鷹4月号の小川軽舟鷹主宰の発表作品はすべて月刊『俳句』3月号へ発表したもの転載である。それは当ブログですでに合評しているので今月は趣向を変えて、主宰に次ぐ地位の実力者5名の作品を抜粋して、山野月読と読むことにする。
山野が○、天地が●。
祈りもて見上ぐる甥の梯子乗 布施伊夜子
●「祈りもて」の内容は「落ちませんように」だと思う。勇敢な甥っ子を心配している。
○事実はそうなんでしょうが「甥」という具体化は句として甘い気がします。
●そうなんだよ。「甥」は「孫」よりましだが甘くなっちゃうね。
○甘くなっても書きたい句はあるということなんでしょうね。
目も耳も脚もまあまあ年酒受く 伊夜子
○「まあまあ」という曖昧さが、老いることとの折り合いのつけ方として飲めますね。
●そう、この日本語のあいまいさがいい味を出しています。
神の名のをはりは尊水草生ふ 伊夜子
●すぐ思い出すのが「日本武尊(やまとたけるのみこと)」。言葉遊びで悠久の時間を楽しんでいるね。季語の付け方も。
○季語の斡旋ひとつで、ここまで豊かな句になるものなんですね。「尊」「水草」の頭韻も水温むように気持ちよい感じ。
燃えるゴミだす男に十二月八日 細谷ふみを
●リズムはよくないが内容はおもしろい。ゴミはいま燃えていないのだが戦火を感じさせる。
○措辞と季語との出会いの面白さですね。また、ゴミを出す行為は、社会的に決められたルールに従うことであり、個人的な領域と社会的領域が出会う行為でもあるのかな。
●さりげなくこってりしているんだよね。
蒲団から頭出てゐて眼が動く ふみを
○どうしたらこんな句を思い付くのかな? 他人事っぽい客観性の面白さ。
●言われてみればその通りなんだがおもしろい。これぞふみをワールドです。
カステラの金紙を裂き女正月 ふみを
●この季語に対して「金紙を裂き」が効いているね。
○金紙に包まれたカステラというと文明堂ですかね。「裂き」というバイオレンスなイメージが作者の女性観の大きな要素のように思えます。
●そう女性に対してある種の警戒感みたいな心理を思いますね。
久女忌や足袋きつくはき情ころす 岩永佐保
○足袋を履き慣れた人でないと出てこない素材、発想ですね。凄い句だな。
●「足袋きつくはき情ころす」が凄いね。季語とべた付きの感じですがそれがかえって迫力を生んでいます。
達磨入道はぜて火となる浜どんど 佐保
●ただの達磨じゃなくて達磨入道まで言ってあの大仰な顔が浮かんでおもしろくなった。
○そのとおりですね。達磨だけだと赤のイメージが強いのですが、入道を付して、太い眉と髭の黒の要素が加わり、リアリティを増してます。
待春の雨だれ弾きのピアノかな 佐保
●「雨だれ弾き」は雰囲気のある言葉だが、さて、どんな弾き方か、音楽にまるで疎いのだよ。
○右に同様ですが、これはそうした弾き方があるのではなく、ショパンの「雨だれ」を弾いているということなのでは?「雨だれ弾き」ですから、正確にはその弾き手を指しているかな。
●ショパンのそれだったら「雨だれを弾く」と表現すると思う。やはりベートーベンの熱情みたいな叩くような弾き方が対極にあるんじゃないかなあ。
○なるほど、そうなのかな。
膵臓の行ひ知らず木の芽雨 山本良明
●そういえばこの臓器の働きは胃や肺ほど知られていない。ゆえにこの文脈で物を言う。
○「行ひ知らず」という言い回しも味がありますね。健診で血糖値でも指摘されたんですかね。
●年を取った男の鬱屈を孕んでいて身にしみます。
ストリートピアノ春立つ駅の角 良明
○「駅の角」なる場所指定が結構曖昧ですよね、どこを指しているのか。「ストリートピアノ」で切れると思いますが、「駅の角」に置かれているのでしょう。今、弾き手がいるのか定かではありませんが、非日常的な景に春の到来を感じるというのはいいですね。
●「駅の角」は曖昧といえば曖昧だがまあわかります。ぼくはここにピアノを見たことがないので君のいうように非日常的な春を感じます。
ピアニシモ耳遠ければ木の芽雨 良明
●妙な句だなあ。まずピアニシモはどう機能しているのか。耳が遠いので木の芽に降る雨がかそけく聞こえるという内容でいいのか。
○私もそのように理解しました。つまり、結果としての「ビアニシモ」として。もうひとつの可能性としては、原因としての「ビアニシモ」で、ピアノ演奏か何かを聴いて木の芽雨に思いを馳せている。
凍つるなり宇宙の闇が窓にまで 奥坂まや
●確かに言われてみれば闇が窓に来ている、それも氷りそうな闇が。「宇宙の闇」とはよく言ったものだよ。
○「宇宙の闇」という表現自体は目新しくはないと思いますが、それが「窓にまで」接しているのだという把握の新鮮さこそがこの句の面白さでは?
●奥坂まやならではの世界です。
江に眠る鴨にんげんは寄辺なし まや
○難しいな。これはどこで切れますか?「鴨」の前?後?
後で切れる方に3千点賭けたいのですが(笑)
●「江に眠る鴨」「にんげんは寄辺なし」でしょう。これは明白。鴨と人間との対比。「寄辺なし」は観念的というか甘さを感じます。ぼくは「凍つるなり」の方が好み。
○「にんげん」がかな表記なのは、「鴨」との言葉の連なりを絶っているのですかね。
●漢字が三つ続くと煩わしいせいでしょう。
落葉踏む音かろやかにしてうつろ まや
●「かろやかにしてうつろ」の切り返しはみごと。
○私なんかだと「かろやか」だけで言い切ったつもりになるところですね。ところで、「落葉踏む」のはやはり作者ですか? 他者だと「うつろ」の捉え方がまた違ってきますが。
●作者が落葉を踏んでいる感覚でしょう。「うつろ」まで言えるのは自分でしょう。落葉の一物として秀逸と思います。
撮影地:埼玉県板倉町