天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

不明をお詫びします豪栄道関

2016-09-25 17:45:59 | 格闘技


先場所まで豪栄道関のことを「間違って大関になった男」と思っていました。また友人の多くにもそう言っておりました。
この不明を豪栄道関に謝るとともに優勝を心からお祝い申し上げます。

弁明させていただくとするなら今場所にしてもカド番を克服する場所でした。
大関になってからというもの8勝するのがやっとでそれも千秋楽にやっと8勝ということもありました。すると次の場所は7勝8敗となり、とても大関といえるような成績ではありませんでした。クンロクならまだしも、勝ち越しと負け越しが行ったり来たりではなかったでしょうか。
大関陥落はいつ来ても不思議ではないという印象でした。
一方、照ノ富士関が優勝したときこちらは数場所先には横綱を張っているだろうと予想しました。
けれどこちらが逆に大関陥落の危機に立ち至っております。
それが優勝、おまけに全勝優勝ですから相撲はまったくわからないものであると痛感しています。

来場所もこの調子を維持してほしいものです。
そして再びの優勝と横綱昇進を期待しています。
今場所の相撲の集中力と敏捷性はいうことがありませんでした。前なら引いていた場面をこらえて低い態勢を維持して逆襲の差し身がよかったです。14日目の首投げはほんとうはいけないのですが、あのぎりぎりの戦いの中ではOKです。
さて来場所に若干の不安があるとすれば、やはり相撲の形がまだはっきりしていない点です。今場所は前傾姿勢を保った点はよかったですが回しを引くのが速かったとはいえません。そのへんで勝敗がどちらに転ぶかわからないケースも4,5番ありました。
鋭く立つのはいい。けれどその後何をしたいのかまだまだ見えにくいのです。今場所は勢いで形をカバーした観がありますが、この勢いが陰ったとき形への強い意思が試されるでしょう。

名大関栃東のような浅い回しを引いてのおっつけ、寄り身。機を見ての出し投げで崩しての寄り、というような形をぜひ確立して安定性を身につけて欲しいと切に思います。あるいはかの柏戸関や白鵬関のような立会いの瞬間に回しを取る速さはまだまだです。
それが試されるのが来場所でしょう。
日本人横綱ということにあまり興味はありません。
とにかく相撲において秀逸な力や技を見せてくれる新たなスターの誕生を願っています。
間違って横綱になってもかまいません。いや2場所連続優勝に間違いはないでしょう。
少なくとも来場所10日目まではどきどきさせていただきたいものです。
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多作をうながすメフィストフェレス

2016-09-24 13:13:11 | 俳句

伝統的なメフィストフェレスのイメージ


ネット句会の「流星道場」と「シベリウス句会」がほぼ同時に終わった。前者へ10句、後者へ5句投句した。
鷹12月号投句はすでに終えたのでしばらく休めるかと思いきや、そうもいかない。
来月8日、龍ヶ崎句会へ呼ばれている。
以前ならネット句会二つでできた中からめぼしい句を龍ヶ崎へも出した。使い回しである。
同様にひこばえ句会へも二重使用することが多かった。

ところがFHがぼくの後をぴたりとついてくるようになった。
FHは鷹のバリバリの同人。最近鷹誌でしばしば「推薦30句」に入ったりして輝いている。
一昨年、ぼくが府中市生涯学習センターで俳句の講演をしたとき聴きに来てくれた。とにかく人数が欲しくありがたかった。
それに続く句会を行ったときそこにもFHがいて驚いた。とても鷹同人が来て満足するようなレベルではない。
それでもFHは満足そうであった。
あまり熱心なので自分が座長をする「流星道場」へ誘うと入りたいと即答。パソコンに習熟していないFHにネットカフェその他で幹事ができるよう特訓した。
流星道場へ入りいきいきやっている。それが今鷹で光を放っている理由の一つと思えばうれしい。

