goo blog サービス終了のお知らせ 

ころりん~キラキラ☆

楽しいこと、嬉しいこと、伝えること ころころ~ころりん☆

【逆境のときこそ笑顔で頑張る】

2014-08-23 10:18:23 | 徳育
【逆境のときこそ笑顔で頑張る】


明治学院大学教授、武光誠氏の心に響く言葉より…


ピンチは、その人の本質を浮かび上がらせます。

人間として未熟であり、まだまだ練られていない人は、どれだけ取り繕ってみても馬脚を現してしまうのです。


「剛勇か臆病かは、平時にあっては知る事はできない。まったく別物である」(聞書2-75)

そう葉隠れは指摘していますが、奉公は口先でできるものではありません。

誠の心をもって、主君のために全力で働く。

それこそが本来の奉公。

ちょっとしたことで気持ちがゆらいでしまうなら、口だけに過ぎなかったということです。


人は逆境にあるとき、自分に押し寄せる荒波に押されて、気も弱くなってしまいがちです。

しかし、忘れていけないのは、そんな時であるからこそ、見る人は見ているということです。


葉隠にはこうあります。

「成富兵庫など七度浪人したということである。

起き上がり人形のように思わなければならない。

主人も試すつもりで浪人を言いつけることがあるだろう」


成富兵庫とは佐賀鍋島藩の家老であり、加藤清正が一万石で召し抱えようとしたほどの人材です。

その成富兵庫にして、七度浪人した。

というよりも、浪人したからこそ、それだけの力を身につけたということなのかもしれません。


人事には当然ながら意図があります。

成長する部署につくものがあれば、反対に立て直しを図るための人事もあります。

本人にとっては、不本意に思えることもあるかもしれません。

しかし、そんな時だからこそ、見る人は見ています。


「やはり、そこまでの人材だったか」

「なかなかやる。見直した」

どちらの感想を持たれるかは、その人の心がけ次第です。

調子のいい時は、誰でも頑張ることはできるのです。

逆境のときであるからこそ、笑顔で頑張る。

その姿が人の心を動かすのです。


『「葉隠」に学ぶ誇り高い生き方』成美堂出版





逆境や不遇のときにこそ、その人が人物であるかどうかが試される。

くさったり、愚痴をいったり、不平不満をこぼしたり、人のせいにしたりするのか。

なにくそとへこたれずにチャレンジするのか、不機嫌にならず上機嫌でいられるのか、もっと言うならその不遇に対して感謝できるのか。


うまくいっている「遇」のときも、そうでない「不遇」のときも、見る人はほんとうによく見ている。

遇のときは、有頂天にならず、威張らず、驕(おご)らず、慢心せず。

不遇のときは、必要以上に落胆せず、へこたれず、くさらず。


「やはりそこまでの人材だったのか」と言われるか、「なかなかやる。見直した」と言われるか。

逆境のときこそ、笑顔で頑張る人でありたい。

【本当の祈り】

2014-06-07 22:42:55 | 徳育
【本当の祈り】


修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…


母は82歳で脳梗塞になって倒れて以来、家で寝たきりの生活を送っていました。

しかし、私が講演に出かける時は必ず、「今日はどこに行くんだ?」と聞くのです。

「どこどこへ行く」と答えると「気をつけて行って来いよ」とこう言う。

私は「わかった。ありがとう」と答える。


しかし、そのあとには「何時から何時まで話すのか?」と聞くのです。

すると、つい自分の親だから言ってしまうのです。

「そんなの聞いてどうするん?」とか、「人のこと心配せんと、自分のこと心配しなさい」とか、どうも冷たい物言いになってしまう。

さらに、「寝たきりだから、みんなに好かれる老人にならなあかんよ」なんて言ってしまうのです。


それでも、何度も聞くものですから、私が「何時から何時までだよ」と講演時間を答えると、「みんなに喜んでもらえるように、しっかりがんばってこいよ」と言って、ベッドの上から見送るのでした。

