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ころりん~キラキラ☆

楽しいこと、嬉しいこと、伝えること ころころ~ころりん☆

不安な人って〜

2018-06-22 06:41:34 | 
斎藤一人さんの心に響く言葉より…


不安な人って結局ね、神様を信じてないんです。

神様がいるんだってことを信じてない。

でも、この宇宙には歴然たる法則というのがあって、人の悪口を言いながら幸せになるとか、不安なことを考えながら幸せになるとか、そんなことはできないようになってるんだよ。


一人さんってね、下心なく人のことを褒めるんです。

それに、お弟子さんが困ってたり、お手伝いが必要だなって人がいたりすると、私は飛んで行って手伝います。

それで一人さんに何かいいことあるんですかっていうと、どういうことが起きるかまではわからないけど、必ずいいことがあるんです。

そういうものなんだよ。


ただ、もしごほうびがなかったとしても、お手伝いをした人から喜ばれるだけでいいことだよね。

周りの人に喜ばれるだけで、私も幸せな気持ちになれるんです。

この世の中っていうのはね、まずは自分の周囲、簡単に言えば周り近所の人に喜ばれることしかない。


私はいつも「自分も人もゆるそうね」って言うんだけど、人をゆるしましょうって言ったって、それはあなたの周り近所にいる人に対してだけなんです。

別に、ヒットラーをゆるせとか、そういう話じゃないよ。

だって、ヒットラーはあなたの側にいないでしょ。

あなたの側にいるのは、口うるさいお姑(しゅうとめ)さんだとか、近所のおじさんくらいだよね(笑)。


もし会社が嫌なんだとしたら、会社を辞めちゃえばいいし、嫌な人とは付き合わなきゃいいんだよね。

で、どうしてもその相手と付き合わなきゃならないんだとしたら、それは文句や愚痴を言わない修行なんです。

相手がいくら悪口を言っても、自分は言わない。

あのね、嫌なことが起きるということは、ちょっと嫌なことあると人の悪口を言ったりするからなの。

自分がそういう性格だから、嫌なことを引き寄せてくるんです。

人の悪口とか、愚痴やなんかを言わなくなると、人生は必ず変わるよ。

自分が変われば、すべて変わるようになってるんです。


どうしてですかっていうと、神様がそういう仕組みを作ったんだよね。

あぁ、これは人の悪口を言わないための修業だなってわかれば、人生はパッといい方向へその瞬間に変わります。


この世の中は、人を変えようとするからおかしくなっちゃうんです。

私なんて、もし週刊誌で自分の悪口を書かれたとしても、「この週刊誌、売れるといいね」って言います(笑)。

あのね、悪口を言うってことは、自分の畑に唐辛子(とうがらし)の種をまいてるのと同じなんです。

人から悪口を言われて、こっちも言い返しちゃうと、言ったぶんだけ自分の畑に唐辛子の種をまくようなものだから、それを刈り取らなきゃいけなくなる。


ピリッと辛くて目にしみるような出来事が嫌なんだったら、最初から唐辛子の種をまかなきゃいいんです。

念のために言っておくけど、唐辛子がいけないってわけじゃないよ。

これはたとえ話だからね(笑)。


『斎藤一人 俺の人生 (すべてが成功する絶対法則)』マキノ出版





斎藤一人さんはこう語ります(本書より)。

『普通、「これはさすがに黙っていられないな」ってくらい嫌なことをされると、つい文句を言っちゃう。

でもね、それでも言わないでいると、神様のごほうびがもっともっと多くなります。

ものって考えようなんだよ。

こんなに嫌なことされたんだから、堪忍袋の緒が切れてもしょうがないって。

そんなふうに判断して、つい文句を言っちゃう。

つい堪忍袋の緒が切れるような難しい問題を神様から出されると、みんなすぐひっかかっちゃうんです。

だけど、そこでひっかからない。

そうすると、得点が高いんだよ。

難しい問題でも、サラっと答えに愛が出せると、すごいごほうびがもらえる』


世の中にはひっかけ問題が本当に多い。

