オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

ダイダラボッチと、コロボックル

2018-10-08 09:52:15 | 価値観

 

 人と人との関わり合いでは、自分のことばかり考えて生きて居ると、その時が来た、と動き始めてもすでに相手はいなかった、そういうことばかりだ。

 星の瞬きが、その存在の証明にはならないのとおなじ。

 光年という時間は、光が届くときにはそのモノ自体はすでに消滅しているかも知れない、そう想って眺めるべきで、常にまわりの動きには細心の注意を払って、そうして自分のことは考える、人と人との関わり合いの妙だろう。

 

 半世紀を超えてこの日本の風土で遊び呆けていると、日本各地の山里には、ダンダラボッチとかダイダラボッチとか言われる伝説があることをよく見聞きして来てる。

 いわゆる日本という国土を創生した伝説であり、民話の元ともなっている巨人伝説だ。

 そんなことを鵜呑みにする人はいないけんども、愉しい空想の話だ。

 空想ではあるけんども、そこには当時の人々の暮らしや日本の抱える自然環境の厳しさを垣間見ることが出来る。

 いまでも日本人の抱えている自然災害への恐怖が、その当時にもあちこちにあった。

 これが北の北海道になると、アイヌの伝説が濃く入り込んだ語り話がある。

 オオカミと人間の関わりや、ヒグマと人間の関わり合いや色々あるが、コロボックルという小人伝説もまた、そういうアイヌ人の民話にはたくさん残っている。

 大きな葉を屋根にした竪穴式住居に棲んでいたコロボックルたちは、小さいながらも俊敏で狩猟がとても上手く、いろんな生活用品を作ることにも長けていたが、極端に臆病で、アイヌの人たちと物品を交換し合う時でも夜の暗い時間を選んだり、そんな神経質な関わり合いの果てにアイヌ人に追われるようにして土地を出て行く羽目になり、その時にコロボックルたちが遺した呪いの言葉・・・トカップチ! (水や魚はみな枯れ果ててしまえ!)・・・は、いまでも十勝という地名で残っている。

 みな石器時代の話から、狩猟生活の話が基本になっており、その縄文と呼ばれる時代が弥生と呼ばれる時代への変化を始めた時期に、こんな話は多く作られ語り継がれて来ているようでもあるし、後世の人間が縄文・弥生を解りやすく説明するために作った話だとも想えるが、しょせん民話や伝説というものは作り話がほとんどだから、その話の真偽を問う作業は意味が無い。

 そこに語れらている人々の暮らしこそ、本当だったろう。

 猛暑が終わりつつあるいま、あちこちの地方の山々に登りに向かうと、稲穂は頭をたれ、蕎麦は白い花を咲かせ、リンゴや柿は実り、厳しい冬がやってくる前の収穫の時期を迎えている。

 そんな食物栽培をしている里を過ぎ、険しい山道へと入って行くと、俺は縄文の人になったような感覚がある。

 ある意味では、ダイダラボッチであり、コロボックルでもある。

 いろんな伝説や民話を思い浮かべながら原生の森をひたすら歩いていると、そんな巨人や小人が棲んでいるんではないかと愉しくなることも多い。

 絶滅したと言われているニホンオオカミもそこで棲み、ダイダラボッチやコロボックルとともに、歩き回って暮らして居るとすれば、これは俺も生きてるうちに一度は出会って酒でも呑んでみたいと想う。

 こんな現代でも、日本は狭いとは言うけんども、自分の足で歩く日本の未開の森は深く、きりがないくらいに鬱蒼としている。

 都会に群れ集まって暮らしてる現代人は、モノや生活には優れているんだろうが、この自然との共生という面では、ダイダラボッチやコロボックルの足元にも及ばない幼稚な人間と化してしまってる。

 

 な~に、そんなことをふっと考えることは多いと、想っただけのことさ。



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