そして、私は家を出てから後悔の思いでいっぱいになるのです。

もっと優しい言葉をかけてやれば良かったなぁって。

わかってはいても、つい、優しくできなかったりするのですね。


その母も90歳で亡くなりました。

お葬式を済ませたあとに、家内がふと、

「お父さん、心配してくださる方が一人減ってさみしいね」

と言うのです。私は改めて母の言葉を思い出して、

「おふくろが毎回行き先を聞いてきたのはわかるけれども、なんで時間まで聞いたんだろうね」

と家内に言ったんです。すると家内は、


「絶対お父さんに言わんで、ってお母さんは言っていたけど、時効だからもう話してもいいかな」

と、こんな話をしてくれました。


私の講演が始まる頃になると、母が家内を呼び、

「講演が始まる時間だから、悪いけどベッド半分起こして」

と言って、ベッドの前の神棚に向かってじーっと手を合わせて、拝むのです。

寝たきりですから、きちんとは座れないので、腰に枕と毛布を当ててなんとか座るようにして、じーっと手を合わせている。

「講演が終わる時間になったらまた来てね」と母が言うので、1時間半くらい経ってから家内が行くと、まだ母が同じような状態でじーっと祈っているのだそうです。


この話を聞いた時、私は、頭をガーンって殴られたような気がしました。

毎回講演に行って、今日もこんないい方々と、素晴らしい出会いをいただいて、自分ががんばっているという思いがどこかにあったのです。

私は母が祈ってくれていることを知らずに、そんな母の言葉を少し疎(うと)ましく思っていたのです。


『すべては今のためにあったこと』海竜社




肉親や兄弟、夫婦、と関係が近くなればなるほど、ほんとうは感謝しているのに何だか照れくさくて、憎まれ口をきいてしまったり、冷たい物言いになってしまったりする。

特に、両親から受けた愛情は、両親が亡くなってからわかることが多い。

「親孝行したいときには親はなし」、という言葉にもある通りだ。


自分への祈りは、自分のエゴと欲望を充足させるための祈り。

他者の幸福を願う祈りこそが、本当の祈り。


親しい関係にある人に、今、面と向かって感謝できなくとも、幸せを願うひそかな祈りなら誰でもできる。

誰かのために、祈る人でありたい。




【本当の祈り】

2014-06-07 22:41:57 | 徳育
【本当の祈り】


修養団・元伊勢道場長、中山靖雄氏の心に響く言葉より…


母は82歳で脳梗塞になって倒れて以来、家で寝たきりの生活を送っていました。

しかし、私が講演に出かける時は必ず、「今日はどこに行くんだ?」と聞くのです。

「どこどこへ行く」と答えると「気をつけて行って来いよ」とこう言う。

私は「わかった。ありがとう」と答える。


しかし、そのあとには「何時から何時まで話すのか?」と聞くのです。

すると、つい自分の親だから言ってしまうのです。

「そんなの聞いてどうするん?」とか、「人のこと心配せんと、自分のこと心配しなさい」とか、どうも冷たい物言いになってしまう。

さらに、「寝たきりだから、みんなに好かれる老人にならなあかんよ」なんて言ってしまうのです。


それでも、何度も聞くものですから、私が「何時から何時までだよ」と講演時間を答えると、「みんなに喜んでもらえるように、しっかりがんばってこいよ」と言って、ベッドの上から見送るのでした。