ここまでひどいのだから、文句を言ってもいいだろう、と思わせる出来事などだ。

言うにしても、愛ある言葉で、愛ある態度で、愛ある表情で、言うならいい。

しかし、鬼のような形相で怒鳴ったり、相手を傷付けるようなひどいことを言ったら、ひっかけ問題にひっかかってしまったということだ。


人の悪口を言わないための修業を、日々実践をしたい。

仕返しをしないこと

2018-06-12 07:32:10 | 
斎藤一人さんの心に響く言葉より…


私たちはさまざまな出来事を通して学びを得ます。

その中でもっとも大きいのは“お金”と“人間関係”からの学びです。

人間関係とは、親子や夫婦、会社の上司や部下、同僚とさまざまですが、さらに言えば「自分自身との関係」も含みます。


神は“自己犠牲”を嫌います。

「私はいいから、あなたが幸せになって」じゃなくて、まずは自分が幸せになって、その幸せをできる範囲で周りに配っていけばいいんだよね。

それが神の望みでもあるの。


それと、「自分さえ良ければ」というのも自分を大切にしていないことだよね。

人によっては「自分さえ良ければ、他人に迷惑をかけても関係ない」と思うかもしれないけれど、他人に迷惑をかければ必ずその報いは自分が受けます。

だから結局、それも自分を大切にしていないのと同じことなんです。


また、相手に悪口を言われたり、イヤなことをされたりしたら、その人に「仕返しをしよう」としますが、これもいけません。

誰かがあなたの悪口を言ったら、その報いを受けるのはその言った人なんです。

“報い”とはいいことをすればいいことで報われて、悪いことをすれば悪いことで報われることを言います。

「復讐するのは神の仕事」といって、その報いは神様がちゃんとやってくれることだから、あなたが勝手にその人に報いを与えちゃダメなの。

だいたい、人の悪口って言ったほうが負けだからね。

言い続けている人は大負けなの。

それをあなたまでその人につられて相手の悪口を言ったら、自分の運勢まで悪くなっちゃうんだよ。


だから、私たちができることっていうのはね、「相手を黙らせる」ことではありません。

「相手が悪口を言っても、自分は言わないようにする」ことがほんとうの真理なんだよね。


私たち人間は完璧じゃないから間違えることだってあります。

そこで成長できる人が、「間違ったときに謝れる人」なんだよ。

「謝るとかっこ悪い」と思うかもしれないけれど、謝らない人、または謝れない人のほうが、よっぽどかっこ悪いよね。


謝れない人って我が強いんです。

我が強いっていうことは、それだけ魂に汚れがついてるってことなの。

それで私たちはみんな、その汚れを落とすために生まれてきているからね。


『お金の真理』サンマーク出版




「復讐するのは神の仕事」というのは、聖書の中の言葉で、「復讐は私の仕事、私が報復する、と主は言われた」からきている。

そして、人間による「目には目を、歯には歯を」という報復を戒めている。

報復は報復の連鎖が続く。

いつまでたっても終わりのない無限ループに陥ってしまう。


他人の悪口を言ったら、その報いは言った人が受ける。

同様に、お金の悪口を言ったら、その報いは自分が受ける。

お金持ちの人をうらやんだり、思わぬお金が入った人の悪口を言うようなことだ。


どんなひどい仕打ちを受けても…

仕返しをしようとしてはいけない。


魂を浄化させる方法とは

2018-06-04 06:31:05 | 
小林正観さんの心に響く言葉より…


「輪廻転生」は「義務である」とお伝えしました。

「魂」は生まれ変わりを重ねながら成長していきますが、「魂」が成長できるのは、「肉体を持ったときだけ」のようです。

なぜか。

「魂」だけで過ごしているときは、「事件」が起きないからです。

「魂」は、300年~400年に一度、肉体を持って生まれ変わりますが、肉体がある分、さまざまな制約や事件にさらされます。

「食べなくっちゃいけない」「飲まなくっちゃいけない」「お風呂に入らなくっちゃいけない」「トイレに行かなくちゃいけない」「寝なくちゃいけない」。

