気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

北海道ツーリング1995(6)

2020-11-15 22:17:00 | ツーリング/ドライブ
◆平成7年(1995年)9月27日(水)

朝7時半頃に起きる。
天候は晴れである。

朝食の後、荷物をまとめてバイクに積み込む。
昨晩、いろいろと話した宿泊客に挨拶して、9時頃にYHを出発した。


↑ペンション風の清里YH。
 たぶん、出来て間もない頃なのだろう。(当時の時点で)


昨晩、ルートを考えていたら納沙布岬に行きたくなったので、
計画していたルートを変更して、知床峠を越えて海岸沿いに
根室方面に行くことにした。

清里から斜里に出る。
斜里からはR334でオホーツク海を左側に見ながら走る。
晴れていて気持ちが良い。

10時半頃に宇登呂到着。
ここから知床峠に向かってR334を上って行く。

しかし標高が上がって行くに従って曇って来た。

宇登呂と羅臼は峠を挟んで南北に位置するが、片方が晴れていれば
片方が曇りや雨という具合に、天候が全く異なることが多いという。
両方が晴れることは少ないとか。

そういう話を昨晩聞いたので、もしかしたら峠を越えたら曇りか
雨かと思いテンションが下がる。


↑R334を知床峠に向かう。この先から霧中を走ることに・・・

やがて標高500m付近から霧が出て来た。
これは峠付近からは雨かもしれないと思い、500m付近で
雨具を装着。
今回のツーリングで初めて雨具を装着した。


↑雨具装着完了! この時はまだ写真を撮る余裕があった。
 すでに周囲に霧が立ちこめ始めていた・・・。


標高500mを越えて進む。
霧中走行は本州で何度か経験していたので大丈夫だろうと思って
走っていた。

しかし、それは甘かった。

標高が上がるにつれて霧がどんどん濃くなって行く。
雨具を装着して正解だったのだが、それよりも視界がどんどん
悪くなって行った。

視界が悪い中、前方に注意してひたすら走る。
とにかく初めて走る道で、カーブが多いので気が抜けない。

11時頃にやっと標高738mの知床峠に到着したが、峠は濃霧に
包まれていた。

視界は1mもない・・・。

とにかく前が見えない。大変危険な状態である。

かなり速度を落としてゆっくりと進んで行くと、突然左側から人影が
現れた。
横断歩道があったのだ。

目立つ色の服装だったのですぐに気が付いて止まれたが、
速度を出していたり目立たない服装だったらツーリングは
終わっていた。

濃霧の知床峠であったが、知床峠の標だけは撮影する。


↑知床峠着。国後島の島影は全く見えません・・・。

濃霧の知床峠なので北方領土は全く見えない。
いても仕方ないので早々に出発して羅臼に向かう。

峠を越えて標高が下がれば霧が晴れて行くだろうと思っていたが、
甘かった。

むしろ羅臼に下って行くにつれて霧はさらに濃くなって行ったのだ。
風向きなのか、地形によるものだろうか?

とにかく前がほとんど見えなくなった。
走る先がカーブなのか直線なのか、先行車が走っているのか
いないのか・・・。

全く分からない。

しかも水滴がシールドに付いて視界がさらに悪くなる。
グローブで水滴を拭っても、すぐに水滴が付く・・・。
さらに息でシールドが内から曇る・・・。
シールドを上げて走るが、今度はメガネに水滴がついてしまう・・・。

