1896年生れの宮沢賢治は、10歳前後で東北大飢饉にあっています。
「日照りの時は涙を流し、
寒さの夏はおろおろ歩き」
の文章は、この冷害をうたっているのかもしれません。
東北地方の人々は過酷な自然に耐えてきた歴史があります。
必ず、復興されることと信じています。
1906年、石井十次は、東北に出張り、子どもたちを800人余り岡山までに連れ帰りました。
以下、「雨にも負けず」掲載です。
雨にも負けず、風にも負けず
雪にも、夏の暑さにも負けぬ、
丈夫な体をもち
慾はなく、決して怒らず、
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と、味噌と、
少しの野菜を食べ
あらゆることを、
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし、分かり、
そして忘れず
野原の、松の林の陰の、
小さな、萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば、
行って看病してやり
西に疲れた母あれば、
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、
行って、怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し、
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなに、木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ
褒(ほ)められもせず、苦にもされず
そういうものに、私はなりたい
「日照りの時は涙を流し、
寒さの夏はおろおろ歩き」
の文章は、この冷害をうたっているのかもしれません。
東北地方の人々は過酷な自然に耐えてきた歴史があります。
必ず、復興されることと信じています。
1906年、石井十次は、東北に出張り、子どもたちを800人余り岡山までに連れ帰りました。
以下、「雨にも負けず」掲載です。
雨にも負けず、風にも負けず
雪にも、夏の暑さにも負けぬ、
丈夫な体をもち
慾はなく、決して怒らず、
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と、味噌と、
少しの野菜を食べ
あらゆることを、
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし、分かり、
そして忘れず
野原の、松の林の陰の、
小さな、萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば、
行って看病してやり
西に疲れた母あれば、
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、
行って、怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、
つまらないからやめろと言い
日照りの時は涙を流し、
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなに、木偶坊(でくのぼう)と呼ばれ
褒(ほ)められもせず、苦にもされず
そういうものに、私はなりたい