カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

『風の王国』 五木寛之 新潮文庫

2018-02-27 09:59:42 | 本日の抜粋
この本は山の民の末裔の現代の物語なんだが、歩く、ということが殊更取り上げられている。
この本を読んで以来、徳さんは自分が歩いている時にこの本の登場人物が歩いているさまを思い浮かべるようになってしまった。
人はかつていかにして歩いたか。
それを引き継ぐ現代の山の民の末裔はどんな風に歩くか。

もちろん実際の徳さんの歩くさまはてんでなってない。
ほとんどの人に追い越される。
体調を崩して長期入院をして、退院して娑婆に出てきた時はよろよろ歩き。
今までだってたいしたことはなかった筋肉はすっかりおちてしまっていた。
いつ意識を失うか判らないと言われ、自動車もバイクも自転車の運転も取り上げられた。
じゃあ、バスと電車と歩きしかない。
最近は以前のように歩くことが苦じゃなくなってきた。
方向だけを見定めて、適当に路地を選んで歩くようにもなった。
そんな時にこの本に出くわしたのだった。


***
「小学校から中学生にかけて、わたしは一日に五時間ちかく歩いたの。それもすごい山道でね。石ころだらけの崖ぷちの道よ。蛇が沢山かたまっていたり、雨が降ると沢蟹がぞろぞろでてきたわ」*

「そんな学校の行き帰りに、わたしはいつも本を手から離さなかったの。もちろん、漫画から、雑誌や、小説までひどい乱読だったけど」*

「家を出たらすぐに本を出して視線は本のページにくぎ付けでしょう?帰りも学校から家までそうなの。いま考えてみると、すごくふしぎなんだけど、あんな曲がりくねった険しい山の道を、わたしはぜんぜん足もとを見ないでどうして歩けたのかしら。頭の中は物語の先が知りたくて一杯だし、目は活字だけを追っているのよ、それでも崖からも落ちず、岩にもつまづかず、蛇もふまずにすごく早く歩けたわ。いま考えてみると、ふしぎでしかたがないんだけど、本当の話よ」*

「子供のとき前を見ないでもあんなに歩けたってことは、人間にはそういう能力があるってことでしょう?」*
「ぼくはそれを足のレーダーって呼んでるんですよ。ある状態――それはちょって説明できないんですが、そんな状態に達すると、足に目ができるんです」*
「足の目、つまりレーダーが働きだすと、足が勝手に地形を読み、障害物をさけ、目的地へ忠実にぼくらの体をはこんでゆく。足の裏は荷重をささえる用具であることをこえて、意志と感覚をもった友だちになるんです」
「でも、そしたら足は自分とは別なものになって、勝手な方向へ歩いていってしまわないかしら」
「だから友だち、と言ったでしょう。ぼくらは、ある状態で独りではなく二つの存在になる。肉体と心が分離するんです。そして、うまくいけば、それぞれが――つまり、心をもつ足、と、足をもった心、となり、その二つがお互いに助けあうことで、ぼくらは独りの人間の倍も三倍ものことができるはずだ。ぼくはその可能性を信じています。自分の体験から、理屈では納得できない不思議なことが、この人間には起こりうることを学んだんです。歩くということ一つでもそうです。むかしアイヌの狩人がまる一日のうちに二五〇キロを歩いた話を、北海道の老人から聞いたことがあるけど、ぼく以外のだれも信用してはいないようでしたからね」
「わたし、そのアイヌの狩人の話、しんじられるわ」
   ***

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