
オリンピックの「考え」がよくわかる開会式でした。
もちろん、IOCの「考え」です。
観客がいないだけに意図が分かりやすかったです。
聖火をなぜ続けたのか。
最終走者が祭壇に駆け上り火を点ける。
とても宗教的な儀式です。
選ばられた人のみその目で見る。
選ばられた人のみ演じる。
撮影が許された箇所のみ映像化される。
すべてはコントロールされ儀式化する。
コロナが選手や関係者とそのほかの全世界の人々をお互いに隔離したことで、明確になった「オリンピックの考え」です。
選手はそのための駒であり、メダリストは祭司の役割を担うのです。
一層、醒めた目になりました。
「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉は、
遥か昔に打ち捨てられました。
お読みいただきありがとうございました。