「上司に怒られる」のも、「恋愛」ができるのも、「夫婦喧嘩をする」のも、「親子喧嘩をする」のも、肉体があってこそ。


「魂」だけの状態であれば、制約も事件もなく、とても「ラクな状態」で過ごせますが、そのかわり、まったく「成長」しません。

「魂の成長」には、事故、病気、災難などが必要です。

病気によって優しさを知り、事故に遭って謙虚さを知る。

「魂」は自ら「シナリオ」を書いて、さまざまな事故・病気・災難を設定しています。

それもすべて、「魂の成長」のためなのです。


「魂」を成長・進化させる方法とは、目の前で起こる一つひとつの現象に対して、つべこべ愚痴を言わず、「感謝」を持ってとらえること。

ある現象に対して、「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」を言うのは「初期の段階(マイナスの段階)」です。

その後、マイナスから「ゼロになる段階」があり、その先に「嬉しい、楽しい、幸せと思う段階」があります。

この高みに登り、あらゆる現象について「ありがたい」と思えるようになったら、「魂」が大きな成長を遂げています。


『もうひとつの幸せ論』ダイヤモンド社





『「病気の境遇に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きて居ても何の面白みもない」

これは、歌人・俳人、正岡子規が残した言葉です。

若くして結核を患った正岡子規は、「病気を楽しむ」と受け止め、死の直前まで創作活動を続けていました』(同書より)


病気になって、「この程度ですんでよかった、ありがたい」とか「早めにわかってよかった、ツイている」と、「幸せ」や「感謝」の気持ちで受け止める人がいる。

反対に、「ひどい目にあった」とか「ツイてない」と愚痴を言ったり、嘆く人もいる。


小林正観さんは、病気にしても、困難にしても、どんな現象も「中立」でありニュートラルだという。

つまり、「幸せ」だとか、「不幸せ」と、とらえる自分がいるだけ。

本人のとらえ方の問題。


「魂」を成長・進化させる方法とは…

目の前で起こるすべての現象に対して、愚痴を言わず、「感謝」の気持ちで接したい。


兜山へ

2018-05-27 19:14:51 | 
兜山へ

久美浜の兜山
なぜカブト?

フンコロガシが頭の中から、離れなくて
きょうは、友達とこの前登れなかった山へ

公園から歩いて登る

ツツジが綺麗だよね〜って
写真撮りながら、かなりきつい上り坂

上り坂はきついなぁ!

一生懸命に、歩くんだけど、坂道急です😂


やっと、ひとつの目的地
人喰い岩

登ったのに、そこから、また、したへ降りていきます!
あー、かなり急な下り

ありました!

でも、これだと顔が見れない!


下に降りて、観てみたら、ホントだ!
顔の形をしています!

見えますか?



見えないか~


顔の形をしてました!


そしてそして、もう一つの目的地

山頂の熊野神社

かなりの階段です。


長~~い。

何度か休憩をしながら、やっと、やっと、やって来ました。







ここも、神様の山だったんですね!


ほらね!🍀

景色は、最高‼️



こんな、いい所があったんですね!

登るのは、かなり、運動になりますが
登ると、これまた、気持ちが良くて〜

ずっとここにいたい気分(*´∇`)ノ💞






凄くないですか!


とても、気持ちが良かったです(⑉• •⑉)❤︎





帰りは楽ちん

「人生下り坂最高‼️」そう言いながら、足が笑っていると友達が言っていましたが
ルンルンと~

「人生、下り坂、最高😁✌️」

そう言いながら降りました。

何処か、車で上がれるところはないのかと、あちこち探していましたが、見つかりません!
トーマイタルさんが、来られる時は、歩くしかないのかな〜と言いながら・・・。

回っていると、登れない方のための、場所がありました!



ここから、拝むのですね!



その、そばに神社がありました!




もうひとつあった神社は

雲晴神社
お参りしておきました!





