『長崎奉行』~6 2013-06-22 05:25:20 | 長崎の歴史 しかし、川口宗恒が元禄3年(1690)に 従五位下摂津守に叙爵された後、 長崎奉行は同等の格に叙されるようになり、 元禄12年(1699)には京都町奉行よりも上席とされ、 遠国奉行の中では首座となった。 奉行の役所は本博多町(現、万才町)にあったが、 寛文3年(1663)の大火で焼失したため、 江戸町(現、長崎市江戸町・長崎県庁所在地)に 西役所(総坪数1679坪)と東役所が建てられた。 寛文11年(1671)に東役所が 立山(現、長崎市立山・長崎歴史文化博物館在地)に移され、 立山役所(総坪数3278坪)と改称された。 この両所を総称して長崎奉行所と呼んだ。 古美術崎陽 長崎の歴史 « 『長崎奉行』~5 | トップ | 『長崎奉行』~7 »
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