気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

橋と船と兎とバイク(3)

2016-11-27 00:32:00 | ツーリング/ドライブ
現地参加のゆうさんは、広島県在住の方で、しょっち~さんの
お知り合い。

なので盛港で落ち合うことになっていたのですが、
前述の通りギリギリの行動をしていたため、先に人数分の乗船券を
買って頂いたのです。

出港してから各々立て替えて頂いた乗船券の代金をお返しします。

と、ここで私は何を勘違いしたのか金額を間違えてお返し・・・。

はたと気が付いたのは、帰宅後乗船券の半券を見たとき。_| ̄|○

すみません。次回お会いしたときに差額をお返しいたします。


さてさて、バイクを港に残して我らが向かう先はこちら。



瀬戸内海のとある島でございます。

ここは人を腑抜けにしてしまい、そして依存症に陥ってしまう
恐ろしい生き物がいるというのです。Σ(゚Д゚;)

それは・・・








『は?なんで兎が?』と思われるかも知れません。

確かに一羽や二羽なら「あ~、兎ね」となります。

が、この島は・・・

うさぎ
うさぎうさぎ



うさぎうさぎうさぎ
うさぎうさぎうさぎうさぎ
うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ



うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ
うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ
うさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎうさぎ・・・

「数えられんわ~~~!」というぐらいに兎だらけなのです。

そう、やって来たのはここ・・・



大久野島。

別名『兎島』と呼ばれる島です。


大久野島、実は昨年も訪れるつもりで計画していたのですが、
前述の通り悪天候中止となってしまい、今年になって訪島が
実現したのです。

で、何故バイクで来ないのか?

大久野島は島のあちこちに兎がめちゃくちゃおります。
で、あちこちから突然道路に飛び出てくることがあり、
島内道路で事故に遭うということでバイク・車の乗り入れは
できなくなっています。

とはいっても、島内唯一の宿泊施設である『休暇村大久野島』に
宿泊する方のみバイク・車の乗り入れは許可されています。
(あとは工事関係や配達関係などの車両など)

乗り入れは許可されていると言っても港までで、港から宿までは
専用バスで移動となります。

なので我々のようにツーリングの途中にふらりと寄る場合は
バイクで島に下りることはできないため、港に置いてくるのです。


さて、島に向かう最中、ツーリングなのにバイクを置いて
向かう島はどんな島なのかという話になりました。

「どこに行くん?」

「兎島です」

「うさぎ島?」

「若くて綺麗でスタイのいいおねいちゃんがバニーガールの姿で
 出迎えてくれるウハウハな島なんです。なので”兎島”と言います」

「ヽ(・∀・ )ノ」

ですが島に着くと、おねいちゃんはおらず兎だけが・・・。

「(´・ω・`)・・・」

ですが・・・



ひすあきさんが持参してくださった兎用の餌をまくと
ワラワラと寄ってきます。

さきほどまで(´・ω・`)な方々も・・・



あああ・・・、もっと、もっと餌をくれ~

(うさぎに与える)餌をくれ~~~


うさぎLOVE♡

・・・になったという話があったとかないとか。(^^;)


冗談はさておき、



こんな姿や・・・



こんな仕草を見ていたら、腑抜けになってしまい、
重度の兎依存症になってしまうのも頷けます。

さて、これらの兎たち、一説には島内に約700羽も生息しているとか。

ちなみに兎の品種は、本州などで見られる”ニホンノウサギ”でなく、
外来種の”アナウサギ”。
穴を掘って生活する兎だそうです。

島の宿泊施設のマスコット的な動物として、昭和46年(1971年)に
地元のある学校で飼育されていた兎8羽が持ち込まれ、
それが野生化し繁殖したらしいです。

なにせ天敵となる犬や猫がいないので繁殖し放題。

最初の8羽が40年かけて島内全域に推定700羽まで
繁殖したということです。


船乗り場に来ているのは、その中のほんの一部だけですが、
人慣れしてくることも有り愛嬌たっぷりにおねだりします。

なので、皆、どんどん魔力に魅入られてしまう・・・

もっと、もっとウサギに餌を~

うさぎぃ うさぎぃ・・・


皆、兎依存症の症状を発症仕掛けましたが、
絶妙のタイミングで帰りのフェリーがやってきました。

長時間滞在すれば離島できなかったかもしれません。

それほど危険な島なのです。(笑)