ウサギがいました!

いなばのしろうさぎ?

ほら、パチリ💕









あ〜休憩に

「そら」の、アイスクリームを



暑かったので、
美味しかった〜(⑉• •⑉)❤︎



牛も居ました!



きょうは、とても、充実した登山、兜山でした。

😃😁🤡😁😃🤡😁😃🤡😁😃🤡

つきあう人によって人生は変わる♪̊̈♪̆̈

2018-03-12 06:49:26 | 
本田健氏の心に響く言葉より…


私たちの人生は、つきあう人によって、大きく変わります。

私のメンターが、人生を変えるのに、てっとり早い方法は、洋服を変えること、つきあう人を変えることの二つだと言っていました。

おまじないかなぐらいに考えていましたが、後に、とっても現実的なアドバイスだということを知りました。


あなたが体験している失敗は、つきあっている人が原因である可能性があります。

最新の心理学の研究では、あなたが日常的につきあっている人たちの幸せ度合いが、あなたの精神状態に大きく影響するというデータが出ています。

興味深いのは、直接会う人たちだけでなく、その人のまわりにいる人の幸せ度合いまで、関係してくるということです。


私たちは、ふだん自分がつきあっている人のことをあまり考えずにいるのではないでしょうか。

仕事でも、以前からのつきあいの人たちは、そのまま変わらずにつきあっていると思います。

家族も、よほどの問題がなければ、縁を切ることはないでしょう。

友人との関係も、あなたが積極的に新しい友人を作っていくタイプでなければ、固定化しているのではないでしょうか。

すると、ふだん行くレストラン、旅行先もだいたい同じようなところになっているはずです。

もし、あなたが大企業に勤めていたら、これからの年収がだいたい予測できるはずです。


変えたいなぁと感じたなら、自分がこれから行きたい世界の住人とのつきあいを始めることです。

もし、今つきあっている人が、本来あなたがつきあう人でなければ、その関係を変えなければいけません。

ある人が、仕事仲間から愚痴を言い合う飲み会に毎晩のように誘われるのを断って、弁護士になる勉強を始めました。

最初は、仲間にひどいことを言われましたが、そのうち、つきあいもなくなりました。


数年して、試験に合格し、彼は弁護士になりました。

あるとき、弁護士仲間とでかけたところ、昔の同僚グループが、偶然一緒のお店の隣のテーブルにいたのを見つけたそうです。

彼が、そのまま変わらなければ、愚痴を言うグループにそのままいたことでしょう。

つきあう人によって、人生はまったく変わるのです。


『落ち込んだときに勇気がでる49の言葉 (PHP文庫)』




いくら人生を劇的に変えたところで、身近な人たちが幸せでなかったらそれは何の意味もない。

家族や身近な仲間たちを不幸せにして、自分だけ成功したとしてもそれは偽(いつわ)りの成功。


自ら変化を求めなくても、自らの魂を鍛え、日々修養し、人格を高めていくなら、自ずと付きあう人は変わってくる。

逆にいうなら、普通、自分よりレベルの高い人が、何の取りえもないようなレベルの低い人間とつきあってくれるはずがない。


また反対に、「孟母三遷(もうぼさんせん)」の教えのように、環境を変えることによって運命を変えることもできる。

環境を強制的に変えれば、つきあう人も自ずと変わってくる。

悪に染まるような環境にいれば、悪に染まりやすいし、逆に周囲全員が、ポジティブで、新しいことに挑戦することが好きな勉強会やグルーブや会社に入れば、自ずと自分もそうなっていく。

「人は環境によって大きく左右される生き物」だからだ。


つきあう人によって人生は変わる。

しだれ梅

2018-03-10 20:52:47 | 


やっと咲き始めました!



