天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

地に空に勢う樹木

2015-06-01 12:37:18 | 旅行
沖縄へ来る直前、沖縄の受講生の俳句をみた。
76歳の方で太平洋戦争時、月桃(げっとう)の花の下を逃げ回ったという回想を詠もうとしていた。彼は月桃が歳時記にないので梅雨という季語を立てて、さらに戦争体験を入れ込もうとしたためぎゅうぎゅう詰めになって破綻していた。
ぼくはこのさい畿内中心にできた歳時記から離れて沖縄らしいこの花を季語として認めていいのではと判断した。
宮坂静生の提唱する「地貌季語」である。



月桃の花陰に逃げ戦火見つ


もう添削句とはいえずさりとてぼくの句でもないものができたのだが、この作業を通じて本州で見たことのない月桃をぜひ見たいと思った。「げっとう」なる音感もいい。

月桃は沖縄の梅雨に咲く代表的な花であちこちにあった。探さなくても目につくツツジみたいな存在である。
ショウガ科で葉に芳香と殺菌作用がありムーチー(餅)を包んで蒸すのに使われるとか。
名所・旧跡もいろいろめぐったがぼくには植生がいちばん興味深かった。

ガジュマルの気根の気骨夏に入る


ひめゆりの塔付近にあった1本のガジュマルは逸品。これを見るまで爆撃で丘が崩れ人間が飛散し血やはらわたが流れ死臭を放ち蛆が湧き……という沖縄戦の幻想ばかり見ていたのだが、木々を見ているうちに幻想は消えていった。



ガジュマルのほか気根が出るものに赤秀(あこう)がある。


これも沖縄に来て知った木である。赤秀もガジュマルもクワ科で区別しがたい。赤秀の生えている大地は根が網の目状に広がっている。根本がガジュマルよりたくましい感じがする。首里城の石垣に覆いかぶさる赤秀はみごとだった。

木々のたくましさ、葉の緑の濃さ形の多彩さにはひかれた。針葉樹が少なく広く厚い葉が多い。その代表は福木(ふくぎ)かもしれない。
この木は防風林に適し本部半島突端の「備瀬のフクギ並木」は10分ほどの散策コースになっている。



沖縄にあってもよさそうで見ないものは竹。竹は関東の者が九州へ旅するとその多さに驚く。またカリマンタンへ旅したときも密生した竹のかたまりに驚いたものだが沖縄を移動するバスから見なかった。
また沖縄で見ないものは神社仏閣である。
探せば見つかるかもしれないというほど見ない。
日本人の信仰心は木や森と結びついていてそこに神社や寺といった建物を作り人が寄る。
沖縄ではそれが「神アシャギ」かもしれないがこれは現代では廃れて観光用となっている。
沖縄の人はそういった寄りどころを欲しないのだろうか。不思議である。

神アシャギ




斎場御嶽

斎場御嶽」(せーふぁーうたき)は琉球王国最高の聖地である。
ここは神アシャギ同様市井の人々が日常的に通う神社仏閣とは趣旨がまったく違う。選ばれた聞得大君(きこえおおきみ)が祭祀を司る非日常的な空間なのだ。
現在も祭祀の衣装をお召になった老いた女性(いたこを連想させる)が供物をそなえ祈りをささげる光景に出合う。
御嶽は神域の意味で大和でいう「磐座(いわくら)」と似た概念である。
巨大な岩の陰に人が寄って供え物し祈る。


あたりいちめん亜熱帯性雨林であり、岩に這う木などに官能的な匂いがする。巌の神秘性、草木の発する香、地面から立ち上る湿気などあいまってこの空間は娑婆から隔絶している。
結界の中に入ってしまったように思う。
畿内でこの感じを強く持つのは奈良の石上神宮であるが、斎場御嶽は食虫植物に取り込まれたかのようになまめかしい。
沖縄の生命の根源といった風合のテリトリーである。

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