名残おしいですが撤収です。



「ふむ、また餌を持ってくるのじゃぞ」

貫禄あるボスウサギっぽい兎に見送りを受け、
フェリーに向かいます。



あまりの可愛さに、島のウサギを鞄やリュックに隠して持って
帰ろうとする、不埒な輩がいるとのことで、大久野島からフェリーに
乗る前には厳重な持ち物チェックがあります。(大嘘)



ここで少しだけ大久野島の歴史を・・・

大久野島と聞いて、ミリタリファンであればすぐに思い浮かべるのが
化学兵器工場。いわゆる『毒ガス製造工場』です。

昭和初期~昭和20年までの間、この島には帝国陸軍の
化学兵器工場がありました。

明治35年に建設され、軍施設の再編で大正13年に廃止された
芸予要塞という要塞の敷地や設備を流用して、昭和2年に建設
開始、昭和4年に竣工しました。

操業開始後はシアン化水素(いわゆる青酸)、マスタードなどが
製造され、昭和18年には製造は最盛期を迎えました。

そんな重要軍事施設ということで、昭和初期まで住んでいた住民は
工場建設にともない強制退去となり、それが故に戦後も誰も住んで
いない島となったのです。

また島の存在を秘匿するために、地形図や地図上も消されたそう
です。

これは芸予要塞が建設された当時からだったとかで、重要施設が
あるところは似たようなことが行われていたようです。

地図で消しても、地元の住民の方々や漁師さんらは知っているから
あんまり効果ないと思うのですがね・・・。


大東亜戦争終結により毒ガス製造工場は操業停止となりますが、
問題はその後。

大量の化学兵器の原料や毒ガスが島に残されました。

旧陸軍は焼却したり埋葬したり、周辺海域に投棄しました。
その後は進駐した米英軍により無毒化処理も行われました。

工場施設はほとんどが破壊され、要塞だった一部が
残るだけとなります。

作業は昭和22年6月頃に終了し、平和な島に戻りました。

やがて大久野島に国民休暇村が整備されることになります。

整備にあたり、陸上自衛隊による調査が実施されると、
まだ大量の毒ガスが残っていることが分かります。

もちろんこれらは撤去され無毒化されますが、
その後の建設工事中に埋められた毒ガス類で被害が出るなど
しました。

また平成7年度の調査で環境基準値を上回るヒ素による
土壌汚染が判明。井戸水も人体に影響のない微量のヒ素が検出。

土壌は改善処置がなされましたが、井戸水は平成16年以降は
使用を中止。

なので忠海から上水道をひこうとしたら、送水管を通す予定の
海域に海中投棄された化学兵器類が大量にあることが分かり、
撤去にどれけの期間と予算がかかるかわからないということも
あり事業は中止。

現在、休暇村で使用している水道水は毎日島外からトラックで
運ばれているとのことで、戦後70年を経ても影響が残っている
わけです。

また工場の稼働期間中や戦後の処置過程、投棄された毒ガスに
触るなどして多くの方々が死傷されて、後遺症で苦しんでいる
方もいます。

今では兎だらけの兎島ということですが、そんな負の歴史もある
ことを知って訪れてもらいたいものです。

閑話休題。

15分ほどで大三島に戻ってきました。

港に近づくと・・・



桟橋に沢山の乗客が待っていました。

この待っている方々の多くが、手に手に”うさぎの餌”を持って
いました。

背中には大きく膨らんだリュックサック(おそらく中身は兎の餌
でしょう)を背負った方。

大きなビニール袋に大量に詰め込んだ餌袋を両手に持つ方。

餌袋を沢山入れた段ボール箱をキャリアを積んで引っ張る方。

皆様、兎の魔力に魅入られたのですね・・・

訪島される方はご注意を・・・

(続く)


橋と船と兎とバイク(2)