そして、私は家を出てから後悔の思いでいっぱいになるのです。

もっと優しい言葉をかけてやれば良かったなぁって。

わかってはいても、つい、優しくできなかったりするのですね。


その母も90歳で亡くなりました。

お葬式を済ませたあとに、家内がふと、

「お父さん、心配してくださる方が一人減ってさみしいね」

と言うのです。私は改めて母の言葉を思い出して、

「おふくろが毎回行き先を聞いてきたのはわかるけれども、なんで時間まで聞いたんだろうね」

と家内に言ったんです。すると家内は、


「絶対お父さんに言わんで、ってお母さんは言っていたけど、時効だからもう話してもいいかな」

と、こんな話をしてくれました。


私の講演が始まる頃になると、母が家内を呼び、

「講演が始まる時間だから、悪いけどベッド半分起こして」

と言って、ベッドの前の神棚に向かってじーっと手を合わせて、拝むのです。

寝たきりですから、きちんとは座れないので、腰に枕と毛布を当ててなんとか座るようにして、じーっと手を合わせている。

「講演が終わる時間になったらまた来てね」と母が言うので、1時間半くらい経ってから家内が行くと、まだ母が同じような状態でじーっと祈っているのだそうです。


この話を聞いた時、私は、頭をガーンって殴られたような気がしました。

毎回講演に行って、今日もこんないい方々と、素晴らしい出会いをいただいて、自分ががんばっているという思いがどこかにあったのです。

私は母が祈ってくれていることを知らずに、そんな母の言葉を少し疎(うと)ましく思っていたのです。


『すべては今のためにあったこと』海竜社




肉親や兄弟、夫婦、と関係が近くなればなるほど、ほんとうは感謝しているのに何だか照れくさくて、憎まれ口をきいてしまったり、冷たい物言いになってしまったりする。

特に、両親から受けた愛情は、両親が亡くなってからわかることが多い。

「親孝行したいときには親はなし」、という言葉にもある通りだ。


自分への祈りは、自分のエゴと欲望を充足させるための祈り。

他者の幸福を願う祈りこそが、本当の祈り。


親しい関係にある人に、今、面と向かって感謝できなくとも、幸せを願うひそかな祈りなら誰でもできる。

誰かのために、祈る人でありたい。




【楽しい予言】

2013-10-18 15:54:07 | 徳育
【楽しい予言】


小林正観氏の心に響く言葉より…


皆さんが、もしどこかの霊媒師(れいばいし)や霊能師という人から「○○をしないと何年後に死ぬ」とか「大病する」とか「交通事故に遭うぞ」というような楽しくない予言を受けたら、その瞬間にニッと笑って帰ってきてください。

たとえば「500万払ってお祓(はら)いをしないと交通事故に遭うぞ」と、ある占い師が言ったとすると、その瞬間からこの占い師は自分の信用のために「この人が交通事故に遭ってほしい」と祈り始めています。

このように、悪しき予言をし、さらに自分の信用のために悪しき予言が実現してほしいと思い始めた瞬間、その人は自分では気がついていないけれども悪魔に魂を売ってしまっているのです。


それとは逆に、自分が聞いて楽しくて仕方がない、心が踊り細胞が活性化するような予言をしてくれる人がいたら、その人の予言は聞いたほうがいいでしょう。

その人は元気になるような予言をしてくれたのだから、聖なる側にいる可能性が高いのです。


では、これから私が皆さんを聖なる側の人にしてさしあげますね。

お友達でも誰でも構いません。

その人と握手をしながら、にっこり笑って「今度あなたとお会いするとき、あなたは若くてきれいになっていますよ」という予言をしてください。


そういう予言をしたら、「自分の信用のためにそれが実現してもらわなくてはいけない」というふうに、あなたは祈り始めます。

このような良い予言が実現しますようにと祈るというのは、あなたが聖なる側の一人になったということなのです。


この予言の練習をしてみるとちょっとわかると思うのですが、自分の近くにいる人で、そういうふうに楽しいことを言ってくれる人がいたら自分で元気になるでしょう。

要するに嫌な予言ではなくて、楽しい予言をしてくれる人は、良い友人であるということです。


そういう基準で友人を選んでいって、自分もそういうふに選ばれるように、自分の口から発する言葉をちゃんとコントロールしていくと、あなたはどんどん元気になっていきます。

