オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

雪解けの時、春の陽気を満喫する

2024-04-15 11:18:17 | 銀座の周旋屋

 

 

 100円硬貨は1枚4.8グラムあり、うち60%が銀で出来ている。

 つまり1枚あたり2.8グラムの銀が入っているということになり、今の銀(シルバー)の小売価額で計算すると420円になる。

 純度は純銀には劣るにしても、100円で使うよりも銀として日銀に売った方が高く売れる筈だが、皆さんはそんな摩訶不思議な社会でも疑問すら感じないで、ノホホンと言われるがまんま、良い子で生きている。

 なんか、みなさん、とっても辛いことでもあるの? 

 そりゃ〜、コロナワクチン接種にも馬鹿面下げてボ~っと行列するはずだ。

 山の中の太陽光パネルなんて、銀を盗む連中には格好の獲物にもなるだろう。

 新聞やテレビ、ネットを介したオタク自演の情報網は笑い話を作る為には観ることもあるが、それを自分の大事な時間を生きる指標や参考にすることは、いっさい無いのが俺の66年の日常になってる。

 ・・・ラインやってよ

 ・・・線で生きるほど、俺は痩せこけてはいないんだぜ

 愉快な人間どうしの、電波を使わない情報網も、現代社会にはしっかりと確立されて来ていることを、知っておくべきだろう。

 

 店のパソコンには、毎日毎日怪しいメール・迷惑メールが山ほど届いているが、4月に入ってその量も倍増したということは、詐欺師・ペテン師の世界にも新人が入って研修を始めたという証だろう。

 ド阿呆な人間社会では、延々と続く被害者・加害者ゴッコ。

 そのどちらにも関わらず、高みの見物と洒落込んでる者も、いる。

 

 イランがイスラエルのコンテナ船を拿捕したと言うニュースから、無人機やミサイルでイスラエル領土を攻撃したと言うニュースを素早く知り、出発が遅くなってしまったのがこの日曜日だった。

 市場が動いている仮想通貨が急落しているのを確認してウッフッフ、ヨッコラショとハンドルを握った。

 結局はよく歩いたが、原生の山よりも人間が手を加えて作った春の景色を見て回ってる方が忙しかった。

 やっぱり往復で500キロを超える運転で下道の方が長くなるのは、寄り道・無駄話・四方山話ばかりで生きている好奇心旺盛な爺ィの常だ。

 最後は源泉掛け流しの良い湯に浸かって、放射能をたくさん吸い込んで、締めの大汗をかいてきた。

 時間によって喰い物屋が早く閉まってしまう地方の田舎では、興味をそそられる店がなくなることもあり、弁当やオニギリで済ましてしまうこともある。

 しっかり歩いた後は、ナニを喰っても美味いもんさ。

 湯からあがれば普通の水をたっぷり飲み、ガリガリ君で身体を冷やすことが多い。

 山を登り降りするには、まず相当な距離の行き帰りを自分で運転して、臨機応変に道を変えて渋滞を回避するのは当たり前だが、長野や新潟や福島あたりでも高速は使わずに長年走っている色んな下道を使うことは多く、眠くなればガリガリ君を一気に喰うとシャキっとする。

 若い頃はもっと元気だったからそんなこともなく、戻ってから店に直行して仕事を明け方までやってたり、平気だった。

 尋常ではない精力・体力とは、昔からよく言われておったもんさ。

 だから扶養して育てた子供もひとつの家庭だけでなく、介護する爺婆も倍々で増えて行った。

 さすがにそんなハードな日常を若い時分からこなしてくると、60半ばを過ぎて前期高齢者になると、身体障害者にもなって、キツイと思うことは増えて来た。

 ま~、そんな風な後悔などナニも無い、スッキリ爽やかな日々を送っている。

 エエかげんに、人間社会のことはすべて飽いては来てるがな。

 

