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『忙しい人』と『仕事ができる人』の違い

2012-08-29 09:37:27 | 徳育
『忙しい人』と『仕事ができる人』の違い

1、『忙しい人』は、「忙しい」と周りに言えば、「カッコイイ、頑張っている」と他人が評価してくれると思っている。
『仕事ができる人』は、「忙しい」と周りにに言うことは、「無能の証明」だと思っている。

2、『忙しい人』は、終了時間への認識が甘い。(なんとなく終わったらいいな~的な)

『仕事ができる人』は、絶対にここまでに終わらせるというスケジュール意識が強い。

3、『忙しい人』は、納期意識がギリギリ。(納期寸前で作業にとりかかるので、その仕事のみに集中してしまう為に効率が悪い。)
『仕事ができる人』は、前倒し。(納期より随分前から作業に取りかかるので、2つ以上の仕事を同時並行処理したりする効率の良い仕事の仕方ができる。)

4、『忙しい人』は、せっかくスケジュールを作っても、緊急事態・トラブルで乱れっぱなし。
『仕事ができる人』は、緊急事態・トラブルでスケジュールが乱される事がほとんどない。

5、『忙しい人』は、いきなり仕事にとりかかり、仕事完了に近くなった時点で「仕事の目的と最終完成物」を考える。
『仕事ができる人』は、仕事の始めに「仕事の目的と最終完成物」を明確にして仕事にとりかかる。

6、『忙しい人』は、「プライベートの時間を、とれたらいいな」的にしか考えていない。
『仕事ができる人』は、「プライベートの時間は絶対にとる」と最優先的に考え、その時間をホントに大切にする。

7、『忙しい人』は、相手の期待よりちょっと低い仕事を行い、手直しで時間をとられる。その為に誉められる事も少なく、モチベーションも上がらない。
『仕事ができる人』は、相手の期待を少し上回る形の仕事を行うので、手直しがほとんどない。そのためお客様や上司から誉められる事も多く、モチベーションもアップしていく。

8、『忙しい人』は、ホントはやらなくてよい仕事をたくさん抱えている。断るという事が苦手
『仕事ができる人』は、自分しかできない仕事が中心。頼まれた仕事を断る事ができる

9、『忙しい人』は、仕事にとりかかって、段取りを考える
『仕事ができる人』は、段取りを考えて、仕事にとりかかる

10、『忙しい人』は、段取りを考える時間を短時間で済まそうとする。
『仕事ができる人』は、段取りを考える時間を十二分にとる

11、『忙しい人』は、根回しがヘタ。仕事が完成した後に、関係者から異議がでて、トラブルシューティングに奔走する
『仕事ができる人』は、根回し上手。仕事を始める前に、重要な関係者をリストアップし、根回しを完了させる。仕事完了後に関係者からの異論はほとんど出ない。

12、『忙しい人』の優先順位は、納期期限が中心。納期が迫っているモノが優先順位が高い仕事になっている
『仕事ができる人』の優先順位は、仕事の効率とその仕事の目標への寄与・貢献度。

13、『忙しい人』は、集中できる環境を作る事ができない。電話や誰かが話しかけてきて作業の邪魔をする為に、同じ事を何度も考えないといけない。
『仕事ができる人』は集中できる環境を作る事ができる。誰も思考や作業を邪魔しない環境を作る事ができる。

14、『忙しい人』は、携帯電話にかける数より、かかってくる本数が多い。
『仕事ができる人』は、携帯電話にかける数の方が多い。携帯電話にかかってきて仕事を中断させられる事態を、先手を打つ事で防いでいる。

15、『忙しい人』は、自分が他人に頼んだ事を忘れている。頼んだ相手も、頼まれた仕事を忘れており、それがトラブルを生み出す。
『仕事ができる人』は、自分が他人に頼んだ仕事は決して忘れない。時折、チェックも入れるので、相手も忘れることができない。

