天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

晩年を賭ける温州みかん

2016-11-22 12:06:44 | 身辺雑記


清掃等のつとめをしているアパートの庭に温州みかんの苗木を植えた。
苗木は近くのShimachuで3480円、だいたい外れる馬券よりましかと思って買った。
桃栗3年柿8年というがみかんはどのくらいで実をつけてくれるのか。

野生果樹採取生活をするようになって関東でも南国特有のものが結構採れることに気づいた。
ヤマモモは宮尾登美子のエッセイ『楊梅の熟れる頃』で四国しかできないように錯覚していたが東京でも豊かに実る。
みかんは瀬戸内海特産で東京のものはまずいだろうと思っていて、とある空地にたわわに成ったみかんを試しに食べてみてその美味に驚いた。甘くてジューシー。袋も薄くてやわらかい。
店頭にある温州もののと遜色がないではないか。世界の見え方が一変した。
それで温州みかんの苗木に賭けたわけである。

4年前このアパートの土にいろいろな果樹を植えた。
しかし実をつけてくれたのはブラックベリー、無花果、李くらい。あと3種類植えたのだが桃は大失敗。木や枝がぐんぐん伸びたものの実がつかない。毎年、伸びた枝の剪定ばかりやっている。徒労…。
一昨年、庭園業者が入って大規模剪定をしたとき、ちょっと目を離したすきにアフリカ出身の業者が左右に8mも張ったブラックベリーを根本から切ってしまった、あああ。
無花果も丸坊主にしてしまった。
実がつくか否かの機微まで理解しろというのは無理なのか外国人には…。
ブラックベリーと無花果はからだの修復にこの1年を費やした。来年はまた実を供給してくれるだろう。

温州みかんが採れると10月のギンナン、柿からうまく興味がつながる。12月のみかんは尊い。
5年先、小生が70歳になったとき食べられることを期待している。みかんが実った木を想像すると70歳は輝いてくる。
みかんが実るまでとりあえず生きていたいなあ。
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飯島晴子のようにわれ激す

2016-11-21 18:53:42 | 俳句


おとといの蘖句会で134句見た中で次の一句はぼくの神経を逆撫でした。

胎の子へピアノ弾く嫁小鳥来る
 

鷹同人の点が入ったのでよけい気に入らず暴言に近い口調で嫌だなあとわめいてしまった。
「胎の子へピアノ弾く」とは胎教というやつか……だいたい何かためになるためにこれをしましょうというセンスが大嫌い。
そういう価値観にまずとらわれてしまった。

学校で読書感想文を書くために本を読む……嫌だ。
そのための課題図書があって……嫌だ、それは人間の品性がよくなるもの、正義に貢献するもの……嘘っぽい。
「胎の子へピアノ弾く」なんてそういう路線のうわべの幸福じゃないか。
調子に乗っている人に飢餓や虐殺やその他の酷い修羅が充満している自分の住む五キロ圏外の広い世界が見えているのか。そういう酷さと関係なくぼくらは生きているのか、と説いたくなってしまった。
そんなことまで考えて俳句をしなくていいのだが、この句のふわふわした幸福観が眠らせておいたぼくの反発心に火をつけてしまった。

日ごろ俳句は好き嫌いの感情は横においてテキストを真摯に正面から読みましょう、などといっておきながら激してしまった。
家に帰って句稿を読みなおしていて激したぼくはあのときの飯島晴子に似ていたなあと感じた。
晴子はいつだったか湘子が主宰をしていた中央例会でぼくと同じように句の出来そのものとは関係のなく猛反発したことがある。
その句は忘れもしない。

長き夜の妻の正論聞きゐたり 中村昇平


晴子は論評したから採ったのだろうが採ってから褒めるのではなく、男社会に対して女の立場みたいなことをいい始めてしまった。
句そのものの出来と関係ない句評で妙だった。会場がざわざわした。
後で昇平さんが「晴子さんどうしちゃったのかなあ」といってニヤニヤした。ぼくも晴子さんが激した内容は何だったのか実に興味深かった。

いま思うと晴子の世界観に昇平さんの句は合わなかったのだろう。
晴子さんが句の出来を離れて興奮したのはおもしろかった。
ぼくも同様に興奮したわけだが、俳句は理性を失ったような句評に割に本質的なことが垣間見えるのではなかろうか。
句は基本的に書きたいように書くしかない。何を書くかは個人の自由である。この句の作者には後で電話して手直しの必要のないことを告げた。

