天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

夏を寿ぐ緑たち

2024-07-22 05:37:03 | 自然


高尾山。
「地球は青かった」はソ連の宇宙飛行士ガガーリンが1961年に遺した言葉である。宇宙から見る地球は青いのだろうが
陸に住む我々は夏、緑をいきいきと感じる。緑も青というのであるが。

高尾山へ行って「万緑」をひしひしと感じた。特に樹木の織り成す緑に圧倒された。「翠嵐(すいらん)」といういかめしい漢語をかつて「鷹」の俳句で見たことを思い出した。みどりに映えた山の気、という意味。小生も使いたくなり
翠嵐に気触れさうなり滴れり
としてみた。行っているのかいないのか作者はわからない。あまり考えず緑の曼陀羅に気を放つのがよさそう。






賃仕事をしているアパートの庭。
かつてドクダミが繁茂していた。抜いても抜いてもドクダミが生えたが、ある時やけに少なくなった。
見ると、地衣類というのか、違う緑が密集していた。小さなものが密集したさまを美しいと感じるのが不思議である。







黒鐘公園の池。
夏、緑に変色する。きれいな緑でなくいろいろな物が腐った緑である。もう少しきれいなときおたまじゃくしがいた。
エネルギーに満ちていていろいろな生物が元気である。
三伏や亀のひしめく緑沼






恋ヶ窪駅近くのとある農家。
毎年、箒木が生える。このふっくらとした緑が好きでよく眺める。酒処の玄関を飾る酒林も丸い立体感であるが緑はすぐ消えて茶になってしまう。
これを引っこ抜いて飾ってもいいのではと思う。







多摩川河川敷。
草が繁茂している。草の葉は千差万別。見ていて飽きない。
捕虫網千種の緑きらめきぬ







大垣産さんの庭の隅。
うちから一軒おいたところに大垣さんが住む。10年ほど前に奥さんを亡くし一人住まい。
家のペンキ塗りなどこまごましたことをよくやる。しかし、庭の隅の苔はむしらない。小生同様ここに美を感じているのかもしれない。
徹底的に草むしりしない人と見た。そういう人とは友人になれそう。







都立武蔵国分寺公園。
樹下がたくさんあり全く日を受けないで歩けるのでよく来る。一角に芭蕉が立っている。
あまたある葉の中で、5月の朴若葉とこの芭蕉の葉は美しい双璧と思っている。光の透け具合が絶妙。芭蕉の下で句会をしたい。







真姿の池湧水群。
本多さんの家を支える石垣。それが川をも支えている。結がバシャバシャ水を飛ばして駆けるところ。
石という無機質は見たところ生物がいそうもないが菌類がいっぱいいるようだ。中に葉緑素を持つやつがいて彩ってくれる。






吉祥寺の動物園。
大樹の幹はほかの蔓性植物の生きるよすがになる。蔓草は垂直に己がテリトリーを黙々と広げる。







姿見の池。
ここをあおみどろが好む。鴨と鯉が棲んでいるがあおみどろはもっと元気。あおみどろは水雲(もずく)みたいで食べられそうだがスーパーに出ていないところを見ると美味くないのか。ここに一匹いる白鯉が潜っては水泡を立てる。
あをみどろおどろおどろし五月闇






お鷹の道。
真姿の池湧水群に関連してお鷹の道がある。水の湧くところから300mほど下流。細い川が埋まるほど水草が茂っている。
その光沢と質感にうっとりする。生命の躍動を光を放って表現している。あっぱれである。







翠富士(みどりふじ)。
彼は番外の緑。前頭十枚目。身長171.0cm、体重117.0kgと体に恵まれないが中日、竜電をあざやかな下手出し投げで屠って5勝3敗。
夏の桑の葉のように黒みがかった緑のこくを彼に感じる。


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