幸せな人には、

幸せな人たちが集まってくるし

  
不機嫌そうな人には、

不機嫌そうな人たちが集まってくるだけ。

  
素直な人には、

素直な人たちが集まってくるし

  
不満の多い人には、

不満の多い人たちが集まってくるだけ

  
相手を妬むエネルギーを発したら、

それは巡り巡って

あなたの元に必ず還ってくるし

  
相手に感謝するエネルギーを発したら、

それは巡り巡って

あなたの元に必ず還ってくる。

  
薔薇の種を植えれば

薔薇が咲くように!

  
自分の想いや行ないは、

必ず他の誰かから返ってくる!

  
今の自分に見えている世界は

自らの心を映し出す鏡のようなもの!

  
だからこそ「鏡」を大事に扱って

きれいに磨いてあげることで
  
そこに映し出される世界が

変わり始める。(*´∇`)ノ💞

大切なのは腹を立てないこと

2018-03-02 06:57:14 | 
正観さんの心に響く言葉より…




《どんな問題も腹を立てることで解決はしません》


この条件だったら腹を立てないけれど、この条件だったら腹を立ててもいいだろう、ということはありません。

重要なのは、どんなことがあっても腹を立てない、戦わない、ということ。

腹を立てることで問題を解決することはできないのです。


社会ではこんな極悪非道なことが起きている、あの人はこんなにひどいことをした…社会現象や事件に対して論評したり、他人の評価やうわさ話をしたりすることはやめて、自分はそうしない、と決めるだけです。

