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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「伝統」と「継承」について考えています。

2013-12-16 20:49:13 | 日本の仲間
この週末は、「伝統」や「継承」について、考える機会があたえられました。
・映画「利休にたずねよ」
・NHK「京都迎賓館」
・訪問「楽美術館」
・録画:NHK「サイトウキネンフェスティバル2013」

これだけ重なれば私でも考えてしまいます。

もちろん、主題は「客を迎える」姿勢であり、こころであり、カタチということになります。
そして、このことは「一日にしてならず」です。
京都という街が中心になることもうなずけます。

私たちが客人を迎えるカタチは、京都という街で生まれ育ち、継承されてきました。
それも戦いに明け暮れる時代に、時の権力者に寄り添いながら育っていきました。
決して、こころ平穏な時代に生まれたわけではありません。

荒れ狂う世情という水面のすぐ下で、荒ぶる武人の心を落ち着かせる役割をも担ったのです。
禅宗が武人のこころの糧となったことと近いかもしれません。

しかし、「宗教」と「美」は、時の権力と屹立する関係になりがちです。
それは新たなこころの支えであり束縛ともいえます。

権力者は、自分以外の権力や権威を認めるわけにはいきません。
自己否定につながるからです。

秀吉が利休に切腹を命じた理由もそこにあったと考えるのが自然です。

利休の死後、一旦断絶した千家は瞬く間に復興します。
一方、利休を葬った秀吉の後継は絶えてしまいます。

秀吉の権力は途絶え、新たに家康が興します。
千家は徳川の「作法」として繁栄することになります。

秀吉は「伝統」にも「継承」ならなかった。
一方、千家や楽歴代は現代にも継承され生きた伝統となっています。

ジャンルは異なりますが、小澤征爾さんの「サイトウキネン」への思い入れと熱意を見れば、氏が晩年を捧げる「美の伝統と継承」の存在を確信してしまいます。

私には、利休も小澤征爾も、美の探究者であるとともに美の殉教者に思えてなりません。


※京都・楽美術館





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