天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

中学生高校生と句会をする

2016-09-29 06:39:45 | 俳句


俳句でもっと遊ぼうと思う。
自分を縛るものを取り除けて遊びたい。ざっと28年結社で俳句をやってきた。学んだことを生かすには学んだ通りにやっていていい時期は過ぎた。
自分を炸裂させたい。
未知の人と俳句をやりたいと思っていて慶応義塾湘南藤沢の瀬戸口優里さんを思い出した。
ブログをきっかけにはがきの行き来がある。
「あなたたちの句会に混ぜてほしい」と告げると優里さんはてきぱき担当教師に話を通し「ではおいでください」ということになった。
きのう電車を乗り継ぎ最後バスに乗り「慶応中高等部前」で降りた。

15:30、授業を終えた瀬戸口優里さんほか女生徒3名と対面した。一人大人の女性がいて藤田銀子さんという。「知音」編集同人。意外に参加する人が少ない。
500メートルほど歩いて小出川へ出た。ここで嘱目詠をして学校へ帰って清記して句会とのこと。
ひやっ、なんと見事な曼珠沙華。
出句は15句。驚くと「開成は20句や30句は作る」と叱咤され挑戦的になった。鷹同人が開成に負けるわけにはいかない。20でも30でも作ってやろうと意気込んだがなにせ25日に一人吟行して28句作っていて作句意欲が落ちている。
七転八倒した。



気に入らないのは女性たち5名がかたまっていること。
ぼくは人が手帳をひらくのを見たくないし見せたくない。取材はこっそりやりたい。また人がまわりにいると物に集中できない。それでずっと彼女たちから遠ざかっていた。
慶応義塾は草木に恵まれた広大な環境を持つがバスを降りたとき異臭を感じた。それは獣臭、いや飼われている豚の匂いである。
歩いても歩いても豚の匂いがついてくる。それで
芋嵐橋わたりても豚匂ふ
と書いたが誰も採らなかった。できていないかなあ。

もう破れかぶれである。
エンジンの屁のやうな音秋暑し
川のまわりは耕作地で農家の人が草刈機を動かしている。それがくたびれていて音がぐずつきぼくは屁をこいた。
こんな句にうら若い生徒が3点も入れてくれた。特選で採った子もいる。

しやがみたるわが影小さし草の花
これはうまく書けたかと思ったらやはり点が入った。

銀子さんはそうとう俳句ができる。句評が細やかで鋭い。
彼女を通じて「知音」代表の行方克己氏の季題の考えをしかと知った。このグループの季題意識はホトトギス並みであり、流行より不易を重んじる傾向であることを感じた。

佳き声に呼ばれて来る花野かな
これは小生の優里さんらへの挨拶句である。
銀子さんのみ採ってくれた。やはり大人は大人の句がわかる。
曼珠沙華が多いがほかの花もあるわけだしひっくるめて花野としてかまわない。なによりも上五中七のフレーズに対して花野という季題が決まっている、というコメントをいただいた。
季題を重んじる俳人から季語の的確さを再三褒められて励みになった。

いちばん若い女の子は中学3年生であった。
ぼくの息子の年齢の半分。孫がすぐこの年齢に到達する。
こんな若い人と言葉が通じるのか、コミュニケーションできるのか、と最初は思ったがぼくは彼女の句を2句採った。
選評をすると言葉が通じているのがわかる。
俳句は年齢を超えて通じ合えるツールなのだ。
若者は表現技術は未熟である。けれど、物をまっすぐ感覚的に見ようとする意識が旺盛。われわれ大人が言葉の技術で丸め込むところを愚直に攻めてくる。
それがすがすがしかった。
ぼくも恥をさらして愚直に物に対しようという素直な気持ちになっていた。

「至福の時間だったよ」というと生徒たちが微笑んだ。
コメント
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