 ちょうど2年前に、いきなり酷い貧血症状が出て体調を崩し、山にも登れなくなった古女房を大病院での精密検査に行かせたところ、大腸癌がリンパ節や他の臓器や肉にも転移し、肺にも転移していると驚きの結果を有難くもなく出されたことがあった。

 止めろと言っていたコロナワクチンを仕事の都合だからと2度接種していたから、ターボ癌という形で発症したと俺は即座に判断した。

 ステージ4で、すぐに肺から手術をした方が良いというのがその大病院のマニュアル診断だった。

 コロナ渦で直接患者にも会えなくなり、医者とも電話だけ、マニュアル医師の生命を舐めきった説明は納得が出来なかったために、俺自身の主治医がいた癌専門大病院の腕の良い大腸外科医に連絡をして、転院・即手術をやって頂いたのが2年前だった。

 まず肺ではなく大腸と転移している周辺の癌を大きめに削除してもらった。

 腹筋にまで達していた醜く育った癌細胞をキレイに取り除いてもらった。

 いまでは別の癌専門の大病院の大腸外科のトップになられている凄腕の外科医の手術は、その後の命運を分けたとも言える。

 肺の細胞は手術をする以外に検査は出来ないし、レントゲンやらで見たって誰だって影くらいはあり、無意味な治療や手術をされる事も多い。

 手術後はキイトルーダを3週間に1回30分投与するだけの免疫療法を続けながら、後は自己治癒能力の活性化を自分たちでやることに賭けた。

 これはなんの後遺症もなく、患者にも負担はナニもなかった。

 投薬も整腸剤だけで、他の薬は飲ませなかった。

 それを続けながら、退院半月くらいから標高1500m以上の酸素と放射能がたくさん存在する山々を歩かせ始め、帰路は適度に放射能が湧いている源泉に浸かるを繰り返し、夏は山ではなく太平洋に通い紫外線と潮風をたっぷり浴びた。

 早く言えば、俺の日常に常に同行してるだけの話だったがな。

 放射能や紫外線は無ければ人間は生きておれないが、大量に被爆すると逆の害になるから、俺の永年の経験だけが行動の元になっていた。

 生まれ持った免疫を目覚めさせ活発にすることで、人間の持つ自己治癒能力だけで体内の腫瘍・悪いモノをやっつける。

 これが最上の人体の理屈に合った健康な治療で、山歩きは肺機能も使うし、身体ぜんたいの調子も整えてくれる。

 怪しい宗教でもなければ、頭デッカチな自然崇拝でもなく、まず自分の身体の持つ治癒能力を活性化することを一番に考える。

 毎週毎週それを5カ月くらい続け、肺のペットCT検査に望んだが、手術の予定も組んであったのが中止になった。

 手術してから2年、3カ月ごとに定期的に行っている再発確認の検査に同行して来たが、ナニも問題なく、肺も変化はなかった。

 すでに2000m前後のハードな雪山にも平然と登っている。

 結婚している子供らは、ずんずん話を進めて行き、がんがん行動を起こす俺のことを不信感も持っただろうし、強いオヤジだからと黙って見ているしかなかったろうが、今では母親の命を見事に救った糞ジジイと、笑っている。

 俺自身は自分の死に直面して、こうしてオストメイトとなって復活しているが、死を目の前にして覚悟した人間は強いもんで、マニュアル医療が主になっている現代社会でも、豪快に生きて行く力を手に入れることが出来る。

 自分で独自に徹底的に勉強して、知識を世界中から得て、メディアには振り回されずに確信を持って生きて居ると、こういう奇跡が幾らでも起きて来る。

 愉快なもんさ。

 

 今日は1月の終わりに大往生した、親しかった翁の納骨がある。

 俺とおなじデカく古い寺の、合同墓に埋葬し、じきに土に還してもらう。

 地球から生まれ、地球に還る。

 大笑いしてくるわさ。

 



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