青い銀杏
ブログを書き始めて13年たつでしょうか。大勢の方が読んでくださいます。
中にはコメントをくださる方がいて励みになっています。コメントの内容はエールであってもブーイングであっても謹んで承っています。
人の俳句を間違って掲載するのはご法度ですがしばしば間違えてしまいます。それを指摘してくださることに衷心より感謝しています。また、植物の名称を教えてくださる加藤さんはじめ有識者の方にお礼申し上げます。そういうコメントには返信いたします。
最近コメントくださったサチさんは30年前の旧友とわかり驚きました。
彼女は、「高尾山ひとり吟行」にコメントくださいました。そのとき北岳の話題があったので山つながりで納得し、返信しました。
旧交をあたためたのはいいのですがその後、今日は何をするというような彼女の事情を伝える場にし始めこれに返信を求めるようになりました。
困惑しました。
そういうやりとりはブログではなく別のツールでするものと考えます。
ブログの内容に関することについてコメントするのがコメントしたい人のマナーと考えます。
誤字・脱字、事実の誤りなどの指摘は慎んで承り、お礼の返信をします。けれど記事に関係ないことに言及されても困ってしまいます。
俳句のことに関してしばしば伊勢史朗さんからコメントをいただきました。
それはありがたいのですが、それにこちらから返信するのは1度。見ましたよ、という意味です。
ブログ作者はピッチの中でプレーする選手でありコメント者は観覧席にいる見物人です。
ホームランを打った外野手に観覧席から拍手が来て選手は帽子を取って応えます。それとブログ作者がコメントに応えるセンスは同じです。何度もやりとりいたしません。プレー中にピッチと観覧席とでやりとりを続けませんよね。
「鷹〇月号小川軽舟を読む」という企画を月読さんと長い間やっています。ピッチの観覧席とのやりとりは場違いですが、当ブログにおいて新しいテーマを立てて俳句を論議したいということであればそれは受け取めます。観覧者がピッチに降り立って小生と一緒にブログ作者になることは歓迎します。
ブログは本流です。沿岸に手を振る人をコメントと考えます。本流に乗ってカヌーを操る小生は手を振る人をちらと見てひたすら先へ進みます。
会釈は1度です。どうぞ、よろしく。
返信の事ですが
バシッと指摘して下さいまして
反省し感謝しています。ありがとうございます!
今の私の心境は気持ちよく晴々としていてモヤモヤが吹き飛び心から納得しました。
これからは返信の要求は致しません。
心から感謝し本当にありがとうございました!!
今朝お便りを出しました。
明日には届くと思います。
今日も酷暑みたいなので
お体に気を付けてお過ごしくださいね!
ところで小川軽舟や奥坂まやといった方達の俳句の言葉使いは実に軽妙にして洒脱です。それはまるで江戸っ子の口喧嘩やラップのバトルのよう。
江戸っ子の口喧嘩やラップのバトルは相手を闇雲にディスったり揚げ足を取っていません。どっちの言っている事が「粋」かを競っています。見えぬ相手と言葉の真剣勝負を挑む姿勢はまるで神事の一人角力の如し。ブログの散文とはいえ見える相手(しかも格下)に安易な技で白星を得ようとする姿勢とは全く正反対です。
俳句界で高い評価を得る方や結社の中で高位を為す方達と上手いですねだけで終わる人の差は俳句を書く前からはっきりしているような気がしました。