2016-11-24 18:50:00 | ツーリング/ドライブ
雨ですが天候は仕方がない・・・。

雨具を着て雨の中出発します。

しかし雨とは言っても小雨。しばらくすれば止むような
雨でした。



いつものコンビニに到着すると、ほとんどあがっていました。

これなら晴れてくるでしょう。

休憩&朝食の後に出発。

R196~r38~R317で来島海峡大橋に向かいますが、
時刻は朝の7時台。
世間では平日なので、道は通勤の車で混雑気味。
そんな車に混じって8台の原付バイクが今治市街を進みます。

予想以上に混雑していたので、来島海峡大橋原付道入口まで
時間がかかりましたが、8時前には到着。



ここまで来ると雨は上がっていました。
雲の感じから晴れてくるだろうということで、皆雨具を脱ぎます。

実はこの時点で意外と気温が高く暑かったのです。

さて、この時点で時刻は午前8時頃。

実は、@管理人は少し焦っておりました。

なにせあと一時間以内に大島・伯方島の2島を通り抜け、
9時までに大三島の盛港に着かねばならないのです。(`・ω・´)

8時過ぎに原付道入口を出発。

いつもならエレベータで下りる馬島には寄らずに一気に大島へ。

途中の料金所でチケットを購入していたので、これでさらに
時間が足りなくなります。

でもいちいち小銭を取り出さなくて済むようになったのは
うれしいですね。



急げ、急げ~!

で、あっという間に来島海峡大橋を渡って大島へ。



大島側の原付道入口。この時点で時刻は8時20分頃。

全員居ることを確認して、すぐに出発。

大島のR317はアップダウンのある快走路。
のんびりと楽しんでいる・・・余裕はなく少しハイペースで走ります。

慣らし運転?
なにそれ? 食べたらおいしいの? ( ゚∀゚)ァハハ八八ノヽノヽノヽノ \

10分ほどで大島を縦断。

続いて伯方・大島大橋で伯方島に渡ります。
大三島の料金所から伯方島の原付道入口までたったの2分半
ほど。

伯方島のR317を走って大三島橋を渡って、大三島側の料金所
まで約6分。

伯方島はわずか6分ほどで通り抜けています。

(ひすさんに、「2分で通過した~」と言いましたが、
 あれは伯方・大島大橋の通過時間でした。すみません)

*走行時間は、私が録画した走行動画の時間から算出しています。

大三島橋の大三島側料金所を出たのが8時45分頃。

あと15分~~Σ(゚Д゚;)

ぐねぐねした狭路を下り、平坦な2車線道に出ると
再びハイペース走行。

大三島のR317、たま~に白バイがスタンバイしているので、
待機ポイント付近は慎重に通過。

いつもはのんびり走る道も、とにかく急いでかつ安全運転で
走ります。

そして・・・



間に合った~~

盛港には9時ちょうどに到着。

そう、盛港9時5分発のフェリーに乗るために急いでいたのです。

さて、我々はバイクを駐輪場に停めて慌ててターミナルに
駆け出します。

そう、切符を買わねば!

「待ってましたよ~」

・・・と、ここで現地参加のゆうさんが、すでに人数分の乗船券を
持って登場!

挨拶もそこそこに、急いでフェリーに向かいます。

船がでるぞぉ~~~!


どうにか出港間際に間に合い、無事に乗船。



我々が乗船するとほぼ同時にフェリーは離岸しました。

大三島に入った時点で15分しかなく、完全に次便になるものと
覚悟していたのですが、ほんまに着いてしまってびっくりですわ。

ゆうさんが、人数分の乗船券を購入してくれていたおかげで
どうにか乗船できることができました。

ありがとうございます。m(_ _)m


さて、バイクツーリングなのにバイクを置いてどこに行くのか?

続きは(3)で。


橋と船と兎とバイク(1)