それらのことをした人を非難、糾弾したりする必要はまったくありません。

人間は根本的なところでは、ものすごく美しい心を持っていて、自分の心の中で良心が芽生えることで、その問題は解決していきます。


大切なのは、私が実践者になること、私が太陽になることです。


『たくさんの「奇跡」が舞い込む感謝の法則』宝島社




「怒ったら負け」という言葉がある。

よくテレビなどで議論していて、突如激昂(げきこう)して大声で怒鳴りつける人がいる。

それを傍(はた)から見ていると、「ああ、怒ったから負けたな」「この人は、ニセモノだな」と思う。

議論では追いつかなくなり、大声で相手を圧倒し従えようとする、その態度が見えてしまうからだ。


どんなに相手から大声で怒鳴られ、挑発されても、涼しい顔をして最後まで冷静に、声も荒げずに、淡々と言い返す人はカッコいい。

しかしながら、これがいざ自分のこととなるとなかなか制御できない。


怒りを制御するには、「怒りそうになったら6つ数える」というメソッドがある。

怒りをコントロールする技術「アンガーマネジメント」を日本で広めている安藤俊介氏の「怒りをしずめる」方法だ。

6秒間思考停止すると、怒りやイライラがおさまるのだという。


「 大切なのは、私が実践者になること、私が太陽になること」

腹を立てないこと…

口先だけでなく、実践する人でありたい。

これから〜〜人生後半にあり

2018-02-11 17:10:40 | 
田中真澄氏の心に響く言葉より…


《人生、勝負は後半にあり! 能力開発は年齢不問》


潜在能力の開発は年齢不問です。

20世紀までは「人生は60歳までが勝負」の思いできましたが、平均寿命が伸び続ける長寿時代、「人生は65歳からが勝負」との考え方が必要です。

人生の勝負が後半に移って、定年以後の生き方が問われるのです。


65歳以後も活き活き生きるには、100歳まで生きる可能性に賭け、死ぬまで働く終身現役を目指すことです。

少なくとも定年後は、年齢不問の潜在能力の開発にどこまでも挑戦し、得意なことを仕事にしながら、己を高めていく生き方を選ぶべきです。


私たち凡人にとって怖いのは年齢情報です。

例えば還暦を迎えた人は「もう60歳」と受け止めても、「まだ60歳だ」とは思いません。


人間は、前向きに生きることを心掛けていれば、いくつになっても自分の能力は開発していけるのです。

そのことを教えてくれたのは日本の正確な地図を初めて作成した伊能忠敬です。

彼は千葉県佐原の大地主で醸造業を営む伊能家に17歳で婿養子に入り、49歳で家督を息子に譲るまで家業に専念し、伊能家を繁栄に導きました。

しかし彼が本当にやりたかったことは天文学と国土の測量でした。

そこで50歳で息子に家督を譲ると、江戸に出て、19歳も若い幕府天文方・高橋至時に弟子入りし猛勉強。

ついに至時が舌を巻く程の力をつけたのです。


そして55歳から73歳で亡くなるまで日本全国を踏破し、後半の人生を測量に傾けました。

伊能忠敬の後半の人生を知ると、勇気が湧いてきます。

好きなことを本気で続けていけば、年齢を超越して願望を達成できることを実感できるからです。


『田中真澄の88話』ぱるす出版




「人生、勝負は後半にあり! 」とは、40代でも、50代でも、もちろん60代でも言えること。

少し小金が貯まったとか、家賃収入や年金があるからと、プチリタイアを目指す人は多いが、リタイアという言葉を発した瞬間にその人の成長は止まる。

色々なことに対する興味や好奇心が薄れ、社会との接点もなくなってくる。

つまり、呆(ぼ)ける道をまっしぐら。


若い頃から、人からの頼まれごとを気持ちよくやってこなかった人は、人生後半になっても頼まれごとはやってこない。

頼まれたときに、嫌な顔をしたり、引き受けるにしても何か一言テンションを下げるような嫌みを言う人には、二度と話をもっていこうとは思わないからだ。

「頼まれごと」とは、仕事はもちろんのこと、PTAや町内や、ボランティアや公的な役職などにおいて頼まれたことも同じ。

「頼まれごと」は、たいてい、面倒くさかったり、時間がとられたり、今までやってこなかった初めてのことも多い。


人生の後半に自分のやりたかったことをやる、夢の実現にチャレンジする、という選択ができる人は素晴らしい。

しかしながら、自分の夢がなくとも、人からの頼まれごとをあれこれ、ヘトヘトになりながらやり続けるという人生にも味がある。

人のために生きる「頼まれごと」の人生だ。

どちらの人生を生きるにせよ、「人生、勝負は後半にある」。


生涯現役で、いくつになっても成長し続ける人生を歩みたい。

感謝する心

2018-01-17 07:11:29 | 
小林正観さんの心に響く言葉より…


感謝することで片づくのが、対じん関係です。

「対じん関係」とは、対人と対神、の両方です。


ここはちょっと重要なポイントなのですが、神社仏閣に行って、お願いやお祈りをする。

自分の夢や希望を叶えてくださいとお願いする…そういうふうに日本人は教わってきたのですが、宇宙的に言うと、そのお願いをした瞬間、実は、神仏を敵に回すことになります。

どういうことかというと、その行為は、いま自分が取り囲まれている状況が気に入らないと言いに行ったと同じなのです。

つまり宣戦布告に行ったのです。


例えば、「体のどこそこが悪いので治してください」とお願いに行った。

自分の身体に、悪いところが1、2カ所ある。

ところが順調に動いている場所が、9998ヶ所ある。

この9998ヶ所に対して、常日頃、一回も手を合わせ、感謝もしていない。

「痛いところだけ、なんとか治してください」と言いに行ったということは、9998に対する感謝が欠けているということです。


同じように、「収入が少ないので、もっと収入を増やしてください」とお願いしたとする。

神社仏閣に自分の足で行くことができたということは、今日まで食べてこられた、その体を保つことができた、ここまでやって来る交通費も払えた、来るだけの時間的なゆとりも取れた…そういうことです。

その意味でいうと、それだけでもすごく恵まれています。

ほんとうに恵まれていなければ、神社仏閣に来ることさえできません。

経済的にあるいは身体的に、それが許されない人さえいるのです。

それなのに、もっと売上げを上げてくれとか、利益を確保させてくれというお願いは、いま十分に食べられるようにしていただいているという現実を超えて、「もっともっと、まだまだ」と言い続けているということにほかならない。


