サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

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74日目「石内都展 ヒロシマ/ヨコスカ(目黒区美術館)」/目黒

2008年11月30日 | 姪っ子メグとお出かけ

姪っ子メグ ようやく、石内都さんの写真展に来ることができたわね。おじさん、ご執心だったもんね。しかも、関連セミナーもあって・・・。
キミオン叔父 そうそう。セミナーやってるのは、来てみて初めて知ったんだけどね。「思想の科学」の編集長もやっておられて、現在は小説家の黒川創さんと、旧ユーゴ出身の歌手ヤドランカさん、それに石内さんね。
おじさん、ヤドランカさんのファンなんでしょ。ご挨拶すればよかったのに。
コンサートは7、8回行ってるんだけどね。ヤドランカというのは「アドリア海の子」という意味なんだけどね、1984年のサラエボ冬季オリンピックのテーマソングを歌っていたのがヤドランカ、地元の国民的歌手だったの。で、レコーディングのため日本に1988年ごろから来ていて、その頃、ヤドランカのプロデュースにかかわったのが僕の友人。その流れで誘われたのね。でも、その友人がたまたま1ヵ月ほど前に亡くなってさ、まだ「偲ぶ会」もまだなんでちょっと声をかけるのを躊躇したの。
そうなの。おじさんいつもドライブのとき、ヤドランカさんの音楽をかけていたものね。メグもすっかり覚えちゃったわよ。
ヤドランカさんは、絵の教室なんかも開いているしね。日本に来て、20年ぐらいになるんだけど(サラエボ戦争で戻れなくなった)、本人も言ってたけどさ、日本語はまだちょっとたどたどしいの(笑)。でも、歌ってるのを聞くとさ、日本人より日本語の発音が美しいなあ、と。
ヤドランカさんや黒川さんが、石内さんの作品から、声のようなものが聴こえてくるとおっしゃっていたけど、そのことが印象に残っているなぁ。石内さんという写真家が、対象との緊張感のなかで、プリントに焼き付けるわけだけど、焼き付けられプリントからなんかザワザワと語りかけてくるものがあって、あたしたち見る側の記憶のようなものを揺り動かすような・・・。
石内さんがおっしゃっていたけど、それぞれの作品のシリーズの着想はあらかじめ大枠はあるんだろうけどね、とにかく撮りはじめる、と、そしてその印画紙を焼き付ける中で、向こうからあらためて語りかけてくるのだと。



彼女の最初の作品がヨコスカなのね。70年代後半ね。まだ、アメリカ基地の町としての「昭和」の情景が残存している。百恵ちゃんのヨコスカね。
石内さんは、僕より6歳ぐらい上なんだけどさ、多摩美術大学の全共闘なんだな。で、大学中退して、作品を発表し始めるのが10年後なんだな。79年に「APARTMENT」で木村伊兵衛賞を受賞している。この頃は、町の廃墟のような、ある時代から取り残されようとしているような「悪所」とかを被写体にしている。
80年代後半からだんだん身体というものに、寄り添っていくね。詩人の伊藤比呂美とか、舞踏家の大野一雄とか。そして、爪とか皮膚とか傷跡とか・・・そうした身体に刻み込まれる歴史とか時間とかに関心が集中していくんだね。「47」という作品集では、彼女が47歳の時、同年生まれの女性たちの皮膚とか爪とかを延々と記録している。
「死」を間近にしたお父さんをとったり、お母さんの遺品をとったり、自分の肉親たちの時間に向かう中から「記憶」という世界をどんどん進化させていく。そして、辿り着いた世界がヒロシマ。原爆資料館のなかに収集されている遺品を、丹念に撮影することになる。
いままでも、原爆遺品を撮影している人は何人もいたんだけどさ、石内さんはちょっと「リアリズム」的記録でも、「反戦」イデオロギー的記録でもないと思うの。
たとえば、とても可愛らしいワンピースがあるじゃない。でも、焼け焦げがあるよね、で、僕らはそのワンピースを着ていた女性を想像し、そしてその一瞬を想像し、けれど、不思議と美しいまま残ってしまった遺物に、あらためて向き合って対話したくなるんだよね。
石内さんの写真は、こちらも軽くヒョイヒョイと眺めて歩く、という感じじゃないのよね。重苦しい、悲惨だ、告発している、ということとも少し違う。なんなんだろう。メグが知らない時代の写真があったとして、だけど、自分のおばさんとかおかあさんとかおばあさんとか身近な人でもいいんだけど、その人たちの像が浮かんできて、そして今度は自分の身体に重なってくるのね。あたしも、毎日毎日、自分の身体に時間を刻印しているんだって。
あと、石内さんは日本の写真界というよりは、世界のビエンナーレ的な場所で武者修行をするように発表したりコラボレーションしたりしてるよね。なんかそこではさ、自分の作品は、たぶんどこの国に行っても、普遍的なんだ、という自信みたいなのがあるんじゃないかな。
そうよね、たとえば「MOTHER」と題されたお母様の遺品に向かい合った作品なんて、どこの国の人だって、自分の母親の遺品を無意識に喚起することができるものね。
さて、今日は酉の日だから、大鳥神社にでも行くか。屋台が結構出ていたようだし、不景気な世の中だけど、縁起熊手の景気のいい手拍子を聞いて、元気をつけよう!
賛成!ちょっと冷えてきたから、コップ酒のお燗で、温まりましょ。

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