16、『忙しい人』は、他人に事を頼むのがヘタ。依頼する際の打合せがヘタな為に、完成物を自分で手直しするのに時間がとられる。(人に頼まずに、自分でやった方が速いといった事になる)
『仕事ができる人』は、他人に事を頼むのが上手。依頼する際の打合せで詳細にイメージ合わせをする為に、完成物の手直しなどがほとんど発生しない。

17、『忙しい人』は、学習する時間をとれていない。いつまでも同じやり方で仕事をしている。
『仕事ができる人』は、どんなに忙しい時でも学習時間の確保を行っている。学んだ知識をもとに、もっと効率的な仕事のやり方を求めて、いつもチャレンジをしている

18、『忙しい人』は、同じような仕事でも、イチイチ考えながら仕事をしている。
『仕事ができる人』は、同じような仕事が発生したら、考える事なく、仕事ができる仕組みを作り上げている。

19、『忙しい人』は、運動などにも時間がとれなかったり、睡眠不足で仕事をしてしまう。時には徹夜も。そのため体調不良をおこしたり、身体に無理して仕事をしてしまう。それが原因のミスも生まれたりしてしまう。体調によりモチベーションも不安定になる。
『仕事ができる人』は、適切な運動を定期的に行い、十分な睡眠をとり仕事を行う。体調不良によるミス、集中力欠如によるミスは少なく、常に安定したモチベーションを維持している。

20、『忙しい人』は、「忙しい状態」を甘んじて受け入れてしまっている。
『仕事ができる人』は、「忙しい状態」事は絶対にイヤ。受け入れる事ができないと思っている。





作者: 小林英二

松本さ~~~ん。

2012-08-23 20:46:04 | 徳育

自分に自信がなくなると、

人は不安になる。


迷い、とまどい、

時には後ろ向きになってしまう。


でも、

自信を失ったことがない人間は、

幸福になれない。


満足してばかりでは、

進歩はありえない。


自信喪失感は、

成長するために

欠かすことのできない感情。


陽気で楽観的なスタンスを守り、

エネルギーが出る活動をして

自信を回復しよう!


それにはまず、

寝る、食べる、飲む、

話す、笑う、歩く、、、など

気力を回復できるような

活動をしてみること。


自分が

いちばん気楽にできること、

好きなことからやってみよう!









【日本は堂々の金メダル】

2012-08-16 10:00:27 | 徳育
【日本は堂々の金メダル】


双日総合研究所副所長、吉崎達彦氏の心に響く言葉より…


先月、「リオ+20」会議で国連環境計画が発表した「包括富レポート2012」は、世界20カ国を対象に、それぞれが保有する富を「物的資産」(機械や建物やインフラなど)、「人的資産」(人々の教育水準や技術)、「天然資産」(土地、森林、天然資源など)に分けて計算したものだ。

