鷹1月号がきた。
主宰特選の欄、「推薦30句」にこの句があってほーっと幸福感に浸った。
草の実や裸眼に足りてこの三日 桐野江よし子
この句はぼくが指導する蘖句会に出された。
見た瞬間はっとしていただいたが採ったのはぼく一人であったか。「裸眼に足りてこの三日」はなかなか言えない表現であり、ラガンという音感と漢字がもたらす質感になまみの眼球を感じた。
「季語が水澄む、秋晴などであったらありきたりでそう興奮しないが草の実がじつにいい」と講評したように思う。
ぼくは秋の野原に出て視力がいくぶん回復したのかと読んだ。
よし子さんはこの句を中央例会へ出した。
ここで主宰も採り、目を使う仕事をしなくていい三日というふうな読みをした。
主宰は奨励賞を語るほどは興奮した風情は見なかったのでかくも出世する句とは思わなかった。
主宰もこの句の表現の妙にほれ込んだのだろう。
主宰選に入る句を逃さないというのは小句会を経営する者が肝に銘じていることである。
しかしこれはむつかしい。
小句会でぼくが嫌った句が主宰特選に入ったケースが過去何度かある。
そのときは岩石落としを喰らって脳天から暗闇に落ちるような絶望的な気持ちになる。
その衝撃から立ち直るのに1年はかかりさらに後遺症を引きずる。
主宰と自分は別の人間だから選が違ってもしかたないのだが鷹にいるというのはこういう感情なのだ。
「わたるさんが採らなかった句を出したら主宰採ってくれたわよ」などと言う人がいるが、それはあさはか。
そういうときのその人の句は鷹で2句のことが多い。
主宰は2句採るときそう考えないのではないか。
だいたい句の体裁になっていれば2句は採る。
そのときの句までぼくは責任を持てない。
「珠をひろう」は先師・藤田湘子が寄贈された句集のなかで秀句を取り上げた欄の呼び名であった。
先生にならっていい句を逃さないこと。
自分の句が「推薦30句」に入るのはむろんうれしいがぼくの採った人の句が出世するのを見るのはまた格別。
サッカーでいうと「アシスト」、とにかくいい句は逃さずゴールへ持って行きたいとせつに思うこのごろである。