FHはネット以外にぼくが指導する「ひこばえ句会」へも遠くから来るようになり今や常連。したがってここへ「流星道場」の句を使えなくなった。それはFHも同様である。使い回しできるのは「シベリウス句会」の5句である。
だんだん苦しくなったので最近彼女にメールしてぼくの行く句会への彼女が参加するかどうか聞く。
するとたいてい「もちろん参加させてもらいます」と返信が来る。
ぼくの後ろを影のようについてくる。もう彼女にぼくが教えることはないと思う。いや逆に彼女の自在性にぼくが刺激を受けるほどだが、「元気をもらえる」とかいってついて来る。

ゲーテの小説『ファウスト』で主人公に寄り添うメフィストフェレスを思う。メフィストフェレスは誘惑の悪魔とされ、神との賭けでファウストの魂を悪徳へ導こうとする。
FHは男女関係という悪徳へぼくを誘わないから良性の悪魔であろう。けれど女房よりぴったり寄り添われている感じ。女房は勝手に出歩いている。

とにかく俳句を作らなければいけない。
きのうジジババ参観が幼稚園であった。間違って1時間早く着いてしまったので近くの雨水の滴る森で黒い木やそこについているゼラチン状の樹液などしかと見た。ありきたりの水たまりに詩を見い出そうとして目を凝らしたりした。
頭の中にあるものの再構成ではもはや立ち行かない。
現物を見て発想すことで打開するしかない。そこで言葉を待ちたい。見ることによって、見続けることによって向こうからやってくる言葉を待つしかないであろう。努力して足掻きつつ待つ、というのが嘱目詠である。

徹底的にぼくをマークするメフィストフェレスに感謝したい。こういう道連れを持つことが多作への原動力である。これを利用したい。
FHに付かれてなんだかメッシかロナウドみたいなスーパースターになった気分。しつこいマークを振り切ってシュートを打たねばならぬ。
FHがいつまでもついて行きたいと思われる自分であり続けたい。なかなか大変である。
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生きるは恥 もの書くは恥の上塗り

2016-09-23 16:01:33 | 身辺雑記


「きのうあなたが書いたブログの<同工委曲>は<同工異曲>の間違いでしょう、たくさん出ているから直したほうがいいです」
というメールをヨミトモF子からもらって呆然とし、すぐさま訂正した。
その前は<露天湯>と書いたつもりが<露店湯>となっていて指摘された。
もっとひどいのは、高野ムツオさんと書いたつもりが高野ツトムになっていて、指摘された。
アルツハイマーに罹ったのではないかと思うほど誤字を書いている。そのたびに冷や汗をかき、指摘してくれたことを謝し訂正ばかりしている。
生きることは恥をさらすことであり、ものを書くは恥の上塗りであると痛感している。

編集者時代は自分の書くものをすぐ見てくれた校閲者がいた。5万トンの船に乗っている安心感があったが今はボートで台風の海を漕いでいるようなものである。
編集者時代に気をつけたのは固有名詞と数字の間違いであった。この二つの誤りは校正者がトレースしにくい種類のものであり、取材した者がきちんとしなければならない。
文字や文脈関係は多少おざなりでも校正者が鉄壁のディフェンスをしてくれた。編集者はそれに乗ってとにかく早く原稿を仕上げることが要求された。
そういう便利な会社を去って間違って恥をかく機会が急増している。

それならブログなど書かなければいいじゃないかということになるが、ブログを知ってしまうと書くことがやめられない。
映画「未知との遭遇」ではないが、自分が発信した言葉をキャッチしてくれる人がこの世のどこかにいてくれるということが不思議でありうれしい。
ぼくの言葉を受けて世の中に毀誉褒貶の渦ができているらしいこともおもしろい。
どちらかというと褒められたいわけだが反応のないよりは謗られたほうがましだ。

