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天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

嫁と読書交流3弾目

2016-11-16 06:01:34 | 


長男の嫁から「これを読まないと人生をしくじる」といって貴志祐介の『天使の囀り』(1998/角川書店)を薦められた。

「BOOK」データベースによると、
北島早苗は、ホスピスで終末期医療に携わる精神科医。恋人で作家の高梨は、病的な死恐怖症だったが、新聞社主催のアマゾン調査隊に参加してからは、人格が異様な変容を見せ、あれほど怖れていた『死』に魅せられたように、自殺してしまう。さらに、調査隊の他のメンバーも、次々と異常な方法で自殺を遂げていることがわかる。アマゾンで、いったい何が起きたのか?高梨が死の直前に残した「天使の囀りが聞こえる」という言葉は、何を意味するのか? 前人未到の恐怖が、あなたを襲う。
というもの。

高梨のほかにアマゾンに同行した動物恐怖症の大学教授はのこのことトラに近づき身をさらすようにして食われて死ぬ。同じく同行したカメラの女性(母親)は最愛の一人っ子をを殺害してしまう。それは前の子をなくしていただけに一番の恐怖のはずである。
醜形恐怖に取り憑かれていた青年は自らの顔貌を薬品でどろどろに溶かして死ぬ。不潔恐怖症の囲碁少女はアオコの腐敗臭漂う沼で水死する。
いってしまうと、ブラジル脳線虫が寄生したのである。このことはネタバレなのだが、ミステリーとしては割と早い段階で線虫が寄生したのだとわかる。

作者がネタをばらしてしまうのに興味を最後まで維持できるところがすばらしい。
神話と生物学との関わりとか知識を満足させてくれるとともに、ヒトがヒトでなくなっていく奇態の描写は背筋が震えるほど怖くスリリング。匂いに包まれて嘔吐しそう。
文章がていねいで落ち着いていてテンポがある。すなわち描写が優れていること。
たとえば帰国して様変わりした高梨が早苗を抱こうと迫るシーンや、寄生した依田に接吻されるときのおぞましさの描写は極上。
またゲームの中でしか恋をできない青年の「沙織里ちゃん」に対するバーチャルな恋心もぞくぞくする。

本書は「ホラー」といわれるようだ。
ぼくはホラーでもサスペンスでもなんでもおもしろければ読む。基本的に文章が優れていることと甘くないことである。文章が優れているということは描写力とテンポ、リズム感である。

嫁から薦められた作家はこれで二人目。
最初は京極夏彦の『姑獲鳥の夏』であった。嫁は推理小説として惹かれたらしいがぼくは京極堂シーリズよりまず『ヒトでなし』『嗤う伊右衛門』『数えずの井戸』など興味を持った。結果、嫁より多く京極さんを読んだことになる。
ぼくから嫁に薦めたのが恩田陸『蜜蜂と遠雷』である。
本を読み合うことで人の性格や嗜好を確認していくのも乙なものである。
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「ちはやふる」模範演技at府中の森芸術劇場

2016-11-14 16:38:07 | 文化

手を挙げて入るのが橋本選手、たすき掛けが坪田クイーン。読手が三岡樹里さん。


きのう13時から府中市の「府中の森芸術劇場」において、マンガ「ちはやふる」のイベントの一環として、第59、60期連覇のクイーン、坪田翼さんと府中白妙会のA級、橋本真衣子さんが模範演技をした。
読手(どくしゅ)は、三岡樹里さん。
解説が作務衣姿の府中白妙会の前会長の前田秀彦8段。
橋本さんはA級になるまでわずか8ヶ月のスピード出世した選手だが坪田さんに敗れた。

競技かるたを見るのははじめてで見るほうも緊張した。
マンガでは千早が指を痛めるシーンがあるがそれも起こり得るなあと思うほど格闘技の要素があって興奮した。
速いのだが両者とも手の動きがきれいで線を感じた。
前田さんは選手の心理状態まで踏み込んだ穿った解説をして見せてくれた。演出力もある人でマンガのモデルとなったわけも理解できた。

ぼくは取ることよりも読手(どくしゅ)の読みに注目していた。
三岡樹里さんが何級の読手か知らないが聴きやすかった。

読手(どくしゅ)は以下のようにレベルがあるという。
B級公認読手 … B級以下の公認大会で読むことができます
A級公認読手 … 3大大会を除く公認大会で読むことができます
専任読手 … 3大大会を含む全ての大会で読むことができます
3大大会というのは名人・クイーン戦、全日本選手権、選抜大会という最も格式の高い大会です。これらの大会で読むことのできる専任読手の資格を持った人は現在日本に数人しかいません。
上手い読みとは
•正確な読みであること
•読みの高さ、早さ、余韻、間などが一定であること