もう何やってもダメダメな状態であった。

さすがにメガネに水滴が付くと厄介なので、ハザード点けて路肩に
停まってメガネをタオルで拭く。

気を引き締めて出発しようと走りだすが、やはり濃霧で前が
見えないので、低速で走ることになる。

とにかく後続車に追突されたらひとたまりもない。
ハザードを点滅させて走る。

しばらく走っていたら後ろから気配を感じたのでミラーを
見てみたら、霧の中から観光バスが飛び出してきた。

特撮で滝裏にある秘密基地から飛行機が飛び出してくるシーンが
あると思うが、本当にそんな感じで霧を突き破って出て来た。

めちゃ驚いた。

路肩近くを走っていたが、観光バスは右横すれすれを
追い抜いて行った。
通過時の水飛沫と風圧が凄かった。

もし運転手が気付くのが少しでも遅れていたら、ツーリング
どころか人生そのものが終わっていたかも知れない・・・。

停まるわけにはいかない、とにかく峠道を下りなければと
さらに気を引き締めて走り続ける。

幸いにも、その先は後続車に抜かされることはなかった。

標高が下がるにつれて霧は徐々に薄くなって行った。
視界が10mほどまで回復すると余裕が出て来たが、
停まって写真を撮影する気は起きなかった。

そして1合目まで下りてきたら、やっと霧が晴れた。

羅臼の町中に入り、ホッとする。
濃霧中の走行がいかに危険で大変なことであるかを
身をもって体験した次第・・・。


↑無事に羅臼に到着。R335で標茶方面に向かう。
 なお、この先も曇り時々雨という天候だったので、この日撮影した写真は
 これが最後となり、以後写真はありませんです・・・。


羅臼からはR235~R272で中標津へ。
記録ではこの日に再び開陽台に寄っている。
この天候で展望は今一つなのに何故寄ったのだろうか?

開陽台で根室行きを断念して、弟子屈経由釧路に向かうことに
した。

13時半頃に開陽台出発するが、直後何もない原野で謎のエンストで
焦っている。

その後は特に問題なく走ったようで、15時頃に弟子屈に到着。
天候は雨。
道の駅『摩周温泉』に立ち寄る。
ここで釧路のYHに連絡してみるが、2軒とも満室とのこと。
あとで知ったことだが、この日は釧路で何かの学会が開かれて
いたらしく、そのためどこの宿泊施設も満室だったとか・・・。
これで釧路行きは断念した。

とりあえず本日の宿を探さないとならない。

『とほ』も持っていたから弟子屈や摩周湖周辺の宿を探すことが
できたのだが、「まだ走りたい」という思いがあって移動する
ことにした。

阿寒湖にYH(エンジェルYH)があることに気が付いたので
連絡してみる。
宿泊OKということなので、阿寒湖に移動する。

雨の中、弟子屈からR241を阿寒湖に向かう。
最初は平坦な道だったが、やがて急カーブ・急坂が続く道に
なる。

そして標高が上がるにつれて雨がやみ、霧が濃くなってきた・・・。

また霧だ・・・。

知床峠での恐怖が蘇る。

しかし知床峠に比べると霧は薄く、視界は10mはあった。
50mぐらい先を観光バスが走っていたのも助かった。
視界が悪くても道路状態が把握できる。

バスの後をついて淡々と走って阿寒湖に到着したのは16時頃だった。
ずっと雨中走行だったので、早々に宿に入ることにした。

国道沿いにホテルが立ち並んでいたが、YHは見当たらない。
それもそのはず、阿寒湖YHはホテル街の外れの国道沿いに
あった。

対向車線側にあり、気付くのが遅れて行き過ぎて引き返して
やっとYHに到着した。

くたくたになってYHに入る。

阿寒湖エンジェルYHは昭和のYHの面影を色濃く残すYHだった。

覚えているのは、風呂は温泉で、浴室のタイルや浴槽に温泉の
鉱質成分がこびりついた年季の入った渋い浴室であったこと
ぐらいである。

関西から旅行に来たという女子二人組と、名古屋から来た男性と
一緒であった。

食後のお茶会でいろいろと話したが、さすがに今日は疲れて
いたので、早々に部屋に戻り寝てしまった。

この日の晩、阿寒湖周辺は大雨となり、雨音を聞きながら
寝てしまった。

走行距離:251km

>>つづく

北海道ツーリング1995(5)

2020-11-08 22:08:00 | ツーリング/ドライブ
民宿『さろまにあん』到着後、夕食となる。

@管理人以外に男女合わせて数名が泊まっていた。
話の内容からすると常連客らしい。

宿のスタッフさんが誕生日ということで、食後しばらくしてから
誕生日会と言う名の飲み会が始まってしまった。

なんか飲み屋のノリである。
酒は飲めないのだが、こういう雰囲気や流れは嫌いではない。

場はあれよあれよという間に盛り上がった。

しかし、明朝早くからに出なくてはならず、21時頃になると
そのスタッフさんはそそくさと寝てしまった。

漁?

