気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

11月28日 のつぶやき

2010-11-29 07:00:00 | Twitter
amfrs_tw http://twitter.com/amfrs_tw
11月28日 つぶやきまとめ


fukidashi 22:22
仲井真氏当選確実!~ソースはあべしテレビ速報~
2010/11/28 Sun 22:22 From Keitai Web

fukidashi 22:06
@r_guardian “すててこ”だったのでは?
2010/11/28 Sun 22:06 From Keitai Web r_guardian宛

fukidashi 21:00
最大の見せ場でテロップ入れるNHK………。
2010/11/28 Sun 21:00 From Keitai Web



R168旧隧道群4

2010-11-28 13:38:00 | 道ネタ
■吊鐘トンネル旧隧道

吊鐘トンネルです。



トンネル北口。右側は断崖なので旧隧道がある可能性は低いです。
というかないでしょう。

となると左側(川寄り)にあることになります。

左側は草木が生い茂り何がなんだか分かりません。



道路左側の写真。一段下がっている場所があります。

長年あちこちの3ケタ国道やら県道、旧道やらを走っていると
何やら感じるのか、道の痕跡のように見えます。

茂みに近づくと・・・



白い物体をハッケソ。
よく見ると廃棄された(?)電柱と変電器(?)のようです。

この下に何かあるなと思ったので茂みに突入。
草木をかき分け斜面を下りてゆくと・・・



旧隧道あったーーー!

吊鐘トンネル旧隧道です。ご覧の通り素堀です。
しかし内部には土砂が積んであって通り抜けできません。
崩落したのではなく、内部に積み上げられたようです。

ちなみにトンネル南側の川寄りは建設会社の敷地。
資材置き場か何かになっており、隧道南口は見えません。

敷地内に入っていけば見つかるかもしれませんが、
勝手に入るわけにもいかないので未確認です。

しかしかなり断面の小さい隧道です。

吊鐘トンネルは昭和46年(1971)開通らしいですが、
それまでここをトラックやバスが通り抜けていたのでしょうか?
ギリギリのように思うけど。

<<次のネタに続く>>



R168旧隧道群3

2010-11-28 13:18:00 | 道ネタ
志古トンネルに旧隧道があったということは、
より新宮寄りにある吊鐘トンネルと高田口トンネルにも
旧隧道があるのではないかと推測してしまいます。

往路、新宮に向かうときに吊鐘トンネル北口と高田口トンネル
手前に旧道らしい廃道があることを確認していました。

復路、本宮に向かう時に立ち寄ってみました。

順番は逆になりますが、志古トンネルの次ということで、
高田口トンネルから載せていきます。

■高田口トンネル



現トンネルの北口。
手前で左に見える広場のようなのが旧道らしい道。



入ってみると明らかに旧道。左側に欄干が見えます。
路面はダートです。
建設会社に払い下げられたて資材置き場になっていたようですが、
今はなにもありません。



少し進むと道は消失していました。
工事の残土が捨てられたのか、土砂崩れが起こったのか分かりませんが、
草木に阻まれてKSRでは進めません。
ここからは徒歩で茂みに突入。



何がなんだか分からない状態・・・。
感じからして道は右カーブを描いていたようです。
なんせ進んでいたら断崖に出たので・・・( ´∀`)
注意してないと転げ落ちるところでした。((((;゜Д゜))))

で、右カーブらしき場所を右に向かうと山の斜面に至ります。
隧道らしき抗口を探しますがありません。
というより、草木が生い茂り判別できませんでした。
どうやら旧隧道は崩落したか埋められたかでないようです。

南側ですが、写真撮り損ねました。_| ̄|○
ですが、現トンネル南口横には草木が生い茂っているだけで
隧道らしき痕跡は見あたりません。
歩いて茂みに突入すればあったかも知れませんね。

<<続く>>


R168旧隧道群2

2010-11-28 12:59:00 | ノンジャンル
文字数が多いので分けました。

■志古トンネル旧隧道
さて、現在、旧隧道の存在が確認出来るのは志古トンネルのみ。
本宮から新宮に向かうと、志古トンネル北口横に旧道とゲート
代わりのガードレールがあるのが見えます。



とりあえずトンネルを越えて南側を見てみます。



旧道分岐点はここ。ウォータージェット乗り場前です。
バス駐車場に向かう道が旧道。
職員駐車場のような状態になってました。



狭路を進むと切り通しを通ります。
もとは素堀隧道があったのでしょうか?

