↑海津市歴史民俗資料館
海津市歴史民俗資料館で開催中の企画展「西美濃の円空仏」を見に行ってきた。
海津市内に現存する円空仏4体と、その他の円空仏5体が展示されていた。
地元の円空仏彫刻愛好者の作品展も併設されていた。
↑屋外に再現された堀田
海津市は濃尾平野を貫く木曽三川(木曽、長良、揖斐川)が合流する地点にあり、
はほぼ全域が海抜0メートル地帯で輪中と水屋が数多く見られる。
↑往時の堀田
資料館には「貝塚と古墳」「輪中と低地の農業」「高須藩」を主要テーマに
海津市の歴史や文化を紹介している。
資料館を後に宝暦治水工事に命を捧げた薩摩義士を祀る治水神社を訪れた。
工事中に薩摩藩士51名が自害、33名が病死し、工事完了後に
薩摩藩工事総奉行の家老・平田靫負も自害した。
↑薩摩義士像
この工事で亡くなった人たちを祭るために神社が建立された。
↑手水舎の脇を流れる揖斐川
↑隼人橋
↑薩摩義士碑
↑千本松原
治水工事の名残りの千本松原の一角に社があり、宝暦治水の悲しい史実に
思いをはせるにふさわしい場所であった。
近くの木曽三川公園で一息入れて、河口の桑名へ向かった。
桑名市の中心部にある海蔵寺には、多くの犠牲者と巨額経費の責任を取って自害した
平田靫負をはじめ薩摩義士21名の墓石があり市指定史跡になっている。
↑上流の河口堰
最後に木曽三川河口にある桑名の七里の渡しにゴールした。
現代の人もそのおかげを蒙っています。
薩摩藩の悲劇とともに当時の幕府の力の偉大さを思い知らされました。
義士の碑が青い空に・・・悲しみを感じます。
ゆったりと流れる木曽三川の姿からは
悲劇を連想することはできません。
裏には強い力を持つ薩摩藩弱体化の策略
があったとも言われています。
幕命に逆らえず大きな犠牲が、水害で苦しむ
農民を救ったのですね。