左から二人目山口![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/78/ef1641c313999aaf46635f9a92fe4cf4.jpg)
佐賀藩士「山口 尚芳」補足1
~岩倉使節団(1)~
明治4年(1871)から約2年間に渡って、
欧米を見て回った岩倉具視をトップとした使節団です。
開国間もない日本のリーダーたちが、
今後の日本をどうすべきか視察して回るなかで、
外交とは互いの利をぶつけ合う場だと学び、
どの国にもその成り立ちに歴史があり現在があることで、
日本の未来をどう創造していくかを考え、
その後の日本をかたちづくる上で
とても意義のあるものであったと思います。
しかし、
「条約は結び損い金は捨て 世間へ大使何と岩倉」
と狂歌にも歌われるほど、
当時の人々にとっては不満な事もあったようです。
NHKの番組「その時歴史は動いた」で取り上げられ
岩倉具視と4人の副使の5人が写った写真が何度も出てきて、
副使大久保利通、伊藤博文、木戸孝允の説明はあったものの、
山口尚芳(やまぐちますか)だけは
一度も名前すら読んでもらえなかったそうです。
残念な認識ですね。
古美術 崎陽
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/78/ef1641c313999aaf46635f9a92fe4cf4.jpg)
佐賀藩士「山口 尚芳」補足1
~岩倉使節団(1)~
明治4年(1871)から約2年間に渡って、
欧米を見て回った岩倉具視をトップとした使節団です。
開国間もない日本のリーダーたちが、
今後の日本をどうすべきか視察して回るなかで、
外交とは互いの利をぶつけ合う場だと学び、
どの国にもその成り立ちに歴史があり現在があることで、
日本の未来をどう創造していくかを考え、
その後の日本をかたちづくる上で
とても意義のあるものであったと思います。
しかし、
「条約は結び損い金は捨て 世間へ大使何と岩倉」
と狂歌にも歌われるほど、
当時の人々にとっては不満な事もあったようです。
NHKの番組「その時歴史は動いた」で取り上げられ
岩倉具視と4人の副使の5人が写った写真が何度も出てきて、
副使大久保利通、伊藤博文、木戸孝允の説明はあったものの、
山口尚芳(やまぐちますか)だけは
一度も名前すら読んでもらえなかったそうです。
残念な認識ですね。
古美術 崎陽
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