goo blog サービス終了のお知らせ 

岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

宮沢賢治1 東北の旅66

2013-06-27 07:04:12 | 東北 2013年4月
2013年4月、三陸海岸の旅は、遠野、花巻を経て仙台に帰ります。
最後の一日は、ぜひ訪問したいと思っていた花巻・宮沢賢治記念館を観ました。

冒頭の写真は、JR釜石線の眼鏡橋です。
岩手軽便鉄道がその前身です。大正4年に開業しています。
「銀河鉄道の夜」の舞台です。





宮沢賢治は、明治三陸大津波(1896年)に花巻町で生まれ、昭和三陸大津波(1933年)に亡くなっています。
37年の生涯でした。
ということはわずか37年で大津波が2回、三陸を襲ったことになります。
東日本大震災を考えると115年で3回の大津波ということになります。

明治のころの言い伝えは500年に一度の津波と言われていたようです。
その言い伝えも今は正しいとはいえません。
これから先、いつ再び津波は来ても不思議ではないのです。


さて、宮沢賢治についてです。
彼が生きた明治から昭和にかけての東北は、地震、津波、日照り、冷害、早害と、自然の猛威に翻弄されています。

その厳しい時代に、賢治は彼独自の宇宙観を造り出し、人々の救済に駆け回ります。
彼は、日本帝国にではなく、「銀河の空間の太陽、日本陸中国の野原」に
「農民生活を一つの巨きな四次元の芸術を創りあげよう」と呼びかけました。

彼の志は挫折の連続でしたが、彼の創りだした宇宙は、今こそ、その輝きを増しています。
彼の理想郷にどれだけ多くの人々が魅了されているかしれません。

賢治の生まれた花巻は、遠野の街と「銀河鉄道」で結ばれています。
イーハトーブと遠野物語の二つの世界は精神的にも地理的にもつながっています。
この地域は、東北全体でも特筆されるべき文化圏を形成しています。
歴史や文化を見聞することが現在や未来の糧になるとするならば(私はそのように思います)、この岩手の桃源郷こそ
未来の糧になりうる地域です。



彼の宇宙を垣間見せてくれるのが、宮沢賢治記念館であり宮沢賢治童話村です。

特に、童話村は室内すべて撮影可能です。
しっかり撮影しました。
存分に見ていただけます。
4回に分けて紹介させていただきます。

まず、宮沢賢治学会イーハトーブセンターです。
宮沢賢治記念館の丘から下ったところにあります。









もちろん、外観と外景しか撮影ができませんが、森と空が目線を移さずに見ることができます。


最新の画像もっと見る