この尺度でいくと、日本は米国に次いで世界第2位の資産国となる。

「年収」で中国に抜かれたとはいえ、「富」を比較すると日本は中国の2.8倍もある。


また、人口1人当たりの富は、日本が堂々の世界1位であった。

日本が保有する富の大部分は「人的資産」にカウントされている。

教育期間や平均賃金、働ける年数などに基づいて算出したものだ。

「わが国の資源は勤勉で教育水準の高い人材だけ」という、長年の自己認識通りの結果である。


また、調査された20カ国のうち、1990年から2008年までの間に「天然資源」が減少していないのは日本だけであった。

これまた「環境のきれいな先進国」であるという、わが国の密かな自慢を裏づけるデータといえよう。

事実、この期間中にわが国の森林面積は増えているのである。


また、失業率と消費者物価を足したミゼラブル指数という概念がある。

その名の通り「国民の悲惨度」を示す指標であり、米大統領選などの際に、「ミゼラブル指数が高いと現職の再選が難しい」ことが知られている。

直近のデータで試算してみると、日本の失業率は4.4%であり、消費者物価上昇率の0.2%と足し合わせた4.6%は、世界の主要国では最も低い水準である。

先進国はどこでも二桁が当たり前だし、ユーロ圏には失業率だけで10%以上という国が少なくない。

日本の「悲惨度指数」は健闘しているといえるのだ。


が、得てしてこういういい話は注目されない。

つくづく悲観論が好きな国民なのである。

おそらく世界の謙虚度調査というものがあれば、日本は金メダル確定ではないだろうか。

『産経新聞 正論』(2012年7月27日)より



失業率と消費者物価を足した、各国の2011年のミゼラブル指数を調べてみた。

イギリス 12.67

イタリア 12.02

フランス 11.97

ドイツ   8.25

中国   8.10

韓国   7.57

日本   4.6


ヨーロッパ諸国の失業率だけで言うなら、スペインは21.64%、ギリシャは17.31%。

ちなみに、失業率1位のマケドニアは31.23%、2位のボスニア・ヘルツェゴビナは27.60%。

日本のミゼラブル指数の、4.6%がいかに低いかわかる。


また、日本人の意識調査では、日本の緑が減ってしまったと感じている人は7割以上いるが、実際は、わずかだが日本の緑は増えているという。

日本は森林率が67%で、これはフインランドやスウェーデンのように、世界の中でもトップクラスの森林国だ。


日本人はなぜか、悲観論と自虐ネタが好きな国民だ。

自分の国に自信を持ちすぎ、他国をバカにしたり、責めたりするようなことはしてはいけないが、日本人は、もう少し自国に対して誇りを持った方がいい。


日本は、人的資産においても、ミゼラブル指数でも、堂々の世界一。

オリンピックの金メダルも立派だったが、日本も堂々の金メダルだ。




◆肝臓から生じる欲求 

2012-08-14 09:14:19 | 徳育
**



◆肝臓から生じる欲求 



・競争に勝ちたい
・うらやまれる存在になりたい
・初志貫徹したい
・決めた事はやり遂げたい
・責任を全うしたい
・有言実行したい
・正義を示したい
・自分が正しいことを認めさせたい
・重要な人物として扱われたい
・自分がどれだけがんばっているかを理解させたい
・何でも理解したい
・何かを分解したい
・物事を最小限単位まで細かくしたい
・創造的破壊をしたい
・再構築したい
・あるものを組み合わせて新しいものをつくりたい
・確定したい
・決定権をもちたい
・どんな状況にも不動でありたい
・時間を守りたい
・期限や締め切りをちゃんと守りたい
・スケジュール通りに物事をすすめたい
・全員を共通のルールのもとに動かしたい
・さすがだと思わせたい
・どんな問題でも解決したい
・自分なら問題を解決できることを示したい
・自分はひと味違うというところを見せたい
・怒りを爆発させたい
・暴れたい
・殴りたい
・泥酔したい


