カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

小川洋子 『妖精が舞い下りる夜』 角川文庫

2019-01-17 12:08:23 | 本日の抜粋
   *****
 背骨というのは、普段それほど意識するものではないが、他人のであれ自分のであれ、改めてよく観察してみると、精巧で不可思議で官能的な器官だ。小さな円柱形の骨の連なりであり、神経やすじや膜に取り囲まれ、複雑にしなる。裸で後ろ姿になった時しか、相手のそれを直接目にすることはできない。触れるチャンスと言ったら、抱き合って背中に手を回した時くらいだろうか。
 [ジェシーの背骨](山田詠美)について より
   *****
抱き合って相手の背中に手を回した時にしか相手の背骨には触れることがないという背骨。
そんな皆様の貴重な背骨をいじくり回し、果ては矯正と称してボキボキと関節運動までやっちゃう、、、、という罪深い仕事に徳さんは従事していた。
現在現役は引退したものの、請われたり押し掛けたりして所々で施療行為を行っている。

稼がねばならぬという強迫観念(私の場合、本人は気にも留めなかったが案外深層心理では働いていただろう)から解き放たれての施療は以前とは違った味わい深いものがある。


小川洋子さんは徳さんのお気に入りの作家の一人である。
日常からほんの少しずれた世界を拡大し不思議な世界に導いていってくれる。
だからこの背骨に関する記述の抜粋部に出くわし、喜んでしまったのだ。
しかし、何度か読み返すうちに、段々疑問の虜になってしまった。

背骨を観察してみるとって?
どうやって観察したんだろう?
まさか生体解剖をした訳ではなかろう。
徳さんは模型を参考にするしかないのだが、それを観察とは言えない。

精巧だというのは判る。
精巧でない生き物の組織など無いのだから。

背骨が官能的な器官。
これがよく判らない。
特殊、背骨だけが官能的な物言いだが、それでは他の組織が可哀想過ぎる。
背骨が官能的なら人体のあらゆる部分が官能的であるはずだ。
徳さんのような年老いた人の背骨も官能的だ、と言って貰えるなら特に反対はしないけど、、、。

施療士として背骨を考える時、直に触診出来るのは、棘突起と横突起と後部の靭帯や筋肉だけである。
後は内部の現場がどうなっているか想像しながらの施療となる。
背骨で大事なのは、その外面だけでなく、背骨と背骨の間にある椎間板の存在。内部に脊髄という神経の親玉の幹。そしてその脊髄を包むように周りを循環している脳脊髄液の存在だ。硬い組織の中に、柔らかい組織が守られている。

ともかく小川洋子さん、背骨を取り上げて呉れて有り難う。


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