2016-11-20 18:41:00 | ツーリング/ドライブ
昨年は悪天候で本番と予備日も中止となり開催されなかった
『しまなみツーリング』。

今年はいうと、出発日となる10月17日(月)の大阪は雨予報で
18日(火)は曇りとのこと。

瀬戸内、広島の予報は18日は晴れ。

大阪の月曜日の雨も夕方には上がるということなので、天候的には
非常によろしい状態でのツーリングとなりそうで一安心。

火曜日的には2年ぶり、@管理人的には3年ぶりの”しまなみ”
です。ヽ(・∀・ )ノ

さてさて、月曜日は早々に仕事を切り上げて帰宅。
帰宅と行っても家には帰らずにガレージに行ってバイクに乗り換え。

今回からは退役したKSRⅡに変わって就役したKLX125での
参加。
KLX125での初”しまなみ”ということになります。

このツーリングまでに慣らし運転を終わらせておくつもりが、
なかなか乗る機会がなく、”しまなみ”自体が慣らし運転ということ
になってしまいました。

今回は大人しく走ろう・・・。

ま、かっ飛ばす道はないから大丈夫か・・・。


集合場所の大阪南港FTに2040時頃に到着。

すでに数名の参加者の方々が到着しておりました。



@管理人の私は遅い方でして、早い方はすでに17時頃には
到着されていたそうで・・・。

途中で原付で近畿道に入ってしまって大変なことになってしまった
ぽにょさんが到着され、これで現地集合のゆうさん以外の参加者が
揃いました。

参加者>>

ひすさん、しょっち~さん、タカさん、豆柴さん、ぽにょさん、
マークさん、ライス大森さん、@管理人

あと、せ~やんさんがお見送りを兼ねて差し入れを持って来て
くださいました。
ありがとうございました。m(_ _)m

全員集合したので乗船手続き。

チケットカウンターのおね~ちゃんの計らいで、
私らだけ一部屋でまとめてくださいました。ヽ(・∀・ )ノ

手続きするとすぐに乗船。
バイクを停めると甲板係員の誘導で階段へ。

このときにちゃんと位置を把握しておかないと、下船時に
大変な目に遭うのです。

というのも、下船時には車輌甲板は大型トレーラやトラックで
びっしりと埋まっており、ライダーはトレーラの間のわずかな
隙間を縫うように歩かねばなりません。

”『●●運送』のトレーラを見たら左で、『××運輸』の
脇を通っていったらバイクがある”というように覚えて
おかないとならんのです。

いつかは忘れましたが、適当に歩いたら全く逆の方向に
出てしまったことがありました。

マーキングできないので、しっかりと位置を確認して
車輌甲板を後にします。

階段とエスカレータを上がって指定された部屋に到着。

前述の通り、私ら以外はいないので、各自思い思いの
場所を確保。

一息つく間もなく風呂に入ってくると宴会!

ワイワイガヤガヤと話題は尽きませんが、
明日のことがあるので24時前には寝ることに・・・。

「明日は晴れて気持ちいいだろうなぁ~」とwktkして
寝たのですが・・・

翌朝、東予に到着すると・・・





ヽ(`Д´)ノ

11回目の開催で、初めての雨中走行となりました。

<<つづく>>

橋と船と兎とバイク(0)

2016-11-20 11:31:00 | ツーリング/ドライブ
いろいろやることがあったので遅くなりましたが、ぼちぼちと
UPしてゆきます。

毎年、@管理人が世話役を務める10月中旬頃に開催している
『火曜日ミーティング 秋のツーリング』のツーレポでございます。

先に書いておきますが、途切れ途切れになりそうなので予めご了承
くださいませ。

--------------


火曜日メンバーで『秋のツーリング』を初めて開催したのが
平成17年(2005年)10月。

基本的に四国・瀬戸内方面へのツーリングとなっていました。

昨年までの行き先をざっと書くと・・・

第一回 平成17年(2005年)10月:しまなみ海道
第二回 平成18年(2006年)10月:四国カルスト
第三回 平成19年(2007年)10月:四国縦断
第四回 平成20年(2008年)10月:しまなみ海道
第五回 平成21年(2009年)10月:とびしま海道
第六回 平成22年(2010年)10月:とびしま海道
第七回 平成23年(2011年)10月:しまなみ海道
第八回 平成24年(2012年)10月:しまなみ海道(@管理人不参加)
第九回 平成25年(2013年)10月:しまなみ海道
第十回 平成26年(2014年)10月:しまなみ海道(@管理人不参加)
    平成27年(2015年)10月:悪天候続きで開催断念

