(明治三十八)年になると旅順陥落、
奉天占領、日本海海戦勝利などで新聞は報道のほかに、
祝勝会に合わせた行事を企画。特に同年五月二十七、
二十八日にあった日本海海戦の報道では、
唯一現存する「東洋日の出新聞」の場合、
同三十日付で「大日本海軍全勝 バ艦隊全滅」
の二段抜きの毛筆文字の大見出しが躍った。
長崎新報も従軍記者を派遣。
内外の重要な情報源の地にも特派員を置いた。
紙面でも写真銅版を採用、
実写報道の端を開くなど戦局報道に知恵を絞る一方、
無休刊を励行。号外を一日に二、三回も頻発した。
徳川 大樹
長崎の歴史
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