◆肝臓のはたらき



肝臓の仕事はたくさんあります。

主なものは、タンパク質、ブドウ糖、脂肪分などの

栄養分の貯蔵と加工ですが、

ほかにも解毒、胆汁の生成、ホルモンの分解、

古くなった赤血球の分解など、

細かく見るとおよそ500種類もあると言われます。


◆肝臓から生じる欲求を抑圧すると… 

 ☞ 思考力低下、ホルモンバランスに影響。


【ミッキーマウスは来てくれない】

2012-08-13 14:55:47 | 徳育
【ミッキーマウスは来てくれない】


斉藤一人さんの心に響く言葉より…


空気中には、病原菌だっていっぱいいる。

社会に生きているってことは、大変なことが山ほどある。

それを大変だって思う人もいるけど、私は大変だと思わないんです。

あたりまえだって思っているんです。

そんな中で、「仕事って楽しいな」とか「空気が吸えて幸せだな」とか、「日本じゅうの人が、私を待っててくれて幸せだな」とか思うんです。


待ってたら誰かが幸せにしてくれるって言っても、待ってても誰も来ないんです。

待ってても、ディズニーランドが向こうから来てくれるわけじない、いいものはこっちから行かないと。

ミッキーマウスが家に来ることはないんです。

ミッキーマウスに会いたかったら、行くしかない。


誰かに幸せにしてもらおうとしても、無理なんです。

そういう人はたいがい不満をためる。

それで、不満をためてる人は、家庭や、職場や、どこかで吐き出すんです。

それは、人に迷惑をかけてしまうんです。

人に迷惑をかけている人は、幸せとはいえない。

幸せになりたいんだとしたら、そろそろ、そういうことはやめたほうがいい。


幸せは、自分の意思で作りだすものなんです。

それでも、どうしても不幸が抜けないんだとしたら、そこから抜ける方法があります。


不幸な人は、必ず微笑(ほほ)えみがないんです。

笑顔がないんです。

幸せだから笑顔になるんじゃありません。

笑顔だから幸せな気持ちになるんです。

先に笑顔なんです。


もう一つ、不幸せな人の特徴があります。

礼儀が足りないんです。

笑顔で礼儀正しい人に、不幸な人っていないんです。

これだけは絶対なんです。

「マイ・フェアレディ」って映画がありましたけど、マナーを守って微笑むようにしたら、誰にでも奇跡が起こるんです。

『ゆほびか GOLD vol.15』マキノ出版



「笑顔を出したほうがいいよ」というと、楽しいことがないから笑顔は出せない、という人は多い。

同様に、「朝、嫌なことがあったから、なんでほんとうのこと言っちゃいけないんですか」と言って、不機嫌な人がいる。

それに対して、斉藤一人さんは、こう言う。

「じゃあ、あなたは、髪が少ない人を見たら、ハゲてますよって言うんですかって」


嫌なことがあるから不機嫌だという人は、不幸だから笑顔が出ない、というのと同じだ。

先に、上気元(上機嫌ではなく)になるから、いいことばかり起きるし、先に、笑顔を出すから、幸せになる。


同時に…

礼儀正しい人は、挨拶がしっかりとできる。

礼儀正しい人は、「はい」という返事が気持ちいい。

礼儀正しい人は、「ありがとう」や「感謝」の言葉が多い。

だから、相手を不快な気持ちにさせないし、自分も機嫌よくいられる。


笑顔と挨拶を磨き、上気元で、幸せに過ごしたい。



【人間は情で動く生き物だ】

2012-08-10 08:27:17 | 徳育
【人間は情で動く生き物だ】


藤巻幸大氏の心に響く言葉より…


人間は情で動く生き物だ。

この先あなたが生きていくうえで、第三者の情に助けられる機会は幾度もあるに違いない。

ただし他人の情を手に入れるのは簡単ではない。

しかしコミュニケーションではこれを3年で手に入れることを目標にしたい。


世の中には同じ失敗をしても、「あいつは使えないからダメだ」と見切られてしまうタイプと、周りの人が手を差し伸べてフォローしてくれるタイプの2種類いる。

その差は実のところ、能力の差ではない。

実は「相手の情をつかんでいるかどうか」で決まることが多いのだ。


「情が移る」とは、一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、他人とは思えないような近しい気持を抱くことを意味する。