ここを過ぎるとすぐに旧隧道に到着。



正式名称が分かりませんので、説明上、第一志古隧道とします。

第一志古隧道前にはガードレールにてゲートが設置されており、
バイク・車ともに通り抜け不可能。
隧道は崩落しておらず徒歩であれば通り抜け可能です。



第一隧道南口。素堀です。素堀。ヽ(゜∀゜)ノ
岩盤をくり抜いております。
すぐ向こうに第二隧道が見えています。

今の志古トンネルは銘板によると、昭和46年(1971)年開通とのこと。
それまでの間、この隧道をトラックやバスが通り抜けていたことに
なります。



第一隧道北口。路面は舗装されていましたが、隧道内壁はなんら
補強されず岩盤むき出し状態でした。



第二志古隧道北口。抗口にコンクリでの補強が見られます。
こちらも内部は素堀のままです。



第二隧道南口。
南口を出た所にガードレールによるゲートがありました。
南口を出て揺るやかな坂道を下ると、さきほどの旧道分岐点に
でます。

ちなみに道には草木が浸食しており、廃道らしくなっていますが、
徒歩であれば通り抜け可能となっています。

*大雨時などは土砂崩れや崩落の危険があるので行かないように
してください。あくまでも自己責任で・・・。

<<続く>>

R168旧隧道群1

2010-11-28 12:19:00 | 道ネタ
越路隧道の続き。
しばらくUPする暇なかったんで遅くなりマスタ。( ´∀`)

R168の新越路トンネル以北、東敷屋トンネルまでの間にも
いくつかのトンネルがあります。

そのほとんどが昭和40年代後半に建設されたトンネル。
それらにも旧隧道があるとのことなので、
新宮から本宮に向かう道すがら立ち寄ってみました。
さて、R168新宮~本宮間は『川丈道路』と呼ばれた区間。

明治時代まで、この区間には人一人が歩けるぐらいの道しか
なかったそうです。
物資の輸送や参詣客は熊野川を上下する舟を利用していました。

ところが大水などで川が氾濫すると、しばらくの間休航となる
ことから、物資輸送などに遅延が起こることから道路(車道)の
建設が要望されました。

明治22年(1889)9月20日、十津川~熊野川に大水害が発生。
熊野本宮大社が流されるという大災害になりました。

ちなみに十津川村に大きな被害をもたらしたのは同じ年の
8月の大水害です。

これを気に道路(車道)建設の請願が始まります。

明治24年(1891)2月に中辺路の建設(請川から先の延長工事)を
陳情。
翌25年(1892)8月に敷屋~新宮間の道路建設が陳情されます。

・・・が、全く建設される気配がないまま時が流れます。
財政不足だったようです。

明治27年(1894)までに中辺路の田辺~請川間の整備が終わり、
請川~日足(ひたり)間の改修が計画されます。

・・・が、この後、日清・日露戦争により延期。

なんだかんだで、実際に建設が始まるのは大正時代に入って
からになります。
新宮側から建設が始まり、まずは越路隧道が大正14年(1925)に
開通。本宮に向かって車道建設が本格化し、新宮~宮井間の
車道は昭和14年(1939)年頃に完成します。

この後は日華事変、大東亜戦争に突入したため建設は中断。
残る宮井~請川間が開通するのは、R168が全通する前年の
昭和33年(1958)のこと。

最初の陳情がなされてから67年かかって、やっと新宮~本宮間の
車道が開通したことになります。

参考資料:熊野川町史、本宮町史、新宮市史
<<つづく>>