こんな小さなブログでもこれを知って近づいてくる個人、団体もあれば逆に去っていく個人、団体もある。
年金生活者の年収は250万円ていどで芸能人は3000万円だとする。
年金生活者は250万円のうち230万円を使うのに対して芸能人は3000万円稼いで3500万円消費してしまったりする。
これがブログを書く書かないの生き方の差のように思う。
ブログを書くのは芸能人みたいに多くの入りがあるが出も多いのである。
会社つとめをしていたころよりもブログを書くようになって世界は広がっているが広がった世界をブログで失ってもいる。

しかしブログを書くことはやめられない。来る人もいて去る人もいてそれは相手まかせのことである。

いまパ・リーグは日本ハムとソフトバンクの一騎打ちが熾烈である。その野球から例をひけば、
腰を引けば凡打、踏み込めば死球に遭うこともある。
ブログは自分を偽ったりきれいごとを書けば誰も読んでくれないだろう。さりとて素材に迫り過ぎると太陽に近づきすぎたイカロスとなって破滅する。
その間で自分の立ち位置を探し続けている。書くのは世界と自分との関係を確認する営為なのである。
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同工異曲をたくさん書きましょう

2016-09-22 05:31:50 | 俳句
きのう電話でKさんと34分話した。俳句の個人教授である。
Kさんがぼくに近づいてきたとき添削を求め「何句見てもらっていくらですか」という発想をした。世の中は通例そういうことになっているようだ。
しかし添削を5年やった経験からいうと、添削できる句の確率はほぼ20%。おおかたの句は添削以前の問題である。
Kさんははじめ6句で2000円というようなことをおっしゃったが、ぼくは難色を示した。もっとお金くださいということではない。

6句では見どころのある句があるとはかぎらない。それを無理に添削すると添削者が資本注入しほとんど添削者の風合の句になってしまう。原作者の言葉で残ったのは季語だけだったり「ビルの間」や「溝の中」だけだったりする。
添削者のストレスは計り知れないし原作者がそれを自分の句と思えるだろうか。
そういう添削を受けて鷹で3句になったと喜ぶ人がいるが、本人の痕跡はほとんどない代物。それで喜んでいたらバカだ。
それが俳句文化か。そんな人と人の交流は大いなるムダではないか。
自分を失った句がより多く活字になって喜べるのであろうか。そういう自分っていったい何?と考えないのだろうか。

Kさんは便箋に句を6~8句書いてくる。はじめのうちせいぜい2枚で10句そこそこであった。
それではダメとぼくは言った。めぼしい句と遭遇する確率が低すぎる。
手を出すことのできる句、アドバイスできる句を見つけたい。「下手な鉄砲も数打てば当る」は真理である。
同工異曲でもいいたくさん書いてください、同工異曲でいきましょう
そうぼくは言うようになった。
7月佐賀の呼子へ行ったとき足に擦り傷を負った荒磯に船虫がたくさんいた。潮の香がむんむんしていた。句にしようと思ったまま書きつけた。

異郷なり船虫ことごとく散つて
ことごとく逃げて船虫屍を見せず
船虫のことごとく散り寄辺なし
寄辺なく船虫散りし岩に立つ
寄辺なし我に踏まるる船虫なく
がむしやらに船虫逃げてぶつからず
ぶつかりもせで船虫の逃ぐるなり
船虫四散このとき誰か死にをらむ
雨脚の強し船虫過る崖


異郷などとかっこつけてはダメと直しはじめ、書き進むうちにある言葉が消えて違う言葉が登場したりして景色が推移していく。そのプロセスで迷宮に入り自分と船虫の関係がわからなくなり、まだほったらかしてある。それでいいのだ。
こういう同工異曲でいいから見せてください、と指導している。
同工異曲は推敲である
「俳句は推敲が大切」と多くの本が教えているが初心者はたいてい推敲の意味がわからない。わかっていても具体的に着手できない。推敲のできる人は同人になり自分をしかと持つようになっている。
初心者に小生の船虫の例を上げて(頭の中を開陳して見せて)「同工異曲をたくさん書きなさい」と言うとかなりわかってもらえる。
同工異曲は推敲であるとともにたくさん句を書くことの起爆剤になるのである。



