ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

無知の涙

2012-10-15 | 精神医療
昨日の夜、スポーツニュースを見終えてからフトNHK 教育テレビにチャンネルを移すと、ドキュメンタリーをやっていた。
途中からだったが、たちまち引き込まれて最後まで食い入るように見てしまった。

それは、昭和43年に19歳でピストル4人連続殺人事件を起こした永山則夫と、彼の精神鑑定に関するドキュメントだった。

永山則夫が極貧の家庭に生まれ、まともな教育も受けず死刑囚として『無知の涙』という作品を書いたことは知っていた。
しかし北海道網走市に八人兄弟の七番目として生まれ、リンゴの剪定職人だった父は酒と博打の中頓死し、青森の実家に逃げ帰った母のもとに措置された兄弟たちと共にゴミ箱を漁るようにして生きてきたことまでは知らなかった。

永山則夫の前半生は貧困と暴力、無知と怠惰に充ちていた。いや、それのみだった。
精神鑑定は、彼の凶行は「幼少時の劣悪な環境から受けた心的外傷が精神障害を引き起こした」ゆえ…と結論づけた。
今ではPTSD として誰でも知っている理論だが、その頃の日本ではまだそういった考え方を精神鑑定で採用することはなく、永山事件が初めてだろう…という。

私が強烈に惹き付けられたのは、44年前の事件にも関わらず、永山則夫が現在の日本社会にとても近しい存在に感じられたからだ。

もちろん永山則夫が生まれ育った昭和20年代30年代の東北北海道の貧困は、今はないだろう。でも関係性の貧しさという意味では、永山則夫的人物はむしろ増えているかも知れない。

彼は昭和40年に青森から単身上京してきて、渋谷の西村果実店に勤めた。
数ヶ月真面目に働いて職場の評価も高かったのに、ある日突然、全ての自分の持ち物を置いて忽然と姿を消してしまう。
そういうことを数年間で何度も繰り返したという。

独学て明大中野高校定時制に入り、そこでも評価されて学級委員に選ばれる。
ところが「これは自分にストレスを与えて学校を辞めさせようという陰謀に違いない」という妄想を抱いて中退してしまう。

「陰謀に違いないと思った」と語るテープを聴くと、確かに性格の歪み…という レベルではないと思われてくる。

永山則夫たち兄弟を今で言うネグレクトした母親の手紙も哀れを誘う。
全てがカタカナで書かれているのだ。

永山則夫はこの母にずっと強い憎しみを抱いていたが、獄中で色々書物を読んで勉強し、母と手紙のやりとりをしているうちに哀惜を覚え、愛情さえ抱くようになった。

連続殺人事件が起きたとき、私は9歳だった。
その後書物や映画演劇で何度も取り上げれた歴史的な人物なので、自分よりもずっと年上かと思っていたが、昭和24年生まれの永山則夫は私と十歳しか違わないのに驚いた。
今年生きていたら63歳。
人生のどこかで心許せる人物に出会えて善導されていたら、市井のちょっと変なおじさんとして暮らしていたかも知れない。

永山被告は一審では死刑の判決を受けたが、二審では精神鑑定結果が認められて無期懲役に減じられた。
しかし最高裁で差し戻され、死刑が確定した。

平成9年、刑が執行された。
享年48歳だった。