天地わたるブログ

ほがらかに、おおらかに

言葉をひらく

2014-12-02 12:38:36 | 俳句

きのう句会で指導しているSさんから電話がきて俳句の話をした。
彼女は鷹へ入って2年ほど経つか……、大学の教養講座に出て聴講する趣味がある人だから勉強熱心。細かくいろいろ質問された。

話のなかでSさんが「言葉ってひらくといいんですね」と言ったときぼくの全身に電流が走った。
「言葉をひらく」、このことに2年くらいでよく気づいたものだ。
彼女は言葉をやさしくする、ほぐすといった意味で言ったのだろう。
ぼくは「固まった土塊を分解する感じですね」と言葉を継いだ。
耕す(cultivate)は固まった土を粉々にすることである。それが文化(culture)に通じる。

しかし文化の進んだ世界は逆に固まった言葉の集積でもある。
科学技術の発展にともない言葉はどんどん専門化、細分化していく。
たとえば医療においてCTスキャンなどはすでに耳慣れた言葉だが、もしかしてこの表現よりも「人体輪切り画像」と言ったほうが感覚に強く訴えるかもしれない。
CTスキャンほど流布していない最先端の技術に関する言葉には意味も音感もがちがちに複合したものがある。こうしたわけのわからぬものを自分なりの言葉にする努力が大事。十全にできなくてもその努力が言葉を活性化させ自分を更新させるきっかけになる。
それが「言葉をひらく」ことである。

添削をしていて感じることは多くの人が言葉をひらかずにむしろ固めている、ということである。
言葉を固める、凝縮させる背景にはできるだけたくさんの情報を伝える、ないし意味をしっかり伝えたいという意識があるだろう。それで言葉がぎゅうぎゅう詰めになって悲鳴を上げる。

有名な句で言葉をぎゅうぎゅう詰めにした一例は

たばしるや鵙叫喚す胸形変 石田波郷


胸形変を「きょうぎょうへん」と読ませている。肺結核の手術を重ねて変形した彼の肺を言った造語である。
ぼくは句会にこの句が出たらたぶん採らないだろう。石田波郷というブランドが物を言った例だろう。
しかしこれは中七もすさまじい迫力、上五も切実で、俺はこうなんだという作者の譲れないものを感じる。
これは特例で波郷はきわめて美しい言葉遣いをする俳人。

細雪妻に言葉を待たれをり 波郷


中七下五のゆったりした言葉遣いが季語とあいまってしみじみした情趣をもたらす。
注意したいのは季語というのは固まった言葉、もろもろが凝縮した重い言葉であるということ。それはこの一句にかぎらずどの季語についてもいえる。
だから季語に手を加えずにポンと置くのがいい。
季語は固まった言葉だがポンと水面に投げると樟脳のように溶けて波紋を広げる。
波紋が広がるためには季語以外の言葉は水面のように整備されている必要がある、それが「言葉をひらく」という要素になるだろう。

Sさんが「言葉をひらく」と言ったのはすごい進歩である。
だからといって秀句がすぐできるかどうかはわからないが、こうやって自分で何かを習得していくことがすばらしい。それを傍で知ることはうれしい。
コメント
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