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【どこのどなたか存じませんが】

2011-11-10 10:48:46 | 徳育



小林正観さんの心に響く言葉より…


夫婦ゲンカをする人は、これは自分の妻だ、これは自分の夫だ、という誤解をしています。

その人は自分の身内で家族であるから、何をいってもいいと思っているのです。


でも、仮に隣のおじさんが毎月給料を運んでくれていると思ったら、文句を言ったりしないでしょう。

「どこのどなたか存じませんが、毎月、毎月私たちの家族が食べられるようにしてくださって、ありがとうございます。

経済的に困らないようにしてくださって、ありがとうございます」

とただ手を合わせて感謝するしかありません。


「たまの土曜日くらいは、子どものキャッチボールの相手をしてよ」

と疲労困ぱいして帰ってきた夫に向かって、こう言ってしまう妻がいるようです。

隣のおじさんだったら感謝しかないのに、自分の夫であると、なぜそんなにイヤみばかりを言ってしまうのでしょうか。


夫の側からすると、どこのどなたかわからないおばさんが、朝知らないうちに現われて、食事をつくってくれる。

朝起きると味噌汁から湯気が立ち上っている、夕方帰ってくると夕食を用意してくれているなんていうことは、有り得ないことです。


他人だったら、手を合わせて感謝するのに、なぜ夫や妻には感謝しないのでしょうか。

それは、家族という名の甘えでしょう。


原点に立ち戻って、というより、原点よりずっと前のほうまで戻って、夫も妻も、「この人は、もともとは他人だ」ということを認識する。

そして、この他人の男性が私に対して、たくさんのことをしてくださることに感謝。

他人の女性が私に対して、たくさんのことをしてくださることに感謝。

『すべてを味方 すべてが味方』三笠書房



夫婦の間だけでなく、会社でも、親しい友人でも、人間関係には、必ず甘えが存在する。

「甘え」とは、慣れてしまって、お礼のひとつも言えず、逆に、毒づいたり、嫌味をいったりすること。


会社では、給料を払っているのだから、言われた仕事をするのは当たり前。

夫が、毎晩、家に帰ってくるのが当たり前。

妻が、食事や洗濯をしてくれるのが当たり前。

友人が、一緒に食事をしてくれ、話を聞いてくれるのが当たり前。


どんな親しい人であっても、元々は「縁もゆかりもない人」なのだ、と思ったとき「甘え」はなくなる。

そして、「当たり前」の出来事は、本当は奇跡のような有りえないこと、と得心したとき、そこに感謝が生まれる。


当たり前の幸せに、心から感謝できる人でありたい。





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