・・・となっていました。

第八回と第十回は、@管理人の個人的ならびに仕事の都合で
不参加となりましたが、他は参加してます。
世話役ですから当たり前ですよね・・・。

昨年は”しまなみ海道”を企画しながらも、本番も予備日も悪天候で
中止となり、ツーリングそのものが実施されず・・・。

なので今回は2年ぶり、@管理人が参加するのは3年ぶりと
なります。

行き先は”しまなみ海道”。@管理人的には4年ぶりです。

・・・と、ここまで書いたところで、
先ほど下の娘が吐きました。多分ノロです。

書き始めましたが、嘔吐物の除去と消毒・殺菌作業のため
いったん落ちます。m(_ _)m



飛燕見てきた その4

2016-11-10 22:40:00 | ノンジャンル
過給機と共に復元に時間がかかったのが『水・滑油冷却器』。



この黒い箱みたいなのが冷却器。

試作17号(6117号機)では最初から無かったので、
1から作ることになったそうで・・・。

ところがこの冷却器に関する情報がめちゃくちゃ少なく、
復元には2年もの歳月がかかったそうです。



主翼の付け根付近にある出っ張りが冷却器があるところ。
ここに冷却器があり、周りを冷却器覆で囲まれています。

知覧に展示されていたときは、翼の下面はあまり見えなかった
ので、今回の展示で初めて見ることができました。



左後方から撮影。
この方向から見てもかっこいいですね。


プロジェクトチームの方々の『飛燕』修復・復元にかける情熱は
相当なものと感じました。

プロジェクトチームは会社に命じられて結成されたのではなく、
有志によるボランティアで結成されたとか。

それもこれも、当時の技術や約75年前に設計・製作に携わった
諸先輩方の情熱や努力を解明すること、そしてそれらを後生の
技術者に伝えるためでしょう。

プロジェクトチームの方々の努力と情熱には本当に頭が
下がります。



大東亜戦争中に培われたいろんな技術や製法が、戦後の
技術大国日本の礎になったことは間違いありません。

当時の設計者や技術者の方々の多くが鬼籍に入られた今、
こうして最新の測定技術を用いるなどして、当時の技術や
情熱などを再評価し、後生に伝えるのは必要なことだと
思います。

戦後70年ほど経過して、ようやくこういうことが出来るように
なったことは喜ぶべきことでしょう。

・・・というより、今でが異常だったのでしょうね。


『兵器』というのは、作られた当時のその国の技術力・科学力・
人材などの結晶であり最高技術の塊です。

当時の技術力を知ることができる”歴史的な産業遺産”でも
あるのです。

それらを解明して知ることが、これから必要でしょう。

何でもかんでも『戦争ニツカワレター』『殺人兵器ダー!』と
レッテル貼りして闇に葬ろうとする流れは間違っていると
思いまする。



『飛燕』の右翼下にあるのはカワサキのバイク『Ninja HR2』。

水冷4ストローク直列4気筒998ccエンジン搭載マシンで、
300馬力を出せるとか。

そしてこのエンジンにはスーパーチャージャーが搭載されて
おります。
スーパーチャージャーすなわち過給機です。

エンジンとスーパーチャージャーの開発にはモーターサイクル&
エンジンカンパニー部門だけでなく、川崎重工グループの
ガスタービン&機械カンパニー、航空宇宙カンパニー、技術開発
本部などの他部門の協力でもって設計されています。

それらの技術は「ハ40」や「ハ140」の液冷エンジン開発の
技術やノウハウを基に約70年も培われてきた技術です。

飛行機とバイクの展示、一見すると『?』という展示内容ですが、
脈々と受け継がれてきたカワサキの技術力があるのだと思います。

●ここにも技術力がー!



カワサキ750Turbo。

ターボチャージャー(過給機)を搭載したバイク。

HR2より30年ほど前の昭和59年(1984年)に発売された
バイク。

とんでもない加速力でエンジン全開にすると大変危険だと言われた
バイク・・・。

バイク雑誌のレビューで「やばいよ~」と遠回しに書かれたという
伝説のバイクです。

最後に姿を見たのは何年前かなぁ・・・。
ここ10年ぐらいは見たことありません。
ま、行く所に行けば見ることができるんだろうけど。

今乗れば、間違いなく自爆します・・・。

過給機搭載ということで、「ハ40」「ハ140」エンジンの末裔に
なるってことで展示されたのでしょう。

<<おわり>>