4人の幼なじみが歩んできた14歳から26歳までの12年間と、ヒロインの初恋の行方を描く純愛ラブストーリー。第50回小学館漫画賞受賞の芦原妃名子の同名コミックを原作に、誰もが経験したことがある恋愛の機微を映し出す。ヒロインを『未来予想図 ~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~』の松下奈緒、10代の中高生時代を『天然コケッコー』の夏帆が演じる。ヒロインの人生の時間を刻む砂時計をモチーフにした、壮大な時間の旅とドラマに心酔する。[もっと詳しく]
長編物語をたった2時間の映画にまとめるのは、それほど簡単なことではない。
ある時期少女漫画に凝っていたことがある僕にとって、もちろん芦原妃名子の3年2ヶ月にわたって連載され、シリーズで700万部が売れて、第50回小学館漫画大賞を受賞した「砂時計」は読んだことがある。
テレビの昼の帯番組として全60回にわたって放送されたドラマはさすがに見てはいない。
どちらにせよ、長編物語である。
主役は映画では14歳の杏と大吾。そこに杏の両親と祖母、島根の月島家の藤と妹・椎香が主軸にはからむことになる。
そして、杏と大吾、藤と椎香ら中学生に想定されている少年・少女たちは、12年の年の経過があり、成人役はそれぞれ、役者がバトンタッチされることになる。
漫画では、少年・少女時代や成人後も、周囲の多くの関係者たちが、またメインのストーリー軸(杏と大吾の初恋物語の行方)から分岐して、多くのサブストーリーを描くことになる。
読者にとって見れば、サブストーリーも含めた作品世界の全体でもって、ハラハラドキドキさせられたり、読者自身がそのとき持っている関心から感情移入する登場人物が分かれたり、またエピソードの受け取り方も人によってさまざまとなる。
こうした長編物語(原作)を、たった2時間足らずの劇場映画に構成するということは、ある意味とても困難な作業であると思える。
とくに、3年にもわたる連載漫画を、同時代的に生きてきた若い読者にとって見れば、自分たちの成長と並走しながら「砂時計」という物語も、その一部のように存在し、紡ぎ出されてきたということがあるだろうし、今回の劇場版「砂時計」には、物足りなさを感じてしまう多くの読者が存在したとしても、それはそれで、当然のことなのだ。
監督のキャリアは少ない佐藤信介だが、「春の雪」「県庁の星」といった作品の脚本を担当しており、それらは原作は三島由紀夫の長編作品であったり、青年劇画の連載漫画であったりするのだが、その作業を通じてシナリオ(脚本)化というものにある程度、習熟することができたのではないかと、思われる。
ここで、佐藤信介は、杏と大吾の出会いからの12年間の「初恋の行方」というメインストリームを縦軸に置き、杏の祖母美佐子、母美和子といった三世代にわたる「資質の流れ」というものを横軸に置いている。
そして、過去・現在・未来の時の流れを<砂時計>という小道具に暗喩させると共に、母美和子の自殺という<事件>を、主人公たちを巡る葛藤の根源として補助線のように設定している。
この座標軸のシンプルな設定は、ある程度は成功しているように、僕には思える。
この座標の中だけに限ってみても、物語の描き方は、無数の陰翳をつけることができる。
「初恋の行方」という縦軸を強調しようと思えば、「ずっといっしょにおっちゃるけん」という大吾の純朴な約束が、藤や椎香を交えての幼い三角関係や、<性>をめぐるたどたどしい好奇と怖れや、遠距離恋愛をめぐる日常性(身体性)と非日常性(観念性)の葛藤のようなものを、どれほどエピソード化するかということになる。
また、三世代に渡る女系の「資質の流れ」という横軸を掘り下げようと思えば、島根の地方都市の収縮した人間関係の中で、祖母美佐子と母美和子がどのように融和したり孤立したりしてきたのか、そして美和子が正弘と出会い東京に出て離婚に至るまでに、どのように不安神経症のようにも見える<病理>が心身を蝕み、自殺にいたるまで追い詰められ、そのことは幼い杏の無意識にどのように覆いかぶさってきたのか、深く解釈しようと思えばどこまでも事例を重層させられることになる。
つまり「砂時計」という芦原妃名子の原作は、少女漫画という表現手段は別としても、普遍的な構造と主題を、持っている作品なのだ、と言い直すことも出来るのかもしれない。
ヒロインの杏の少女時代を演じるのは夏帆。
「天然コケッコー」(07年)で新人賞を独占したが、つづく「うた魂♪」(08年)では、ちょっと飄軽な役どころで演技の幅を広げたという印象も持ったが、今作では母親の自殺に脅かされる心理を巧みに演じていたように思える。
成人役の松下奈緒は、ピアニストとしての才能はともあれとしても、演技のほうは「アジアンタムブルー」(06年)の不治の病に倒れるカメラマン役も、「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」の編集者役も、鈍重なお嬢様っぽい演技以上のものはなにもなかった。
この「砂時計」でようやくのように、内面的な演技に少しは近づいたように思える。
相手役の大吾を演じる少年時代の池松壮亮も、成人役の井坂俊哉も、はまり役であったと思う。
「砂時計」で感心したのは、撮影監督の河津太郎である。
佐藤信介監督の自主制作映画時代からの相方らしいが、舞台となる島根県の仁摩サンドミュージアムや琴ヶ浜や農村地域の牧歌的な田園風景や山小屋のシーンや・・・それらをとても丁寧に安定した構図でよく切り取っていると思えた。
最近の若手監督の映画では、どうしても雑な撮影が居直るように提出されているので、僕は最初は誰かベテランの撮影監督を起用したのかと、思ってしまったぐらいだ。
音楽のいきものがかりの起用や「帰りたくなったよ」の主題歌も、作品によくあっていると思う。
難点をいえば、劇中のサウンドトラックで杏と大吾の愉しげなカップルのシーンでは繰り返しアコーディオンを使ったような賑やかしのサウンドが流れるのだが、すぐにまた深刻なシーンに転調がおこるので、どうにも、そのサウンドがうるさく感じられたことだ。
kimion20002000の関連レヴュー
「天然コケッコー」
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私からのTBが不調で申し訳ございません。
本作品、ドラマの前に少女漫画で連絡されてたんですね!
初めて知りました。
子供時代の大吾を演じた池松壮亮くんが役にピッタリだったように思いました。
池松君は、このところ少年役で人気ですね。
とてもいい表情が出せる子だと思います。
佐藤信介氏の努力は認められるのですが、僕はまだまだぎこちないなと思うところが多いのです。
それには原作の呪縛というのはあるのでしょう。
そういう映画作家には、ヒッチコックの次の言葉を捧げたいと思います。
「観客を真に感動させるのは、メッセージでも俳優の名演技でも原作の面白さでもなく、映画そのものだ」
なかなかそれが実現できないのは、セルズニックがヒッチコックに言った「愛読者を裏切ることは出来ない」という言葉に裏打ちされます。
SFやミステリーでは実行されるケースが多いですが、テーマが重要視される一般小説ではやはり難しいのでしょう。しかし、原作に忠実に作っても満足しないのが原作ファン・・・というのもまた事実。
映画作家たちには同情しちゃいます。^^
>映画作家たちには同情しちゃいます。^^
ほんとうにねぇ(笑)
原作が有名すぎると、どうしてもひるんじゃう要素もありますよね。
モチーフだけにするか、徹底して忠実に作品化するか。
そうはいっても、作品時間の問題もあるしね。
逆に言えば、脚本(シナリオ)の腕のふるいようが注目されるのかもしれませんね。