友達はそういうふうに選ぶものなのですよ。

『宇宙を味方にする方程式』致知出版社



聞いていると、どんどん元気がなくなり、暗くなってしまうという、いわゆる人の気やパワーを奪ってしまう人がいる。

言葉に相手を思いやる、やさしさや愛という、「愛語」がないからだ。


何割かの高い確率で当たる優れた占い師もこの世にはいるとは思うが、その人とて100%当たるという保証はない。

だからこそ、それがほんの数%であっても、良い面だけを見てポジティブな予言をする人は本物だ。

予言は、人を絶望の底に落とすこともできるし、反対に希望や勇気を持たせてくれることもあるからだ。


占いに限らず、いい面か悪い面か、どちらの面を見て話をするのかは、その人の生き方に大きく関係する。

明るい面、楽しい面、美しい面、優れた面、良い面、少しでも可能性のある面…





「美点凝視(びてんぎょうし)」

どんなときも美点を凝視し、人を元気に明るくする人でありたい。

福島正伸氏の心に響く言葉より…

2012-11-20 09:13:18 | 徳育

福島正伸氏の心に響く言葉より…



木村(仮名)さんは、3店舗のラーメン店の経営をしていました。

もともと厨房で下働きをしていた木村さんにとって、自分の店を持つことは当初からの夢でした。

そして、念願かなって、一店舗目をオープンすることができました。


目新しさもあって、一時はそれなりの人気店になり、その勢いで続いて、2店舗目、3店舗目をオープンさせました。

ところがその後、売上はいっこうに伸びず、それどころか次第に客数も減少していきました。

毎日、朝早くから仕込み、昼間は休みなく働き続け、スタッフが帰った後も深夜まで一人で片付け…。

我も忘れて、一生懸命に働いているにもかかわらず、毎月150万前後の赤字を出し続ける状況にまで悪化してしまいました。


駅前でチラシを配ったり、お客様に割引チケットを配ったり、知人の家の壁にポスターを貼ってもらったり、とにかくできることを見つけて、すこしでも売上を伸ばす努力を続けました。

しかし、どんなに努力しても、どんなに働いても、いっこうに店の状況がよくなる気配はありません。

次第に顔からは、笑顔が消え、いつも眉間にしわを寄せていました。

自信を無くし、生気もなくなっていきました。


木村さんが帰宅すると、妻の幸子さんと幼い子どもが寝ています。

その横で静かに着替えていると、目を覚ました幸子さんが、小さな声でいつも言います。

「今日も遅くまで、お疲れ様…」

「…まあな…」


そんなとき、木村さんは何と返事をしていいのかわからず、いつも力のない返事になってしまいます。

“妻に心の内を話したところで、どうにもならない。自分ひとりで解決するしかない”

もちろん、夫の苦しい状況は、妻の幸子さんもうすうす感じてはいたのですが、“お疲れ様”と言う以外、伝える言葉がありませんでした。

幸子さんも、なかなか寝つけない日々を過ごしていたのです。

何もできない歯がゆさに苦しみながら。


そんなある日…

木村さんが、いつものように明け方になって家に帰ると、寝ている幸子さんの横で、子どもが起きていました。

何気なく、そっと抱き上げました。

そして、あやそうとすると、やっと片言で話しはじめたばかりの子どもが、自分に何かを伝えようとしています。

「…ぱぱ」

何を言っているのか、はじめはよくわかりませんでした。

「ん?」

「…んち、ぱぱ」

それでも、子どもは同じ言葉を何度も言っているようです。

「な~に?…」

「…いちんちの…ぱぱ」

こちらの顔をじっと見て、必死に何かを伝えようとしています。

「何の、ぱぱ?」

そして、とうとう、子どもの言葉をはっきりと聞き取ることができました。

「にほんいちのぱぱ」

「!」

思わず、木村さんの目に涙があふれ、頬を伝って流れていきました。

「……………」

子どもを抱きながら、ただ泣きました。

それまで、必死に耐えていた心のたがが外れように、あふれてくる悔しさを我慢することができなくなりました。


“悔しい…なんと、自分は情けない人間なんだろう。

子どもの言葉に素直に、「そうだよ」と、うなずけない自分が…本当に悔しい。

日本一どころか、明日食べていけるかどうかもわからない。
この子は、それでも自分のことを、日本一と思っている…”

その日、木村さんは布団の中で目をつむっても涙が止まらす、とうとう一睡もできませんでした。


それから木村さんは一念発起し、よいと思ったことは、次々に行動に移していきました。

“どんな苦労をしてもかまわない、子供が誇りに思うような父親に、絶対なる!”