人間は、何かが思うようになっていないと、思い通りになっていないことだけを挙げ連ねるものです。

仕事も、対人関係も、健康も。

しかし多くの場合、不足している以外の9999ヶ所は、スムーズにいっている。

そのことに対して、一度も、一カ所にも手を合わせたことがなく、感謝をしたこともない。


どこか不調だったり、お金がうまく流れていなかったり、集まってこなかったら、「たまには感謝をしてみたら?」という宇宙からのメッセージととらえたらどうでしょうか。

「ああ、そうか。足りないことをもっと寄こせ、もっと寄こせ、ではなく、これまでほんとうにたくさんにいただいたことに、感謝が足りなかった」と、気がつくかもしれません。

何かが叶ったから、手に入れたいものが手に入ったから感謝するという感謝は、実はほんとうの感謝ではありません。

それは感謝ではなく、我欲が満たされたというに過ぎない。

我欲が満たされたら、また次の要求をして、さらにその我欲が満たされたら感謝する…これは、ほんとうの感謝ではないように思います。


「感謝」とは、すでにいただいている9999のものに対して気づくこと、手を合わせること。

それができるようになると、何を叶えてくれとか、何かを手に入れたいなどとは考えなくなります。

だから、神社仏閣はお願いに行くところではなく、お礼を言いに行くところ。


『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲舎





この「感謝」の考え方は、「幸せ」とまったく同じ考え方。

「幸せ」な人は、何か幸せなことがあったら幸せなのではなく、普段の生活のなかにほんのささいな「幸せ」なことを見つけて幸せになれる。

あれがないから幸せになれないとか、これがないから不幸だと言っている人はいつまでたっても幸せにはなれない。


不平不満に目がいくのか、「感謝」や「幸せ」に目がいくのか。

事実は一つでも、感じ方、見方によって人生はまったく変わってくる。


「感謝」のほんとうの意味は、すでにいただいている「幸せ」に気づくこと。

感謝多き人でありたい。

自分で決めたストーリー

2018-01-15 07:07:57 | 



斎藤一人さんの心に響く言葉より…


定めの話ってすごく難しいんだけど、簡単に言うとね、私たちはあの世にいるときに、自分で自分のストーリーを決めてくるんだよね。

生れてくる前に、神様と相談して、今世(こんせ)どういうふうに生きていくかを決めてくるの。

運命っていうのを決めてきちゃってるんだよね。

これを「定め」って言うんです。


その定めのなかで今世、魂の修業を通して自分を高めていくの。

もちろん、この世にきてしっかり魂を磨いてよくなる人もいれば、うまく修業できずに悪くなっちゃう人もいるんだよね。

同じ出来事でも、肯定的にとらえる人と否定的にとらえる人がいるからね。


それによって、人生ってあらかじめ描いてきたものとは違ってきちゃうんです。

良くも悪くも変えることができるの。

強い意志を持てば、決めてきたストーリーよりもうんとよくなるし、その反対もあるってことだよね。


『斎藤一人 奇跡を起こす「大丈夫」の法則 (斎藤一人さんの「心が晴れるご神木の話」CD付き)』(舛岡はなゑ)マキノ出版





人は生まれる前に、自分の人生の脚本を書いて生まれてくるという。

それが斎藤一人さんのいう「定め」。

人生を舞台とするなら、脚本を書くのも自分だし、それを演じるのも自分。


たとえば、インフルエンザにかかってしまったとする。

それを「その程度ですんで良かったね」というと、「いやいや、ホント大変だったんだよ、ツイてない、最悪だよ嫌になっちゃう」というように返す人がいる。

「インフルエンザにかかる」というシナリオを自分で書いてきたのに、「この程度ですんで良かった、ラッキー」と思うか、「最悪だ、嫌になっちゃう」と思うか。

どちらの方が、周りの人の気持ちを明るくするか、ほっとさせるかは言うまでもない。


不平不満や、愚痴や泣き言を言わない人は、神様から好かれる。

神様から好かれれば、決めて来たストーリー(脚本)よりも、人生はうんとよくなる。

それが、おかげさまの気持ちと、感謝が多い人。


神様から好かれる人を目指したい。