常連さんに聞くと、宿主さんは漁師でもあり、
スタッフに漁を手伝ってもらうことがあるらしい。
希望すれば宿泊客も漁に出ることができるとのこと。

旅人相手の宿はこういうものなのか。

この後、突然”歌しりとり”が始まった。
常連客と@管理人、そして女子東大生の4人か5人が参加。

しりとりの間に世間話や東大の話などをしながら盛り上がった。

その最中、22時ぐらいだったか、玄関が開いて宿泊客が転がり
込んできた。ライダーか車かは忘れた。

オーナーさんはすでに寝ていたため、対応したのが常連客というのが
面白かった。

しばらくしてから宿の女将さんが出て来て受付。
受付が終わると女将さんが自室に帰ろうとしたが、玄関の施錠を
していないことに気が付いたので指摘したら、
「うちは夜中でも施錠しないよ。宿始めてから鍵かけたことない
のよ」
・・・とのこと。

たまに夜中にやってきて勝手に宿に入り廊下で寝ている客もいると
いう話を聞いて驚いたのを覚えている。
(ま、25年前の20世紀末の頃だからねぇ・・・)

北海道はなんとおおらかな土地なのだろう。

そして宿もだ。
たまたま同泊した初めって会った旅行者同士が、移動手段はともかく
『旅人』というだけですぐにうちとけ合って仲良くなれる。

『旅人』同士の交流が目的という宿の存在を初めて知った。

この一件で、『とほ』というガイドに載っている数々の”とほ宿”に
興味を持ったのである。

こういう出来事があったので、この日の晩のことは25年ほど過ぎた
今でも覚えているのだ。

さて、歌しりとりは日付が変わる頃までやっていた記憶がある。
常連客は酒がかなり回ってぐでんぐでんになっていたので
しりとりはお終い。
就寝となった。


↑とほ宿『さろまにあん』
 代替わりして、今の宿主さんは2代目とのこと。
 元常連客だったという噂を聞きましたが、どうなんでしょう?


◆平成7年(1995年)9月26日(火)

朝7時半頃起床。
宿のオーナーさんは漁から帰宅して寝ていると、
一緒に漁に行ったスタッフさんが教えてくれた。

8時頃から昨晩の常連客さんと一緒に朝食。
歌しりとりが続く・・・。

常連客さんは連泊するというが、私は移動しなくてはならないので
名残惜しいが出発することにした。

常連客さんに見送られ、9時半頃に民宿『さろまにあん』を
出発した。

ちなみに、私が宿主さんを見たのは、昨晩の夕食時に
ビールを飲んでいる姿を見たときだけであった。


宿を出発後、宿の常連客さんに教えてもらった『一本の木』を
見に行く。
R238から脇道に入り牧場地帯を行くと、
オホーツク海をバックに草原の中にポツンと木が一本立っていた。
北海道らしい光景だ。

撮影してからしばらく景色を眺めていた。
走るだけではなくて、停まって景色を眺めているのも良い。


↑『一本の木』。
 行き方をノートに書いてありますが、場所は忘れました・・・。


記事を書いているときに調べてみたら、25年も経過した今でも
立っていた。写真を比較すると、大きく成長してました。

R238に戻り網走に移動する。
R39との交差点から少し進むと網走刑務所が見えてきた。

高倉健さん主演の『網走番外地』シリーズで有名な刑務所で
ある。

早速寄ってみるが、中に入ることなどできないので、
門前で記念撮影だけして出発する。


↑壁の向こうが網走刑務所。
 現役の刑務所なので、観光では入れませんです。


網走市街を抜けて、R244~R391~r805~
r1115というルートを通って移動する。


↑網走まで海沿いを走ってきたが、R391からは内陸に向かって行く。


山間を進む整備された2車線道を進むと、『神の子池風景林』の
看板が見えてきた。

『さろまにあん』の常連客さんに、網走方面に移動すると話したら、
「道東に行くから”神の子池”に行ってみたらいいよ。青くて綺麗な池
だよ」とお勧めされていたので、寄ってみることにした。

