天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

感染し尽くしたときウイルスは止む

2020-03-26 05:07:41 | 身辺雑記
3月21日渡良瀬遊水池近辺で野火を見た。そのときは純粋に野焼の風景であったものがいまなお衰えぬ新型コロナウイルスの状況と重なってきている。


【教訓1】
野火伸びてゆく燃ゆるものあるかぎり
→ウイルスは人がいるかぎり感染し続ける


【教訓2】
燃ゆるものなくなりて野火果てにけり
→感染する人がなくなりウイルスも止む


東京都知事が声高にロックダウン、オーバーシュートを言うのはアホじゃないか。言うなら首相が学校閉鎖をぶちあげたときであっただろう。
いまその学校をオープンしようとしているタイミングで首都封鎖を掲げてどうなる。小池さんは都知事になるときの手際は鮮やかでぼくは1票投じたのだがその後のあれこれは疑問が付きまとう。今回の宣言も政治的センスのなさを感じてならない。人が不安の絶頂にいるとき新語を使って人を煽ってどうなる。もっとも多くの人が画一的なウイルス報道に飽き飽きしているのだが。
学校閉鎖にしてもそれがそう意味のなかったことを都知事のあせりが示しているともいえる。幸いなことは国の方針と都の方針とがぎくしゃくして一体化していないこと。これががっちりリンクするのはもっと怖い。

これだけウイルスが蔓延した現状ではウイルスに任せるより手はない。野火と一緒である。それだけウイルスは浸透しているのだ。感染しても気づかない人が多いのだろう。
そういう状態で効き目の薄い行動管理政策をとっても虚しいのでありむしろ人を自由に活動させるほうがいい。ウイルスで死ななくても経済破綻で死ぬ(自殺する)人がこれから出来するだろう。うちの息子も仕事が減って昼間友人とお茶を飲んでいる。
世の中は人と金が動くことで回っている。
人が動けばウイルスも動くが、人が動きを止めてもウイルスが動くなら、人は経済活動を止めるべきじゃないのでは。
ウイルスは感染し尽くしたら活動を止める。
これは非情であるが真理である。
野火とまるで同じである。燃えるものがなくなれば火は消える。われわれは原点に立ってものごとを静かに見ることが大事である。

有識者と言われる人の中に勇気をもってこの真実から意見を言う人が出て来ないのか。病気で死ぬ確率と仕事が減ってなくなって死ぬ人の確立の比較をすべきじゃないか。
ニュースを画一的にしてはいけない。どんな悪い状況でも物事を多面的、立体的に見るという姿勢が大事ではないか。



コメント
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