男女間やペットなどによく使われるが、仕事の人間関係や、友達関係にだって存在する。

あなたがこの先、さまざまな出来事を乗り越えていくためには、この情をつかめると強い。


この情という目に見えない不確かなものは、どうやったら手に入れることができるのだろうか。

実はそれは、あなたの日常にすべてかかっている。

常に誠意を持って接することや、こちらが好意を抱き信頼していることを言葉や態度できちんと示すこと。

目上の人であれば、たまには遠慮せずに甘えたり、頼ってみたりもしてほしい。

そして、あなた自身が情を感じている人が困っているときは、つべこべ言わずに助ける義理堅さも忘れてはいけない。


人様の情なんて、そう簡単につかめるものではない。

じっくりと時間をかけて関係を築き上げたうえで、ようやく手に入れることができるものだ。

だからこそ、一度つかんだ情はとても堅固で、かけがえのないものとなる。


あらゆる人間関係において、すくなくとも最初の3年は、情をつかむための時間と考えよう。

そのためには、どんなコミュニケーションも怠ってはいけない。

『10年後を後悔しない君へ』ディスカヴァー



「知と知、理と理では人は結ばれない。

人が結ばれるのは情と情、すなわち感応道交(かんのうどうこう)である。

感じて応じあってこそ道の交わりがある」

(感奮語録)“致知出版”より


感応道交とは、本来は、仏や師匠の教えを、弟子が瞬間的に感じとることであり、また身近な人同士が分かり合うことにも使う。


人は、知識や理屈ではテコでも動かない。

「感動」という文字のように、感じるからこそ人は動くが、「感動」は、「情動」であり、人は情で動くとも言える。


政治でも、経済でも、経営でも、芸術でも、スポーツでも、そして人間関係でも、突き詰めると、全ては「情」や「感情」で動いている。

つまり、好きか嫌いか、だ。


人に好かれることは大事だ。

むやみに敵を作ってばかりいたら、体がいくつあってもたりない。

どんなときも、「情け」を忘れない人でありたい。




福島の チョコボ

2012-07-29 08:25:12 | 徳育
名古屋のひろ子さんから 荷物が届きました。

ありがとうございます。



どうやって ボランティアしたらいいか~
一生けんめいに 考えて、これを 送ってくださいました。


感謝です。










チョコボ、ちょこっとボランティアチョコクッキー


福島を決して忘れない

福島の子供達がのびのび生きていく

チョコボは、そのための保養活動を応援します。

ありがとう

そして

福島の子供達に笑顔が戻るように
チョコボの問い合わせ

日進みちつくりの会
桑島08036548069
です。
また、買って下さい(^O^)







あり方

2012-07-20 09:07:51 | 徳育

「“やり方”より“あり方”」

「“to do” より “to be”」


何事をするにしても、

「これは何のためにするのか」

を一歩退いて考える。


将来の目的を定める時も、

何の動機からそれをするのか

を考える。


そうすれば、

人間がしばしば陥る

名誉心、貪欲さに

心を奪われること

がなくなる。


いつも動機を見つめていれば、

何事をするにあたっても

本末転倒にならないですむ。


“やり方”より“あり方”。


事をなす前に

つねに動機を見つめよう!



【二人の木こり】

2012-07-20 09:00:44 | 徳育
【二人の木こり】


アレクサンダー・ロックハート氏の心に響く言葉より…


二人の木こりがいた。

一番目の木こりは満身の力をこめて木を切った。

休憩も昼休みもとらず、できるだけ多くの木を切るために全力を注いだ。

朝は誰よりも早く働き始め、夕方は誰よりも遅くまで働き続けた。


他の木こりたちは、彼があまりにも早く木を切ることに驚嘆した。

しかし一日が終わるころには、二番目の木こりのほうが多くの木を切っていた。

一番目の木こりほど懸命に作業をしていたわけではないし、休憩を何度もとっていた。


一番目の木こりは二番目の木こりに歩み寄って質問をした。

「君はどうやって僕よりも多くの木を切るんだね?

僕の方が朝から晩まで長時間一生懸命に働いているはずなのに。

もしよければ、君の成功の秘訣を教えてくれないかい?」


二番目の木こりは一瞬考えて言った。

「成功の秘訣なんでとくにないけれど、これだけは間違いない。

どれだけ作業が忙しくても、僕は時間をとって斧を研ぐようにしているんだ。

斧がよく切れれば、より少しの労力でより多くの木を切ることができるからね」


この寓話でいう斧を研ぐという作業は、自分を高めるということだ。

私たちは時間をとって自分の人生のすべての分野で自分を厳しく見つめなければならない。

『自分を磨く方法』ディスカヴァー



どんなに技術があろうが、知識があろうが、その人の人間性が悪かったら成功はできない。

なぜなら、性格の悪い人には、協力者が集まって来ないからだ。


この人なら、「助けてやろう」、「応援してやろう」、と思われる人は、技術や知識があるだけでなく、人間性を磨き、自分を高める努力をしている。

例えばレストランのオーナーシェフでいえば、どんなに長時間働き、料理の勉強をして、おいしい料理を出していたとしても、店で、怒鳴り散らしたり、愛想が悪かったり、自分の料理を鼻にかけたり、傲慢だったりしたら、その店はたちどころに閉店に追い込まれるだろう。