また、人が激する句というのはおもしろい側面を持っていることも伝えた。毒にも薬にもならぬ句に人は何の反応もしない。嫌と思わせる句のほうがずっといいのである。
嫌な句はきちんと嫌さを伝えるレベルに仕上がっているのである。
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暗むほど水面へ垂れ冬紅葉

2016-11-20 09:20:00 | 俳句


きのう蘖句会で吟行をした。
「寒いから嫌」という正常な人をのぞいた11名が11時に西武新宿線東伏見駅に集まった。「寒いから嫌」というМさんも天気のいい日に一人吟行したというからみんな俳句バカである。
駅から徒歩5分ていどのところに位置する武蔵関公園は予想以上に情緒があった。
一周1.3キロほどの細長い池をめぐる岸に立つ木々がしな垂れていることが情緒を醸していた。
黄色の葉も赤い葉も、赤い実も藪もみな水にひかれるように垂れている。その下の空間が人を容れて落ち着かせてくれる。

俳句をする者たちをうしろから見るといつも影法師、ないしゾンビと思う。なぜこうも皆黒々としているのか。俳人がうろつくと冬が深まってしまう。

鴨騒ぐ俳句捜しの影法師




青年の礼うやうやし冬紅葉
ぼくのブログを見て蘖句会にひかれたというS.Uくん35歳が初参加。ぼくの息子よりやや若い。長身でイケメン、爽やかな気を発するので中年女性たちの視線も彼に寄りがち。
会場は田無公民館、投句締切は13時といったきりで別れてしまいやや心配したが、きちんと来た。まともな社会生活ができることがうかがえた。

黄落や雨後の鳥声輝きぬ
雨の上りを待っていたかのように鳥が鳴く。鵯がいなくて声が輝いているように感じた。



鴨池へしだるる木々の雨雫
われわれ日本人は、ほのかに見える、うっすら見えるという美意識の持ち主かもしれない。源氏物語の昔から「御簾」なる調度を愛用してきた。
風景を見るにしても御簾意識があるのだろう。木々の間から見る池に風情を感じる。


凩や鯉かたまれる淵の色
水のなかに鯉が複数集まっている色が好きだ。冬を象徴する色である。雪も冬を象徴する色だが正反対のこの色も冬を象徴する。冬は案外豊かな季節かもしれない。

冬の雨川鵜をいよよ黒くせり
宏子さんが池の中の杭にじっと止まっている黒い鳥を川鵜でしょうかと聞いた。川鵜の黒さは雨に濡れると行き場がないほどみじめ。烏も黒いのだが「烏の濡れ羽色」といわれてその光沢を評価されているのに対しえらく違う。



何を求め鴨飛び立つや首伸べて
飛び立つ鴨の多くが声を出す。そして忙しく飛ぶ。尾長の飛ぶのと違いこやつも憐れだ。

冬の雨留守番のわれ毬藻め
この池に毬藻はいそうもないが妻の留守を一人暮らす自分を毬藻と思った。毬藻でないと気づいたのは自分の句をのぞく134句全部にコメントをしたとき。
結局、皆さんの要望もあり全句講評をした。
句会の終ったのは6時ちょっと前であった。
いつもより1時間多く喋った。一人の生活で声を使っていない割には声は出た。
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玉鷲の空間技術

2016-11-18 19:27:02 | 格闘技

玉鷲の懐の深さの勝利


大相撲九州場所6日目、やっと落ち着いてテレビ観戦した。
一番期待したのが豪栄道VS玉鷲戦であった。一度優勝してかくも相撲が毅然とするかと思うほど豪栄道は変わった。3場所前と比べると別人である。
今場所も5連勝して別人ぶりを表現していたが負けるとすれば玉鷲ではないかと思っていた。
玉鷲も今場所は別人のような隙のない激しい相撲を取っている。つまり変身したもの同士の対決であった。

豪栄道にとって何より嫌なのは玉鷲が長身で手が長いことである。
長身で手の長いメリットを大相撲では「懐が深い」という。豪栄道のように体を密着して寄るタイプの力士にとって「懐が深い」玉鷲は攻めを殺す空間をつくることがうまいということである。
玉鷲は前場所まで手は長いが活用していなかった。相撲が鈍かった。
どうしたことか今場所は長い手の突き押しが激しいため守勢になっても余裕がある。相手が絶対有利の密着を許さず逃げながら巧妙に間合いを計っている。それが土俵際での突き落としとなった。
ボクシングでいうとファイターの豪栄道をアウトボクシングの玉鷲が屠ったという感じの、会心の勝利であった。