毎日、毎日、必死に研究を続け、その結果、次々と新しい料理を作ることに成功していきました。


実は、この話の陰には、妻、幸子さんの見えない支援があったのです。

仕事の面では何も手伝うことができない幸子さんは、心の中でいつも彼を励まし続けていました。

帰りの遅い父親がいない家の中で、毎日子どもに語りかけていたのです。

“あなたのパパは、日本一のパパよ”

『仕事が夢と感動であふれる5つの物語』きこ書房


たった一人でも、大切に思ってくれている誰かがいてくれるだけで人は頑張れる。

そして、時にはその一人のために、命さえかけることもできる。

「日本一のパパ」

もし、子どもにそういわれたら、どんな苦労も耐えられる。




.

















「自分の人生は喜劇」

2012-11-12 09:39:52 | 徳育
斉藤一人さんの心に響く言葉より…


一人さんは「自分の人生は喜劇」と決めてるの。

だから、オレの人生、おもしろくてしょうがない。

何が起きてもおもしろいんだよ。

だって、オレは、喜劇なんだよ。


だけど、なかには「悲劇」と決めてきている人もいる。

そういう人の人生って、なんでも悲しくて、何しても泣くんだよ。

だけど、その悲しいドラマ、本当は、いとも簡単に変えられるの。

脚本、変えればいいんだよ。

それで、オレたちはね、主役で脚本家なんだよ。


だから、一人さんは、たとえ、ものすっごい苦労がきたって、「笑い」なんだよ。

ふつうの人なら自殺しちゃうようなことでも、オレだったら大笑いなんだよ。

なぜかというと、「喜劇だ」って決めてるから。


だから、おかしくてしょうがない。

いろんなことが起きるとね、おもしろくてしょうがないんだよ。

この世の中ね、おもしろいと決めれば、全部おもしろいんだな。

だから、みんなも、自分の人生、自分で決めたほうがいいよ。


自分の人生な、成り上がりでもいいんだよ。

ウチにはお金がないんです…ということは、成り上がりになれるんだよ。

あのな。

昔から、代々お金持ちの家はお上品、と決まってるんだよ。

オレたちは成り上がり。

成り上がりには、成り上がりのよさ、というのがあるんだよ(笑)。


外車を買って、いい女を隣に乗っけて、って、成り上がりじゃなきゃできないことがあったりするんだよな(笑)。

それをいちいち「自分は成り金だから」とか、いっちゃいけない。

成り金は、お客さんを喜ばせて利益を出して、雇用を作って、って。

正当なる努力をして成り金になったんだから、エライんだよ。


人生は、楽しむ気になりゃ、どんなことをしても楽しめるんだよ。

だから、自分が主役、主導権を握ってないとダメだな。

『斉藤一人 自分さがしの旅』KKロングセラーズ




人は人生という舞台では、誰も自分で脚本を書き、自分で主役を演じている。

舞台には、喜劇や悲劇もあるが、人情劇、冒険活劇、愛情劇、狂気劇、復讐劇など、色々ある。

その舞台の脚本を、どんなものにするのかは、全て自分で決められる。

喜劇の主人公を演じるのもいいし、悲劇のヒロインを演じるのも自分の勝手だ。


だが、できることなら大笑いの喜劇の方が気分がいい。



どんなに悲惨な場面でも、その状況を楽しめる人がいる。

全て自分で決めたこと、と肚をくくって、人のせいにしない人は、どんな状況でも楽しめる人。

また逆に、こんな事になったのは自分のせいではない、と他責の人は、文句ばかり言って、嘆く人。


「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言ったのはチャップリン。

喜劇を演じるなら、細かいことは気にせず、時に、遠目で、ぼんやりとながめることも必要だ。




一度しかない自分の人生、笑いで満載の喜劇と決めて生きてみたい。



【誰に知られているか】

2012-10-16 08:55:05 | 徳育
【誰に知られているか】


水野俊哉氏の心に響く言葉より…