が・・・



ダートやん・・・

一瞬、スルーしようかと思ったが、お勧めされたのに行かないのは
悪いかなと思い、荷物満載のZRX400で突入した。

最初はそう荒れておらず、「行けるんちゃう?」と思ったが、
進むにつれて轍が深くなって荒れてきた。
バイク初心者が荷物満載のZRXで進むには難しい道となった。

こうなっては引き返すわけにもいかないので、冷や汗かきながら
どうにか広場に着いた。
比較的平坦な場所にバイクを停める。

神の子池に着いたときに見た光景は、それまでの
苦労を一気に忘れさせてくれるぐらいに綺麗だった。



池の水は摩周湖からの伏流水。
摩周湖には、水が流れ出す川も流れ込む川もないのに、年中を
通して水位が常に一定という不思議な湖。
実は湖の周囲には、神の子池のような湖からの水を湧き出している
所がいくつもあるため、水位を一定に保っているとのこと。

神の子池、周囲約220m、水深5mの池であるが、湧き出す
水量は12000t/1日。
綺麗な水で透き通っており、底に沈んだ倒木の間を魚が泳いでいる。
(オショロコマという魚だとか)

水温が8℃前後で一定しているため、木が腐らないとかで
ずっと底に沈んだままになっている。

沈んだ倒木が神秘的な景色を作り出していた。

今では有名な神の子池も、25年前はマイナーな場所。
誰も居ない神子の池の畔でしばらくボケ~~っとしていた。

@管理人以外に人はいないので、まさしく貸し切り状態。
「熊が出るかも・・・」という考えはこれっぽちもなかった。

20分ほどいたが、他に誰も来なかった。
再びバイクに乗って、約2kmのダート路を走って道道に戻る。
舗装路に出たときはホッとした。

清里峠から裏摩周展望台に向かう。
展望台から摩周湖を見るが、曇っていて今一つだった。

峠に戻る途中で、道路を横切る鹿に会った。
何もなかったので、「北海道だぁ~!」とうれしくなったのを
覚えている。

標津郡中標津町に入り開陽台に向かう。

アップダウンの多い道を走って15時過ぎに開陽台に到着する。

このときには”カメハウス”と呼ばれた旧展望台はなくなっており、
今の展望台が完成した直後だった。

その展望台に上がって周囲330°の景色を見る。
あいにくの曇り空で今一つであったが、北海道の広さを実感した。


↑展望台から北を見る。
 9月末であるがテントが並んでいた。


そろそろ日が暮れてくるので、30分ほどしてから出発。
今日の宿は清里町の清里YHである。
どこでいつ連絡したのか記憶にはない。
YHで夕食は食べていないので、開陽台辺りで連絡したのだろう。

清里町なので来た道を戻ればすぐに到着するのだが、
同じ道を走るのは嫌だったので、開陽台を下りてからウロウロして
R244に出て、根北峠経由で清里に向かった。
峠を越えた頃には日没を迎えていたはずだ。

初めての北海道ツーリングということで、日が暮れても走って
いたかったのだろう。
今なら日没前に宿に着くように走るから、この頃は若かったの
だなぁ・・・。

さて、R244から道道を走って清里市街に到着したのは18時頃。
YHでの夕食はないので、町中の定食屋で饂飩を食べた。

店を出ると雨・・・。
雨の中、バイクで少し走ると清里イーハトーヴYHに到着した。

宿到着後、宿泊客皆で近くの清里温泉緑清荘に行くと言うので
ご一緒させていただく。

戻って来ると茶会。
酒は出なかったが、それなりに盛り上がった。

記録によると、たまたま宿泊客のお一人がJR東海の車掌さん
だったことからいろいろな裏話で盛り上がったらしい。

メロンも食べている。

こうして見知らぬ旅人が集まって打ち解け合う雰囲気が心地よく
感じていた@管理人でした。

しかし遅くまでは起きておられず、23時頃就寝。

明日も移動である。

走行距離:286km

>>つづく