腹ばいは豪栄道






もろ差しであった栃煌山(右)がなぜこのようになって負けるのか

次の栃煌山VS照ノ富士戦も間合いという観点からみて興味深かった。
栃煌山はもろ差しという絶対有利の状態をつくりながら照ノ富士に残された。ふつうは絶対有利のはずがそうでもないのは栃煌山が完全密着を嫌ったためだろう。そこまで間をなくすと照ノ富士の決めを食らい逆に動きを封じられる。
そのゆるみを照ノ富士がついて残しながら逆襲し腕一本を差し込んだとき、ああ、栃煌山は負けるなあと思い、その通りになった。
栃煌山にとって照ノ富士は天敵であるが、もろ差しになられても負けない照ノ富士の懐の深さはやはり魅力的である。
今場所とりあえず勝ち越せば未来はあるだろう。負け越してもこのいい資質を上手に使えばまた浮上するだろう。

白鵬VS遠藤戦。
よもや遠藤が勝てるとは思わなかった。勝因は立ち会いの鋭さで白鵬の間を消したこと。白鵬も間を取って相手の力を削ぐことが巧みな力士であるが間を遠藤が完全に潰した。
あっぱれ遠藤。

これで優勝争いがおもしろくなった。一敗したとはいえ豪栄道はいい。白鵬も悪くない。
人気薄の鶴竜あたりの一発もありそうだし、目標が消えて気楽な稀勢の里もおもしろい。群雄割拠の九州場所という様相を呈してきた。

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初冬初老の男留守を守る

2016-11-17 14:42:15 | 身辺雑記

国分寺市室内プール


妻が所用で郷里日南へ行って4日目、ひとり家にいる。
妻は夫が家を汚すことが大嫌いで特に風呂を心配した。必ず洗うようにいわれて面倒になり風呂は使わない、プールでシャワーするといったら妻の顔が輝いた。
仕事帰りにプールへ寄ってシャワーを使うことにした。これで文句あるまい。
プール入場料200円なら自宅の風呂を使うよりいいかもしれない。

冷蔵庫の中には煮た味噌汁の具材がタッパに入って数個もある。加熱して味噌を溶かせばいい状態になっているがいま葉物が高いので南瓜と玉ねぎばかり、かなり飽きた。炊飯器には飯がいっぱいできている。
面倒見のいい女房でありがたいのだがぼくも子どもじゃあない。妻のいないときくらい自分で好きなものを買ってきて食いたい。
コンビニに袋に入っているいろいろな飯(電子レンジに5分ほどかけると食えるやつ)を試してみたかったが、こんなに飯を炊いてあればそうもいかない。
レトルトの汁もの(豚汁、けんちん汁)も興味があったが冷蔵庫に味噌汁があるので見送り。
妻がいないのに自由になれない。

世の中とつきあわなくていいかと思いきや電話が予想以上に来る。
きのうはまず郵便局から届け物があるがいつがいいかという連絡。14時から16時を指定したからその時間階下にいてテレビを見ながら待っている。
いつもは二階に居住しているが玄関のピンポンが故障しているので階下にいなければならぬ。
届いたのは河口湖の妻の友人からの柿。
届いたことを電話しなくてはならぬ。
これはありがたいからそのくらいの手間はいいのだが、相撲を見ているとまた電話。

物売りではなさそう、ジェイコムから。今のシステムを変更しなくてはらぬから工事に家に入りたいという用件。これが長電話。
用件をていねいに説明すると20分はかかるのだろうがもう少し短い会話で済ませられないか。専門的な話は聞かされてもどうしようもない、電話で省いて来てから聞けば十分。
うちの固定電話はどこかが変で途中で切れてしまう。
するとまた向こうはかけ直す。また電話を取る。
電話の調子がよくないことが向こうの担当者にビビッドに知れてよかった面はあるものの煩わしい。
これで「ものみの塔」でも来たらえらいこっちゃ、と思ったがそれはなかった。

炊飯器のごはんを減らさなくてはならぬ。
ゆうべはレトルトカレーを買ってきてこれで飯をたくさん食べた。今宵もまたレトルトカレーで飯を食おう。
むかしレトルトカレーが出始めたときは「ボンカレー」だったが今はおそろしく種類が多いし味もさまざま。
インスタントラーメンとレトルト食品は日本人の繊細さがえらく発揮されている。

これなら男も女も別に伴侶がなくても生活はたやすくできる。
思えばよく妻と夫婦を40年もやってきたものだ。結婚とはなんぞや。奇跡かもしれぬ。妻も同様に考えているかもしれぬ。
せめて一度はトイレ掃除くらいしておくか、ご機嫌取りに。

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