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岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「桜井の別れ」とコメモレイション

2008-04-15 11:35:36 | 戦争を語り継ぐ
先日、大阪府島本町を訪れた折に、
楠木正成親子の「桜井の別れ」の記念公園(表現が正しいか)を
見る機会があった。

大きな碑がいくつも立っていた。
いつのものか、と建立日をみると明治の終わりだ。
乃木大将と東郷大将の書による二つの大きな碑が目立つ。
他に、楠木正成親子の別れの石像があった(写真)。
その台座には、「滅私奉公」と刻まれていた。

違和感があった。
別れと滅私奉公。
しかし、後醍醐天皇のために死を覚悟した忠君の別れだから、
身を滅して、天皇のために尽くすということになるのだろう。

この「桜井の別れ」を、国の歴史(正史)として、位置づけることが
必要な時代があったのだ。
明治の終わりといえば、日露戦争後である。
この戦争に勝った日本ではあるが、戦費はかさみ(国家予算の数倍規模)、
暫定増税もあった。
国民の生活は、厳しさを増していた。戦死、戦病死は10万人を超えている。
国民の多くは、戦勝気分のみでは生活できない状況であった。
しかし、耐えてもらわなくてはならない。

「桜井の別れ」を思い出し、見習ってもらわなくてはならない。
二人の息子を戦地でなくした乃木大将や東郷大将が率先して、
「桜井の別れ」=滅私奉公を説くことがもっとも効果的なのだ。

「桜井の別れ」顕彰は、国家によるナショナルヒストリーの
コメモレイション(記念・顕彰行為)となり、
学校教育の中にも取り込まれ、戦前に教育を受けた人の共通知識となった。
日露戦争が、帝国崩壊のターニングポイントとなったといわれるのは、
このことでもよくわかる。

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