佐賀藩士「山口 尚芳」補足2
~岩倉使節団(2)~
明治4年(1871)11月12日
総勢46名の使節団一行は
18名の随従、43名の留学生らとともに横浜を出航した。
出航時の岩倉使節団団員の平均年齢はおよそ32歳。
最年長の岩倉ですら48歳、
副使の木戸が39歳、
大久保が42歳、
山口が33歳、伊藤は31歳。
使節団そのものが若き獅子たちの一行であった。
元来、この計画は前掲フルベッキが
明治2年に大隈に手渡した遣外使節派遣の建言書
「ブリーフ・スケッチ」がもとになっている。
当初は大隈が発議し、
彼自身が使節の任に当たる企てであった。
しかし、結果的に彼は日本に留まり
「留守政府」の大任を負わされた。
岩倉大使のもと、
薩摩出身の大久保、
長州出身の木戸・伊藤という陣容の中で、
山口は、大隈に代わる肥前という藩閥の代表であった
という見方もある。
古美術 崎陽
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