人脈とは、「誰を知っているか」ではなく、「私は誰か」が大事である。

つまり、「誰に知られているか」や「誰を呼べるか」が真価となる。


「同じ勉強会に参加したことがある」とか「○○さんセミナーに参加したことがある」は知っていることにはなろうが、そこで安心しては意味がない。

相手が自分を知っていて、なおかつ「会いたい」と思われるようなレベルを目指すべきである。

そうなるためにはまず、「人脈以外のことへ使う時間が人脈を開拓する」ことを理解しなければいけない。


例えば週に5回、交流会に参加し、週末はセミナーやパーティー。

さらに平日の朝も勉強会に参加するなどすれば、月に1000人と名刺交換することも可能である。

しかし、そうした労力に対して得られるリターンは少ないだろう。

なぜなら自分自身の価値を高める時間が奪われているからだ。


例えば、昔週に8回合コンに参加している知人がいたが、そんな生活をしていても、まともな恋愛にたどり着くのは難しいだろう。

なにしろ毎日が合コンなのだから知り合った相手とデートする暇もないし、頭の中も色恋のことばかり。

毎日勉強会やセミナーに参加して、名刺交換やfacebookで友達リクエストばかりしていないで、会を厳選して参加した方が時間効率は良いのではないだろうか。

『「成功」のトリセツ』角川フォレスタ



「私は○○さんを知っている」と、よく、有名人の名前を挙げる人がいる。

「では、その人を紹介してください」、というと、たいていの人がシドロモドロとなり、「いつかまた」ということになってしまう。


「どこかで会ったことがある」、「名刺を交換したことがある」、といった類の、単なる「知り合い」の域を出ない人間関係だ。

しかもほとんどが、相手の有名人はその人のことを覚えていない。


本当の人脈とは、自分がその人を「呼ぶ事ができる」、「その場で電話ができる」、というような知り合いのことをいう。

誰かを呼べる人は、日頃からその人に「何かを与える」ことをしている人だ。

もらってばかりいる人が、相手に無理を言えるわけがない。


人脈を作ろうとして、色々な会に出入りする人は、すぐに忘れ去られる。

その人に、「また会いたい」と思わせる魅力がないからだ。

ほんとうは、人脈を作ろうと考えるのではなく、自分の中身を磨くことが先決。




「誰を知っているかではなく、誰に知られているか」

魅力が高まれば高まるほど、自然と周りに人が集まってくる。

松下幸之助さんの 話

2012-10-14 08:48:25 | 徳育



素敵な話なので シェアさせていただきました。




『水道哲学の真髄』


前回の記事で、幸之助さんは水道の水のごとく、物資を安く提供することが生産者としての使命だと考え出しました。

水道哲学を考えたのは昭和初期で、まだまだ日本全体が物不足の時代でした。

しかし戦後、日本は高度成長をし、現在では逆に物余りの時代だと言われています。

そのことについて昭和の後期、幸之助さん80歳を越えた時に、このように語っています。


「このごろ日本は物が豊かになったから、そういうことはもう考えないでいいのではないか、ということをいう人も出てくるかもしれん。

もしそういうふうに考える人が出てくるとすれば、その人はその生産者の使命について、よう考えておらん人やな。」


いい物というのは、品質や性能がいいというだけでなく、材料は本当にいいものなのか、自然や人間の生存を脅かすなら、そういう材料はいい物とはいえません。


「ひとつの製品が十分に役目を果たして捨てられるときまで、人間や自然に迷惑をかけない、そういう物がいい製品と考えなければいかん。

そこまで考えていいものと、とらえているのか。」


生産者がいい物を作っていると満足してしまったら、おしまいだと幸之助さんは言います。

人間に本当に役立つ製品、人間の幸せに貢献する製品を懸命に求めて作ろうとする、そこに生産者の役目があると言います。


