県道9号線、向うに渡良瀬遊水池がある
きのう渡良瀬遊水池へ蘆焼を見に行った。
自宅を5時40分に出て、当地に一番近い東武日光線の板倉東洋大前駅に7時40分に着いた。ここから東側へ約1km歩いたが、堤防にすでに消防車両や警察車両が来ていて、どうやら川へ入ることを禁じているもよう。ちなみにこの堤防はしかとした名称のついた川の堤防ではなくなんとなく川の地域と県道9号線とを区切っている。
渡良瀬遊水池の枯蘆はオレンジ色で囲ったあたり
ぼくは目を盗んで川に近づいたが肝心の渡良瀬遊水池へ渡る橋はきのうの夜からバリケードで封鎖してある。仕方なく川の外の道(オレンジで太く記したあたり)を行ったり来たりしていると赤いパトロールカーが通る。退出を勧告されないのでここは大丈夫か…。
そのうち堤防の方の拡声器は退出を促したり、セスナが旋回して同様のアピールをする。
セスナ旋回野焼の時刻告ぐるなり
8時30分に遊水池の方角に煙がもくもく上りはじめる。火も見えるが遠い。1kmほど先の対岸の火事という感じ。痒いところに手の届かない感じで帰ろうかと思っていると、吏員が来て突っ張りみたいな手つきで退出を促す。そのとき彼の後ろに真っ赤な火が立った。9時15分ころ。
おお、ここも燃やしてくれるのか! 降って湧いたような幸運、にわかに血が沸騰した。
犬のごと追はれてゐたる野焼かな
吏員に逆らい帰るふりをして近くのグランドの中から見ていると、帰れ帰れと手で指示されるが彼の視線をかわしては火に近づく。
ばりばりと燃え崩れをり枯蘆が
近くでめちゃくちゃ燃え上がる。興奮のるつぼ。誰が禁じてももう火から離れないよ、恋と一緒。
枯蘆を揺らし火の壁立ち上がる
火は羽ばたき、ねじれ、ちぎれて、千変万化の曼荼羅。火のかたまりが押してくる風圧の凄さ。
燃やす前の枯蘆。ここは遊水池から1kmほど西側
蘆焼く火まこと傍若無人なり
そこに人がいても火は燃える。一切関係なく燃える。すべてを焼き尽くせ。火に追われたら水に飛び込もう。ガンジス川ほど汚い水だが最良の手は水へ飛び込むことだろう。
火が飛ぶか横手の蘆の燃え立つは
野火猛る横っ飛びする火もありて
思わぬところに火の手が上がるのは飛び火であろう。不意打ちを食らった気分。
芽柳をめらめら煽る炎かな
柳の緑が美しくなったがこれを火と煙がなぶる。柳に火は梅に鶯みたいにおもしろい取り合せ。
何もかも圧する野火や水揺らぎ
地上を焼きつくす炎は水をも揺らす。風呂ほど水を熱くはしないが。
蘆焼く火黒煙を上げのたうつや
黒煙を押し立てて野火居丈高
1km先の渡良瀬遊水池にプラスチック工場があるのではないか、そこが火災ではないかと思うような黒煙が上がる。野焼の煙はもっと灰色っぽいと思っていたので凄みがある。
お上の言うことに従う健全な市民たちは火に近づかない。
幹は立ち人は仰け反る野焼かな
火に煽られて仰け反る。喉が熱いし乾く。逃げきれないなら次は地面にぴたと臥して火を遣り過す。木は堂々と立ち続ける。
獲物追ふ豹のごとくに野火走る
火は生き物である。火の先に目があり意思があるかのようだ。
蜥蜴走る焼野の未だ燻るを
燃えたばかりの野、燃えた茎の形がまだあるところをさっと蜥蜴が走る。火から逃げているとは思えぬが……。
濃く淡く流るる靄や麦青む
この句は事実と異なる。ここは煙だが高原だと朝靄が麦畑を流れると夢想した。
ホース持ち来るや野焼の煙の中
燃えて困るもののない河川敷だがトラックに水を積んでホースで消火にあたる人足がいる。彼はぼくが近づいても注意しない。いい男である。ここは燃えるものの丈が短いので火も大きくならない。
人の目の届かぬところ野火猛る
今回もそうだが以前、多摩川で焚火をして目を離したちょっとの間に延焼して泡を食ったことがある。火はおもしろいが怖い。
野火伸びてゆく燃ゆるものあるかぎり
足許に野火にじり寄る健気とも
麦畑のわきの枯葉枯枝のたぐいはゆっくり燃える。火がじわじわとやってきてくれる。燃えるものがあるかぎり怠けないで燃える火はすばらしい。
舗装路に野火の勢ひはたと絶ゆ
自然はあいまいだがアスファルトはきっぱりと火を断ち切る。冷たく無機質。
野火しくしく萎えしと見せてまた立ちぬ
消えたと思ったところに火が立つのも恋に似る。
ぷすぷすと野火煙りをり唇を嘗む
ああ、飲み物を用意して来なかった。ヨモギの新芽が出てきているので摘んで噛む。いい香り。
野火の端棒もて突く少女かな
こういう積極的な少女はいいなあ。子供も大人も火遊びしなくちゃ世界が広がらない。
方一里野焼の煙滞る
ここの野焼は晴れていることが条件だと椅子に腰かけている男2人がいう。晴れていても風が強いと中止することもあるとか。燃やしたくない物が燃えたりする、つまり火事になるから。きのうは風が弱かった。それで煙が帰るときも煙のかたまりが川の上の空低く滞留しているのが車窓から確認できた。大空が煙の受け入れを拒んでいる趣であった。
お祭り気分の吏員二人。
小生が生まれた昭和26年生家の屋根は茅葺であった。小学校時代の昭和33年ころまで茅葺であった。茅の全面的葺き替え作業は数年に1回ほど必要で、職人集団が越後から来て家に10日ほど寝泊まりして仕事したのを見た記憶がある。屋根が骨組みだけになり青空が見えるのがおもしろかった。
職人がどんどん減り茅葺の屋根を維持するのが困難になって、家は新築され屋根は瓦、スレートに替わっていった。あれが近代化の象徴だと思っている。
葦は茅より茎が太いせいか屋根材に使われなかったようだが、葭簀といった日光を遮蔽する垂れ物に重宝されてきたはずである。
渡良瀬川は葦の絶好の生産地であるが、春それを燃やすのを我々は祭のように楽しみにしている。それはそれでいいのであるが、使える素材を燃やして灰にしてしまっていいのかといった倫理的なことをつい考えてしまう。
産業構造がどんどん変化して素材の重要性も変わり続けるのがこの世の習い、それを痛感する野焼である。