和歌は俳句に比べて読みが映える詩型である。それは五・七・五・七・七という長さからくるゆとりである。
これに比べて俳句は片言であり読みを楽しむ要素が少ないのだが、俳句においてもしっかり読むことの大切さは感じた。
かるたを取るのは無理だが読手はやってみたい気になった。それほど樹里さんの読みはよかった。


作務衣のかたが前田秀彦8段

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僕が受験に成功したわけ

2016-11-13 06:14:05 | 


「僕が受験に成功したわけ」は乃南アサが「小説新潮」2004年5月号に発表した30ページほどの短編。
『それは秘密の』(2014/新潮社)なる短編集に収められている。

乃南アサといえば直木賞受賞作『凍える牙』の男社会へ立ち向かう女刑事の気骨と根性とオオカミ犬を白バイで追う疾走感と孤高の世界が見事であった。
同性へエールを贈るような作品が多く、『水曜日の凱歌』では戦後「性の防波堤」となって子供を育てて生きぬいた女たちを、『いつか陽のあたる場所で』『いちばん長い夜に』では刑務所から出た女二人の苦労に満ちた下町での生活を描いて身にしみる。

本書は長篇が得意の作者の息抜きという感がある。男と女をめぐる内容が多いが「僕が受験に成功したわけ」だけはやや異質。
小学6年生の僕と転校生の森島という設定である。
僕はまだ女の子にそう興味がないのに森島は積極的に言い寄って僕を彼にしたがる。ある日、自宅に誘われて行くと森島の母を見て驚く。
その場面、

「遠慮しないで、どうぞ、上がって」
目の前に白い顔があった。笑ってる。花びらみたいにピンク色の唇の隙間から、白い歯が見えた。茶色い髪が、さらさら揺れている。これが森島のおふくろさん? 僕は、呆気にとられそうになった。若すぎる。化粧なんかしているし、大きくあいた襟元には、ネックレスも。まるで、その辺の姉ちゃんみたいではないか。慌てて目をそらしたら、また足が視界に入ってきた。僕は、今度は急に、尻の穴に力が入るみたいな、妙な感覚に襲われた。喉が貼りつきそうだ。
―――すげえ。
明るい肌色の、まるで輝くような足だった。思わずその場に屈んで、正面からしげしげと眺めてみたい足だった。


森島の母は自分の母より年上だが別の人種のように見える。昆虫のようにただ手足が長いだけの森島をこの母が生んだとは思えない。
それが僕の前を通りすぎるたび僕の心臓はぱくぱくし、ちんこが感じてしまう。

彼女のお母さんは本当にミニスカートが好きらしかった。見事なくらいに、いつ行っても、膝小僧の上まで見えるどころか、尻と足の付け根だけ隠しているような印象のスカートから、何度見てもドキリとする足を見せている。そして、その足でひっきりなしに僕の前や横を通るのだ。

森島の母は僕が自分に女を感じていることを察知していよいよ足を見せつけて誘惑する。
ぼくはそのころの自分を思い出してしまった。
中学生のころ裏の山の中を灌漑水路を通す事業があって労働者諸君が村に入っていた。妻帯者もかなりいて30代の奥さんはよく村の雑貨屋へ買い物に来た。
彼女たちは村のおばさんとえらく雰囲気が違い、スカートをしどけなくはいていた。
スカートの端からシュミーズが見えていたりすると僕らは目のやり場に困った。ひどく性的な匂いがした。
特に夏は彼女たちの着るものは肌が露出して扇情的であった。
そのことを「僕が受験に成功したわけ」は強烈に思い出させてくれた。
男子の性への心理をここまで抉って見せてくれた乃南アサはすばらしい。

唐突な題名である。
それは書かれていないが、結局、森島母子は急に父のいるアメリカへ帰ることになり魅惑的な足も消えることになって僕は受験に成功したらしいのである。

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「ちはやふる」片町文化センター

2016-11-11 16:32:41 | 世相


ぼくが勤めるアパートから300mほどのところにある片町文化センター。
ここの4階にある図書館へよく行くのだが最近壁にマンガの絵がべたべたと出来した。
マンガ「ちはやふる」である。末次由紀が百人一首競技かるたをテーマとしたマンガであり、その舞台がここ片町文化センターだそうだ。主人公たちが京王線分倍河原駅で降りてこの文化センターへ練習にくるシーンもある。
主人公、綾瀬千早の属す「府中白波会」のモデルは「府中白妙会」という。

モデル志望のかっこいい姉に憧れるだけだった小学6年生の千早の学校に福井から綿谷新がやってくる。彼は競技かるたの名人を祖父に持つかるたエリートで彼とのつきあいで千早はかるたのおもしろさに目覚める。
千早にはこの世界で「感じがいい」という音感のよさがあったのだ。
つまり音の一歩先の音に対しての聴覚が抜群に秀でているのである。その音感のよさで札を察知する能力に千春は誰よりも秀でているのである。この才能を発揮して千春は新とともにチームを引っ張っていく。
前半の花は千早と新の属する瑞沢高校が常勝軍団富士崎高校と団体戦決勝でぶつかりこれを倒す場面だろう。

