カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

石牟礼道子*志村ふくみ 『遺言』 筑摩書房

2016-01-16 14:42:00 | 本日の抜粋
植物染料による織物で人間国宝になった志村ふくみさんと石牟礼道子の対談と往復書簡が載っている。

石牟礼さんの詩「幻のえにし」を巡って互いの想いがやり取りされる。
この詩が書かれたころの状況は

  *****
志村  「生死(しょうじ)のあわいにあれば」。

石牟礼 「生死のあわい」というのは、死ぬか生きるかのあわいを、いつも行ったり来たりしている、行ったり来たりしながら書いている。

志村  そのあわいで見てらっしゃるわけよね。

石牟礼 畑の縁(へり)などに群生している草々や小さな花々や、それらを慕って飛んでくる鳥や虫やを見ていると、原初の頃の大地はこの世に命の色として自分を形にしてきたと思うんです。

(中略)

志村  これは、じゃあ、ご病気になる前ですか?

石牟礼 ずっと前です。チッソ東京本社の前で真冬の正月にコンクリートの路上に新聞紙を何枚も敷いて患者さんたちのお供をしていた頃に書いたんです。しれはとても寒い冬でした。プラタナスという木の葉がそこら中に落ちていました。それを新聞紙の下に敷いて布団代わりにしていたんです。

志村  でも、既にこの中に、辞世の句というか、いのちとか、いまわの際、とか出てきますでしょう。やっぱりそれを感じてらっしゃるから、こういう「幻のえにし」が出てくるわけですよね。普通の状態では、とてもこれだけの言葉は出ませんもの、ねえ。

石牟礼 東京に出て来た漁民たちの姿をみていますと、こんなおもいが言葉となって湧いてまいりました。その寝姿をみていれば、水俣から東京まで歩いてきたような気がしました。寒くて凍死するんじゃないかと思って…… 
  *****

幻のえにし     石牟礼道子


生死のあわいにあればなつかしく候
みなみなまぼろしのえにしなり

御身の勤行に殉ずるにあらず 
ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば 
道行のえにしはまぼろしふかくして
一期の闇のなかなりし
ひともわれもいのちの真際 かくばかりかなしきゆえに 
煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば 
われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり
はたまたその海の割るるときあらわれて 
地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり
この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして 
われもまたにんげんのいちいんなりしや 
かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も 
ひとりのきわみの世を相果てるべく なつかしきかな
今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや
わが祖(おや)は草の親 四季の風を司り 
魚(うお)の祭りを祀りたまえども 
生類の邑(むら)はすでになし 
かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに 
わがまみふかき雪なりしかな
 






新宿カイロのHPは
http://chirozizii.com/


そして、なんでもブログのランキングというものがあるそうで、以下をクリックするとブログの作者は喜ぶらしい。

にほんブログ村 本ブログ 読書日記へにほんブログ村


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村


人気ブログランキングへ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