そして、安く作る、たくさん作るということも、まだまだ追求しなければと幸之助さんは言います。

安くて物がたくさんあるというのは日本ぐらいです。

世界中を見れば8割、9割の人たちが、不足の生活をしています。


「そういう人たちのことを考えれば、とてもいまの程度では安いとは言っておれん、わが国だけの状態だけを見て、もう十分に物があると考えたとすれば、それは豊かな国の傲慢と言える。

わが国だけを見てものを考える時代ではない。

世界全体、人類全体のことを考えんといかん時代になってきている。

いい物を安くたくさん作るのが生産者の使命だという考えは、これからますます必要になってくるよ。」


水道哲学というのはいつの時代でも大事なことだと幸之助さんは語ります。





塩工房

2012-09-18 18:56:54 | 徳育





http://www.youtube.com/watch?v=LrifJC1eOyw


竹野の 塩工房


こんなふうに 作られているんですね~☆




おにぎり 美味しいです。



ありがとうございます。





すべての人・もの・出来事にプラス面とマイナス面がある。

それらは2つで1セット。

電池に+極と-極があるように、コインに裏表があるように、

陽が差せば、日向と日陰ができるように。

プラスが良くて、マイナスが悪いというものでもないのです。




カルピスの原液

2012-09-17 10:06:15 | 徳育
秋元康氏の心に響く言葉より…


いまやITの全盛時代である。

パソコンやモバイル機器が使いこなせないと、ビジネスマンとして落第だというような風潮がある。


だが、僕はツールに関しては、どうでもいいと思うのだ。

「結局、もとは同じだ」ということである。

つまり、どんなものであれ、もともとの発想が面白くてソフトが面白ければ、地上波で流そうと、インターネットで流そうと、面白いものは面白いのだ。


僕がスタッフによくいうのは「カルピスの原液をつくれ」ということだ。

カルピスの原液ができれば、時代に合わせてさまざまな飲み物がつくれる。

僕が子供の頃、カルピスは瓶に入っていて、それを自分の好みに合わせて水で薄めて飲んでいた。

その後、「カルピスソーダ」などができ、さらに時代がもっと薄味で水感覚で飲めるものを求めるようになると、「カルピスウォーター」が大ヒット商品となった。

最近では、さまざまなフルーツと組み合わせた「フルーツカルピス」まで登場している。


だが、目先はどんなに新しくなっても、時代に合わせて形を変えているだけで、カルピスの原液自体は何も変わっていないのだ。

それと同じように、今後どれだけオフィス機器がハイテクになろうと、やっている仕事の「原液」は変わらないはずである。

大切なのは、どれだけ骨太でパワーのある「原液」がつくれるか、ということなのだ。


パソコンができようが、インターネットができようが、それは手段であって、その手段を使って「何をやるか」が問われている時代なのだ。

ツールに振りまわされるより、企画の核となる「原液」をどう生み出すか。

そこが、本当の勝負なのである。

『企画脳』PHP文庫


仕事によっては、パソコンやインターネットという「手段」の技量を磨くことが必要な人もいるかもしれない。

しかし大事なことは、パソコンやインターネットそのものより、それらを使って、「何を発信するか」、ということだ。


これは、店や会社の宣伝にも似ている。

どんなに大金をかけて目を引くような大きな広告を打っても、店や会社の中身がたいしたことがなければ、初めは行列ができても、あっという間にお客様は潮を引くようにいなくなる。

どんなに美人でスタイルがよかろうが、あまりにレベルの低いことばかり言うようなら、百年の恋も一挙に冷めてしまうだろう。


『大切なのは、どれだけ骨太でパワーのある「原液」がつくれるか』

外見を飾ることに汲々(きゅうきゅう)とすることより、中身を充実することこそが本質的な努力となる。