技術を磨くのはもちろんのことだが、自らの心を磨くことも忘れないようにしたい。

「人生は正味30年」

2012-07-11 08:55:33 | 徳育



┌───先達に学ぶ─────────────────────────┐


     「人生は正味30年」


        森信三(哲学者)

                 『修身教授録』より
       http://www.chichi.co.jp/book/6_feature/syu-shin.html


└─────────────────────────────────┘






  人生の味わいは深いのです。
 人生の味わいが限りもなく深いということは、
 同時にまたその味わいが、
 限りもなく複雑だということでもあります。

  もちろん人生は、これを外側から見れば、
 きわめて単純なものとも言えましょう。

 つまり生まれて、食って寝て大きくなって、
 そして結婚して人の子の親となり、
 最後は年をとって死ぬ──

 これをもっと簡単に言えば、
 結局人間は生まれてそして死ぬ──という、
 ただそれだけのことだとも言えましょう。

 実際、人生と言うてみたところで、
 つまるところ、この「生まれて死ぬ」という
「生から死へ」の間にすぎぬとも言えるのです。

 したがってまた偉人と凡人の差も、
 結局はこの生から死への間を、
 いかなる心がけで過ごすかという、
 その差に外ならぬとも言えましょう。

 それにしても私が、この人生に対して、
 多少とも信念らしいものを持ち出したのは、
 大体35歳辺からのことでありまして、
 それが多少はっきりしてきたのは、
 やはり40を1つ2つ越してからのことであります。

 ですから、もし多少とも人生に対する自覚が兆し出してから、
 30年生きられるということになりますと、
 どうしても65、6から70前後にはなるわけです。

 もし今年から30年ということになると、73歳になるわけで、
 そうなるとまず肉体的生命の方が先に参ってしまいそうです。

 このように考えて来ますと、
 人間も真に充実した30年が生きられたら、
 実に無上の幸福と言ってもよいでしょう。
 否、私の現在の気持ちから申せば、
 それはずい分ぜいたくな望みとさえ思われるのです。

  このように人間の一生は、相当長く見積ってみても、
 まず70歳前後というところでしょうが、
 しかしその人の真に活動する正味ということになると、
 先にのべたように、
 まず30年そこそこのものと思わねばならぬでしょう。

 一口に30年と言えば短いようですが、
 しかし30年たつと、
 現在青年の諸君たちも50近い年頃になる。
 その頃になると、諸君らの長女は、
 もうお嫁入りの年頃になるわけです。


 道元禅師は「某は坐禅を30年余りしたにすぎない」
 と言うておられますが、
 これは考えてみれば、実に大した言葉だと思うのです。

 本当に人生を生き抜くこと
 30年に及ぶということは、
 人間として実に大したことと言ってよいのです。

  そこで諸君たちも、この2度とない一生を、
 真に人生の意義に徹して生きるということになると、
 その正味は一応まず、
 30年そこそこと考えてよいかと思うのです。

 ついでですが、私は、このように、
 人生そのものについて考えることが、
 私にとっては、ある意味では、
 自分の使命の一つではないかと時々考えるのです。

 ただ漠然と「人間の一生」だの
「生涯」だのと言っていると、
 茫然としてとらえがたいのです。

  いわんや単に「人生は──」などと言っているのでは、
 まったく手の着けどころがないとも言えましょう。


 そうしている間にも、歳月は刻々に流れ去るのです。
 しかるに今「人生の正味30年」と考えるとなると、
 それはいわば人生という大魚を、
 頭と尾とで押さえるようなものです。

 魚を捕えるにも、頭と尾とを押さえるのが、
 一番確かな捕え方であるように、
 人生もその正味はまず30年として、
 その首・尾を押さえるのは、
 人生に対する1つの秘訣と言ってもよいかと思うのです。










私も 結婚して 30年

長いようで。

あっという間のようで。

賞味30年って~


今が ど真ん中かな