今日、おじいちゃんちにお坊さんが来ることになっていたので、昨日はおじいちゃんちの掃除に行った。
私はお嫁さんとしては全然ダメダメで、おじいちゃんはおばあちゃんが亡くなってからはひとりで頑張っている。
幸いにも碁仲間が週の半分くらいおじいちゃんちに集まって碁をしている。
chieeも学校の帰りに寄ったり、こうして私たちはそれなりに細く長くつきあっている。
お盆とおばあちゃんの命日のある11月に、加害者である青年がお線香をあげに来てくれる。
もう5年が経つが、彼は今も変わらず来てくれる。
私は事故の直後に一度会っただけで、それから一度も顔を合わせたことがない。
でもおとうさんが交わした会話を聞くと、時折、彼の将来を案じたりする。
事故は不幸な出来事。
おばあちゃんは戻ってこない。
最愛の母親を亡くしたおとうさんは許せる気持ちにはなれないかもしれない。
妻を亡くしたおじいちゃんは孤独な老後になってしまった。
chieeはあれほどかわいがってくれたおばあちゃんの思い出を、もうほとんど記憶から失ってしまった。
血のつながった人にはそれぞれの思いがあるかもしれない。
私だってそのときは、何日間も泣いて泣いて泣き続けた。
本当に現実が受け入れられなかった。
でも事故は起こしたくて起こるのではなく、彼は本当に事故の直後から今に至るまで、誠意を示してくれている。
私は彼に事故のことをひきずることなく幸せになってほしいとどこかで思っている。
そうでないとおばあちゃんが報われない気がする。
最近では、おじいちゃんとおとうさんが彼に近況を訊ねたり、心配したり、ちょっとした会話の中に、被害者と加害者でありながら不思議な関係が築かれているように感じた。
そして、それは彼が誠実だからこそ生じたものではないかと思う。
前回まではあまりよい状況ではなかったが、今回は少し生活が安定してきているような話だった。
私はほっとした。
ふと、さだまさしの【償い】という曲を思い出した。
「あなたの気持ちはわかるけど それよりどうかもう あなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい」