
今年、ノーベル賞を受賞した下村脩さんの言葉(朝日新聞12月30日記事より)。
今年、注目された方ですね。
なにに注目されたか。
経歴、学歴、研究過程、研究成果。
こう書けば、下村脩さんのすべてといってよいのでは。
下村さんは1928年生まれ。
昭和3年生まれというとわかりやすい。
同世代の人の多くと私は接しているが、現役の研究者はいない。
下村さんは、今も自宅でキノコの発光機構を研究中だ。
少年時代、満洲や大阪にも住んだ。父親が軍人だったせいだ。
1945年には諫早で長崎に向かうB29を見ている。
諫早の中学校は被爆者の収容所となり人が大勢死ぬのを見た。
このような時代に将来なにをするかなど考えれるわけはない。
たまたま入学できたのが長崎医科大付属薬学専門部。
就職は断られ、研究をすることになる。
導かれように名古屋大の平田義正教授の研究室に入った。
研究テーマがウミホタルの発光物質ルシュフェリンの精製と結晶化だった。
米国の研究者が20年以上かけてもできなかったという。
彼は結晶化を10か月!で成し遂げた。
この研究で1960年、フルブライト留学生として氷川丸最後の航海を経験する。
(※もしかすると小田実さんと同じ時期かも)
山村さんはプリンストン大学でオワンクラゲの発光物質を研究することになる。
オワンクラゲ85万匹の話はもう有名になった。
「ぼくはアマチュア化学者だ。ちゃんとした型にはまった有機化学の教育を
受けていないが、そこが強みでもある。ほとんど独創で、自分で考え出した。
先生から教えられていないから、先入観も最小限なのだ」
「学会にいくのが嫌いだ。学会では誰かがアドバイスをしてくれる。
親切だけど、あまりいいアドバイスをもらったことはない。
発光物質の分野は研究者がとても少ない。最近こうした基礎研究を避け、すぐに
事業につながるような応用研究をする人が多い。---基礎を軽視すると
国として将来、損をすることになる」
ほんと、勉強になりました。
お年寄りの話しは、千金に値する。
※風格が出てきたチボリ公園の街角。もったいないぞ。
今年、注目された方ですね。
なにに注目されたか。
経歴、学歴、研究過程、研究成果。
こう書けば、下村脩さんのすべてといってよいのでは。
下村さんは1928年生まれ。
昭和3年生まれというとわかりやすい。
同世代の人の多くと私は接しているが、現役の研究者はいない。
下村さんは、今も自宅でキノコの発光機構を研究中だ。
少年時代、満洲や大阪にも住んだ。父親が軍人だったせいだ。
1945年には諫早で長崎に向かうB29を見ている。
諫早の中学校は被爆者の収容所となり人が大勢死ぬのを見た。
このような時代に将来なにをするかなど考えれるわけはない。
たまたま入学できたのが長崎医科大付属薬学専門部。
就職は断られ、研究をすることになる。
導かれように名古屋大の平田義正教授の研究室に入った。
研究テーマがウミホタルの発光物質ルシュフェリンの精製と結晶化だった。
米国の研究者が20年以上かけてもできなかったという。
彼は結晶化を10か月!で成し遂げた。
この研究で1960年、フルブライト留学生として氷川丸最後の航海を経験する。
(※もしかすると小田実さんと同じ時期かも)
山村さんはプリンストン大学でオワンクラゲの発光物質を研究することになる。
オワンクラゲ85万匹の話はもう有名になった。
「ぼくはアマチュア化学者だ。ちゃんとした型にはまった有機化学の教育を
受けていないが、そこが強みでもある。ほとんど独創で、自分で考え出した。
先生から教えられていないから、先入観も最小限なのだ」
「学会にいくのが嫌いだ。学会では誰かがアドバイスをしてくれる。
親切だけど、あまりいいアドバイスをもらったことはない。
発光物質の分野は研究者がとても少ない。最近こうした基礎研究を避け、すぐに
事業につながるような応用研究をする人が多い。---基礎を軽視すると
国として将来、損をすることになる」
ほんと、勉強になりました。
お年寄りの話しは、千金に値する。
※風格が出てきたチボリ公園の街角。もったいないぞ。