ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

兄の江差追分

2012-09-29 | 家族
今日は母と姉と三人で、兄が所属する混声合唱団の定期演奏会に行って来た。

会場は千代田区紀尾井町にある紀尾井ホールだった。
音楽や演劇はもちろん、芥川賞直木賞の授賞式にも使用される、都心の真ん中にある老舗ホールだ。

こんな名門ホールを、創立30周年を超えたとはいえアマチュア合唱団が使うなんてなかなか大変だな…と思った。

会場時間ちょうどくらいに着くと、もうかなりの人数が並んでいた。
ホールも老舗だが観客も老舗ぞろい…というのも変だが、六十代以上とおぼしき人たちが非常に多かった。80歳を越えている母があまり目立たないくらいに、高齢者率が高い。
「きっと皆、合唱団員の親兄弟なんだろうねえ」
なんて噂をしながら入場した。

兄がソロパートを取る曲があるらしい…と母から聞いていたので前から3列目の中央に三人並んで陣取った。
団員が入場して来ると、兄はステージの真ん中に立った。すぐに私と目が合い、緊張気味だった兄は軽く笑った。

初めに、旧約聖書の「詩編」を混声合唱とピアノ向けに作編曲した小品が六曲唱われた。
次に、プーランクというフランスの現代作曲家によるミサ曲が演奏された。

二十分の休憩の後、「北の譜(うた)」と題された、東北北海道の四つの民謡を混声合唱にアレンジしたプログラムが始まった。

その一曲目が「江差追分」で、兄はその前半部のソロをとったのである。


荒い浪風 もとより覚悟
乗り出す船は浮き世丸

西か東か身は白浪の
漂う海原果てもない


「江差追分」特有の非常なハイトーンで長く微妙な節回しを、兄は澄んだ声色で唄い切った。
それはクラシックのテノールとも民謡の拳回しとも違う、兄独特の声色だった。

兄はふだんとても無口で声を荒げることも全くない。

私は五十数年の人生で、兄のあのような声を初めて聞いた。
それが私たち家族全員の出身地である北海道の民の歌だったのは、偶然だったのか。

いずれにせよ、私は兄のソロを誇りに感じた。

演奏会が終わると、私たちは満足してそれぞれの家路に急いだ。

この二年間、私は心身の不調で兄の演奏会に行けなかった。
元気になってまた演奏会に行くことを小さな目標のひとつにしていた。
その意味でも良い日になった。

来年の演奏会は10月だという。その日まで家族が元気でいて、また揃って演奏会に行ければ良いな…と思う。