カナヘンの倉庫。いろいろな物がある暗い場所に親近感を覚える。
言葉と格闘している自分の頭の中を連想するせいか。




鷹に入ってすぐのころ奥坂まやの指導する吟行句会に何度も出させてもらった。
1時間半ほどで10句出せと言われて仰天すると「そんなこと鷹では当然よ」と言われた。
また一ヶ月何句書いているか問われて20句というと「そんなんじゃだめ。まず50句は書かなきゃ。私は100句書いてる」と言われた。
その女傑がベンチに座って開いている句帳をうしろから盗み見するとどのページも小さい字で真っ黒になるほど書かれていた。
このとき奥坂まやには生涯かなわないなあと思ってしまった。

Kさんは添削より多作の意味を十分理解するようになった。
そしていま便箋4枚は書いてくるようになった。けれどまだひと月30句は書けない。
たくさん書くうちでめぼしい句に気づいてもらうこと。それをアシストして精度の高い自分の句にしていって欲しいと思っている。
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落花生とホトトギスの句会

2016-09-20 01:32:23 | 俳句
1週間ほど前、龍ヶ崎の八奈さんから久しぶりに電話が来た。
ホトトギス主宰稲畑廣太郎氏を選者に迎えての句会(日本伝統俳句協会関東支部茨城部会俳句会)に出てみないか、という誘いであった。
八奈さんの地域はホトトギスの方々が多いらしく彼らと「近所づきあい」をしているという。鷹からの参加者が少なくぼくに白刃が立ったようだ。
ぼくは湘子が「一物半の俳句」と批判していたホトトギスを文物でしか知らないのでこの際実感しようと思い78キロ北上する旅に出た。



龍ヶ崎名物の落花生が旬を迎えている。これを見たかった。
長野県伊那市に生れ育ったが当地は稲作地帯でありぼくは落花生を実の状態でしか見たことがない。
どのように生育しているのかずっと興味があり夢想していた。
ジャガイモも里芋も土中に育つが落下生のその姿はより神秘的であった。

ホトトギスの句会は吟行嘱目であった。
吟行地は神谷傳兵衛ゆかりのシャトー・カミヤ。煉瓦の館である。ここへ着いたとき11時半、投句締切時刻は12時半。
昼飯も食べなくてはいけないので俳句を考えている暇はほぼない。鷹から宮本八奈、白取せち、吉川典子、中山美恵子とぼくの5人が出句したがたぶん全員句は作ってきていた。
昼飯は白取せちさんがおにぎりを用意してくれていた。ほかに小芋の煮ころがしは優れて美味。八奈さんがすかさずワインを買ってきてふるまってくれた。吉川典子さんが落花生を茹でてきてくれたのには感動した。茹でた落花生は落花生の食べ方としては最上とぼくは思う。これにはまっている。
句会の前ゆえセーブしたのだが酒に弱いぼくは酩酊。








軽妙に講評をする稲畑廣太郎氏

句会は牛久駅前のエスカードホール4階で行われた。
30人集い、うち5人が鷹。25人はホトトギスであろう。清記した紙を回すという古典的な方法である。
5句選でぼくは鷹の仲間の句を3句採っていた。すなわち、

赤のまま頭下げればすむ話 吉川典子

秋澄むや白きテラスにロゼワイン 宮本八奈

手も足も血の巡りよし草の花 白取せち

なお稲畑廣太郎選に小生の次の2句が入った。

汀行くわが影細し秋の風

石段を下りて地べたや秋の声


中山美恵子さんは稲畑選に4句も入ったし鷹の連衆はホトトギスの句会でそこそこの活躍をした。誰も傷つかないようまんべんなく採る緩選ではあったが。
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