高校生のドラマを読んでいて俳句甲子園もマンガになればもっと盛んになるかなと思った。けれど俳句はかるたと違って、札を取るときの格闘技のようなシーンがないので絵にしにくい。
どうしても頭の中の言葉中心の展開とならざるを得ない。



現実の風景を変質させてダリの絵のようにすることを俳人はやっている。写生といっても現実へ大胆に刃を入れて内奥をえぐるようなことをしているし風景と風景を切って貼るような荒業を駆使している。
そうとう優れた絵描きなら俳人の頭の中と現実との格闘シーンを見せられるかもしれない。俳句をマンガ化できたらマンガ界が変るのではないか。意欲的なマンガ家の出来を期待する。

「ちはやふる」で言葉に興味を持つ若者が増えれば結果的に俳句に興味を持つ人が増えることはありそう。
それにしても片町文化センターの壁の絵はずっとこのまま存続するのだろうか。飽きたとき刺青を落とすように面倒ではないかいささか気になる。
ブームは冷めやすいのである。


明日、明後日、府中の森芸術劇場で行なわれる「ちはやふる」のイベント
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メディアはクリントンをえこひいきした

2016-11-10 12:16:24 | 新聞


第45代アメリカ大統領にドナルド・トランプ氏が当選した。
きのうテレビの速報を昼ごろ見て驚いた。クリントン氏リードかと思いきや逆でありその勢いはずっと変わらなかった。ほとんどの局面でトランプ氏が先行してそのまま押し切った。接戦であったが圧勝といっていい。
クリントン氏有利はテレビ討論3回で圧倒した印象がもたらしたのであり、それにいろいろなメディアが追従した観がある。

けれど蓋を開けてみるとアメリカ国民の投票行動はメディアがこしらえた通りには運ばなかった。テレビ討論でのトランプ氏の過激発言がアメリカ国民にそう影響を与えなかったことになる。
つまりメディアは目立つ討論のようなものばかり見て全国津々浦々の生きている人たちの取材を怠っていたのではないのか。
トランプ氏が大統領になると世界がどうなるか不安であるからクリントン氏になってほしいという希望も加わってクリントン氏有利の雰囲気をつくったのではないか。メディア全体にクリントン氏待望論が根強くあってミスリードしたと思われる。

今回のアメリカ大統領選でテレビや新聞の憶測記事がいかに当てにならぬのか露呈した。
本日の讀賣新聞の隅に「事前の世論調査では、ほぼ一貫してクリントン氏が優勢だった」と申し開きのような一文があるのだが、それはどんな調査だったのか。明らかにして欲しい。文字はたいして調査をしなくてもそう書けば調査したことになってしまう。
詩歌や小説は嘘がまかり通っておもしろくなるジャンルだが報道はそれでは困る。
トランプ氏有利を打ち出せなかったのは調査取材が足りなかったのひとことに尽きるのではないか。

一般紙より競馬新聞の記者のほうがしっかり取材する。朝夕馬を見に行き調教師に話を聞いたり疾走する馬を見てタイムを計ったり。
それでも当ることがままならぬのはことが生き物ゆえのことである。したがってスポーツ新聞はA社、B社、C社がまちまちの勝ち馬予想を掲げる。
しかし一般紙のこんな長い選挙戦の報道においてトランプ氏有利を打ち出した新聞がないのは寒い。
これではかの太平洋戦争時、「大本営発表」をそのまま事実として伝えた痛恨事の反省がまるでできていないといっていい。

新聞社がニュースを買う相手の通信会社の記者にしても当地で綿密に取材しているとは限らない。事務所にいて国や当該部署がリリースするものだけをハイハイと承ることが多いだろう。
ぼくはテヘランである大手通信社の事務所に泊ったことがある。通信社勤務の友人がいて泊めてくれたのである。そのとき彼の仕事ぶりを見て物足りなさを感じた。街へ出て現地の人の話を磨る機会が少ないのである。
市役所など公的機関が発表する話を本国に打電するのが主な仕事のように見受けられた。

特派員や支局員がアメリカみたいな広大な国の取材をするのは困難だとは思うが、取材等根本的に考え直さないといけない。
讀賣新聞はミスリードをごまかすかのようにトランプ大統領にしたことのポピュリズム批判を展開しているが情けない。
新聞社が持論を展開するのはいいがそれよりも大事なことは正しい情報を伝えることではないか。アメリカ人の選択の悪さを喧伝して自社の報道が外れたことを隠すのは情けない。
新聞社はなぜミスリードしてしまったかという反省をしてもいいのではなかろうか。
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