて作ったストーリーで行動・対応した。

 そんな俺の仕掛けた激しい動きをまじかで見ていた爺様と婆様は、奇跡を起こすハリケーンを見るかのような目で、俺を見るようになった。

 ・・・信じられないことが起きている、ワシもお前の言う通りにしておればエエんか?

 ・・・そうじゃ、俺を信じた者は、とことん救う為に動き回ってやるわい

 ・・・怖ろしい男になったの~ 

 大笑いしておった。

 残った婆様も毎日声を掛けて一緒に連れ出して、今でも笑っておる。

 あれから3年しか経っていないとは驚きだ。

 もっと前の話に想えている。

 

 扶養する家が一つではないから、それぞれの家の俺の子供の面倒や爺様や婆様の世話まで普通に日常としてこなしている。

 今年も色んな闘いを続けていながら一人、介護していた高齢者が春先に大往生した。

 それぞれに関わった人たちとのドラマは書ききれないくらいにたくさんある。

 クタクタになっても、笑っている。

 その原資は、銀座で無借金のまま続けて居る自営の仕事だけ。

 生きて居れば色んなことが起こる。

 特に現代社会では、要らない余計な処置・対応が溢れ返っているから難儀は増えている。

 頼られれば出来得るかぎりのことはして差し上げる、それで生きて居る。

 人として自然に生きて、人として自然に逝く、それはどういうことか? それだけを俺は見つめている。

 これは長いお付き合いの顧客に対しても同じことで、ともに高齢化してゆく中で笑って愉快に引き潮のように終えてゆくことだけを、念頭にしてお付き合いしている。

 もう、気が付けば前期高齢者になっている。

 



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