【ニューデリー=田北真樹子】不治の病を治したり、何もないところから灰や指輪などを出す「超能力」の持ち主として日本でも知られるインドの霊能者で宗教指導者のサティヤ・サイババ氏が24日、入院先の同国南部アンドラプラデシュ州プッタパルティの病院で死去した。84歳だった。サイババ氏は呼吸器などの不調から3月下旬に入院して容体が悪化、ここ数日間は危篤状態が続いていた。
サイババ氏は1926年、プッタパルティの村で生まれた。14歳の時、特別な能力を自覚。インドを代表する聖者シルディ・サイババの生まれ変わりとして、以来サティア・サイババと名乗るようになったとされる。
サイババ氏は国内外の著名人の尊敬や信仰を集め、信者の数は「世界中で1千万人」(地元ジャーナリスト)といわれる。インドの歴代大統領をはじめ、世界の著名人も信者として名を連ねる。サイババ氏をめぐっては、一時、超能力の真偽や私生活をめぐる噂が相次いだこともあった。
サイババ氏は一方で、莫大な資産家として知られる。国内外の信者からの寄付・献金によるもので、実態ははっきりしないものの資産は4千億ルピー(約8千億円)以上との見方もある。資産は、貧困層のための無料病院や教育施設、水インフラ整備など国内だけでなく、海外での慈善事業にも使われている。
独身で子供がいないサイババ氏が死亡したことで、インドの関心は、莫大な資産を誰が管理するかに集まっている。兄弟や甥が慈善事業を運営する財団の中心的存在になるといわれているが、州政府が資産管理に乗り出すのではないかとの見方も出ている。
サイババ氏はかつて、自身は90代で死亡し、その数年後に生まれ変わると予言していたとされる。だが、今回の死亡時期は予言よりも早かった。
それ以前からもよく名前を聞いたが、日本でサイババが「流行」したのは、やはり青山圭秀が『理性のゆらぎぎ』や『アガスティアの葉』を書いた、93年から94年にかけてであろうか。
その頃、僕らの周囲はよくサイババごっこをしたものだ。
青山圭秀と同様に、不思議な因縁で現地に行き、サイババのセッションに幸運にももぐりこめ、そしてサイババがその人間の前で、立ち止まり、例の「物質化現象」でプレゼントをもらったという人間が数人周囲にいた。
インドに行ったのは確からしいが、そこらへんのみやげ物やで買ってきたものなのかどうか、本当のところはよくわからない。
僕も、写真を持っていて、財布にしばらく入れていた。
ほら、これがヴィブーヴィー(聖灰)だよとか、アムハタ(甘露)だよと、ちょっと薄汚れたその写真を見せて回ったが、本当のところは、どこかのスナックで酒やつまみで汚れてしまったのかもしれない。
2000年ぐらいから、イギリスなどでサイババ批判が起こり、日本でもパンタ笛吹が『裸のサイババ』という批判本をものした。
サイババの物質化現象を超スローモーションで流し、トリックを解説する番組もあった。
サイババの信者は数百万人とも一千万人ともいわれる。
126ヶ国で数百冊のサイババ本が出版され、センターも1200あるという。
「奇跡」はとてもわかりやすいし、「奇跡」を待ち望む人々の心性に入り込みやすい。
その「奇跡」が本物かどうかなど、本当のところはどうでもいい。
サイババの哲学は、きわめて簡単明瞭なことしか言ってはいない。
誰もが、文句もつけようもない、愛の綱領だ。その意味では、マザーテレサもそうだった。
サイババの功績は、その影響力と資金力を駆使して、社会事業を積極的に展開したことだ。
だから、僕にとっては、サイババは宗教者というより、すぐれて実践的な社会事業家のように見える。
サイババ氏は1926年、プッタパルティの村で生まれた。14歳の時、特別な能力を自覚。インドを代表する聖者シルディ・サイババの生まれ変わりとして、以来サティア・サイババと名乗るようになったとされる。
サイババ氏は国内外の著名人の尊敬や信仰を集め、信者の数は「世界中で1千万人」(地元ジャーナリスト)といわれる。インドの歴代大統領をはじめ、世界の著名人も信者として名を連ねる。サイババ氏をめぐっては、一時、超能力の真偽や私生活をめぐる噂が相次いだこともあった。
サイババ氏は一方で、莫大な資産家として知られる。国内外の信者からの寄付・献金によるもので、実態ははっきりしないものの資産は4千億ルピー(約8千億円)以上との見方もある。資産は、貧困層のための無料病院や教育施設、水インフラ整備など国内だけでなく、海外での慈善事業にも使われている。
独身で子供がいないサイババ氏が死亡したことで、インドの関心は、莫大な資産を誰が管理するかに集まっている。兄弟や甥が慈善事業を運営する財団の中心的存在になるといわれているが、州政府が資産管理に乗り出すのではないかとの見方も出ている。
サイババ氏はかつて、自身は90代で死亡し、その数年後に生まれ変わると予言していたとされる。だが、今回の死亡時期は予言よりも早かった。
それ以前からもよく名前を聞いたが、日本でサイババが「流行」したのは、やはり青山圭秀が『理性のゆらぎぎ』や『アガスティアの葉』を書いた、93年から94年にかけてであろうか。
その頃、僕らの周囲はよくサイババごっこをしたものだ。
青山圭秀と同様に、不思議な因縁で現地に行き、サイババのセッションに幸運にももぐりこめ、そしてサイババがその人間の前で、立ち止まり、例の「物質化現象」でプレゼントをもらったという人間が数人周囲にいた。
インドに行ったのは確からしいが、そこらへんのみやげ物やで買ってきたものなのかどうか、本当のところはよくわからない。
僕も、写真を持っていて、財布にしばらく入れていた。
ほら、これがヴィブーヴィー(聖灰)だよとか、アムハタ(甘露)だよと、ちょっと薄汚れたその写真を見せて回ったが、本当のところは、どこかのスナックで酒やつまみで汚れてしまったのかもしれない。
2000年ぐらいから、イギリスなどでサイババ批判が起こり、日本でもパンタ笛吹が『裸のサイババ』という批判本をものした。
サイババの物質化現象を超スローモーションで流し、トリックを解説する番組もあった。
サイババの信者は数百万人とも一千万人ともいわれる。
126ヶ国で数百冊のサイババ本が出版され、センターも1200あるという。
「奇跡」はとてもわかりやすいし、「奇跡」を待ち望む人々の心性に入り込みやすい。
その「奇跡」が本物かどうかなど、本当のところはどうでもいい。
サイババの哲学は、きわめて簡単明瞭なことしか言ってはいない。
誰もが、文句もつけようもない、愛の綱領だ。その意味では、マザーテレサもそうだった。
サイババの功績は、その影響力と資金力を駆使して、社会事業を積極的に展開したことだ。
だから、僕にとっては、サイババは宗教者というより、すぐれて実践的な社会事業家のように見える。
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