岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

あれから13年ですね。

2024-03-10 06:50:42 | 東日本大震災

思いは深く拡がった13年です。

地震、津波、原発事故。

すべてが過去ではなく現在進行中です。

能登半島大地震が新たな課題を突き付けています。

 

昨日はジムに出かけて(寒さ対策)、ランニングマシンでゆるく走っていました。

モニターにテレビが映るので、見ながら走ります。

丁度、NHKの設定になってました。

もちろん、音声は聞くことができません。字幕が付いていたので理解できました。(字幕重要)

東日本大震災当時、小学校入学前の少女が高校を卒業する日までのドキュメントでした。

もちろん、ずっと取材してきたわけではなく節目に取材してきたものです。

その少女は家族を失います。たった一人生き残りました。

育てたのは離れて住んでいた祖母と祖父です。

少女は家族への思いや想い出について一切話すことがなかったそうです。

これは育ててくれている祖母と祖父への思いがあったからでした。

しかし、心の中につらい記憶や思いを留め続けると心身に不調をきたすことになります。

彼女は中学生になると心身の危機をむかえます。

被災後、8年以上経ってからのことです。

体調の悪い時は長い時間保健室にいたそうです。

養護教諭が彼女の心をささえていました。

そのような生活の中で高校受験の準備を進め志望校に合格しました。

そして将来の夢をかなえるために大学受験を目指します。

将来に夢、それは養護教諭になることです。

中学時代に助けてもらったこと、自らの体験したことが他の人のためになると思ったからです。

私たちがリアリティを持って生きる世界は驚くほど狭いものです。

彼女はその世界の中で養護教諭という仕事がもっともやりがいのあることだと思えたのでしょう。

そして、志望した大学からの合格通知。

おばあちゃんと一緒に仏壇に供えました。

 

祖母は孫を高校卒業まで育てると決心して仕事をやめ13年間を「孫育て」に費やしました。

孫の高校卒業は祖母の孫育ての卒業でもありました。

おめでとうございます。

お疲れさまでした。

ランニングマシンの上でウルウルでした。

 

およみいただきありがとうございました。

 

明日は3月11日ですね。

 

※見出し画像は後楽園から見た岡山城です。



最新の画像もっと見る