気まぐれ日言己2

日々の出来事や趣味の事、時事ネタなどを気まぐれで書き込みます。

バイクでの南海ローカル駅巡り(3)

2019-12-31 22:16:00 | ツーリング/ドライブ
次に向かったのはここ。



紀伊神谷駅の一つ橋本寄りにある紀伊細川駅です。



紀伊神谷駅の高野下側にある踏切を渡ると急坂を下ることに
なります。

急坂と言っても、紀伊神谷駅までの狭路坂道と比べると、
道幅は広く路面も整備されているので走りやすいです。

しばらくは右側に南海高野線の線路や架線柱が見えていましたが、
やがてそれも見えなくなり、道路は不動谷川に沿って谷間を進みま
す。



谷間を抜けるとちらほらと人家が見えてきて、しばらくすると
集合住宅なども現れてきました。

紀伊細川の集落に到着したようです。

ですが駅がどこか分からない。



地図上ではこの付近なのですが、ご覧の通り「駅はどこ?」状態。

高野線の線路は標高の高い位置を通っているので、駅は山腹に
あるのだろうと予想していましたが、どこにあるか分かりません。

駅と道路を結ぶ階段があるのですが、どこにあるのか?

階段があるなら駅への案内があるものですが、それも見当たり
ません。見落とした?

しばらく思案しましたが、駅の位置はすぐに分かりました。



茶色い屋根の家屋の上にある白い建物・・・



ここが紀伊細川駅です。
めっちゃ山腹にあります。

場所が分かれば、あとは駅に向かうだけです。

駅の位置が分かった経緯と駅までの走行風景は動画でどうぞ。
(一部、画質が悪いです。)



・・・ということで、紀伊細川駅に到着です。



大正14年(1925年)7月に南海鉄道が高野下まで延伸してきた
後、南海鉄道の子会社であった高野山電気鉄道が、
昭和3年(1928年)6月、高野山電気鉄道が高野下~神谷
(現:紀伊神谷)間を開通させます。

紀伊細川駅はこの時に開業。開業当初は細川駅を名乗って
いましたが、2年後には紀伊細川駅に改称しています。

2017年度の乗降人員は、南海全駅100駅中98位。
上古沢~紀伊細川~紀伊神谷間で、最下位の紀伊神谷駅、
99位の上古沢駅と98~100位が並んでいます。



駅はこんな所にあります。
駅前には何もありません。自販機もありません。

駅から集落や道に下りるには、先ほど登って来た長い坂を下るか、
なが~~い階段を下りるしかの二択しかありません。



長い&急な階段です。
これはお年寄りにはかなりつらい。
健常者でも、この階段を毎日上り下りするのはつらいです。

これなら紀伊神谷駅を利用するというのも納得です。



ちなみに駅からの階段を下りるとここに出ます。
郵便ポストの先にある小道が階段入口です。
徒歩の場合はこちらからです。



階段なり坂道を登ってきたら、ここで座って息を整えてから
乗車するのでしょうか?



駅舎内。
雰囲気の良い木造駅舎に自動改札機。

自動券売機はありません。
乗車時は『乗車証明書』を発行してもらいます。

なので駅員さんが常駐しています。



ホームは対向式二面2線ですが、カーブを描いています。
写真左側が極楽橋方面ホームです。



あいにくと電車のない時間帯だったので早々に駅から出ました。

駅は標高323m地点にあるんだ。



駅前広場(?)にいた野良猫。
駅舎に器があったので、どなたかが世話しているようです。



駅前広場(?)からの風景。
先ほど走った町道と八坂神社を見下ろすことができます。

ずっと見ていられそうな長閑な風景です。



出発しようとしたら、もう一匹の野良猫が車輪の陰で休んで
いました。
日差しが当たって暑いのでしょう。

すまんが出発するからのいてくれ・・・

野良猫は渋々駅舎の方に移動したのを見届けて紀伊細川駅を
出発しました。

-----

この後、急坂を下って町道に出、そのままローカル道を走って
R370に出ました。

予定では上古沢⇒下古沢⇒高野下・・・と、高野線のローカル駅を
回る予定でしたが、上古沢駅と下古沢駅の入口が良く分からず通り
過ぎたこともありますが、時間的な都合から今回は見送りました。



大阪に帰るときに撮影した高野下駅。
左側の駅舎が高野下駅です。
いずれ訪れます。

さて、今回訪れた2駅。
難波駅や堺東駅など同じ高野線の駅とは思えない素朴な駅です。

電車で訪れて、のんびりと駅周辺を探索するのもよいかと・・・。

<<おわり>>

バイクでの南海ローカル駅巡り(2)

2019-12-30 02:33:00 | ツーリング/ドライブ
すんません。すっかり放置しておりました。
タイトルの話のづづき。

かれこれ約半年放置・・・
最終更新からも二ヶ月以上放置してました。m(_ _)m

すみません。

とりあえずは記事の続き。

極楽橋駅の話からの話となります。→その1の記事



極楽橋駅を出発。
次に目指すは、極楽橋駅の次の駅である紀伊神谷駅。

極楽橋駅から向かうルートは2つありますが、
今回は神谷集落経由のルートを選択します。



和歌山県道高野橋本線(r118)に出て神谷地区へ。

かつては高野山への最後の宿場として栄えた神谷地区。

大正末期に南海鉄道が高野下まで鉄道を開通させると、
高野街道を通る高野山詣に参拝客が増えたのでしょう。

最盛期となる大正時代には16軒もの宿屋があり、かなり賑やかな
宿場だったとか。



左の建物がr118沿いに今も残るかつての宿だそうです。
最盛期にはこのぐらいの宿が軒を連ねていたのでしょう。

山中の宿場としてはかなりの規模だったのでは?



ちなみに地区内のr118は0.8車線ぐらいの狭路でした。

神谷地区の外れまで行き、ここから狭路で紀伊神谷駅に下ります。
これが山中を行く狭路坂道。

この間は文章にせずに動画にしました。
(画質が不安定で悪いです。解決できないまま公開です・・・)



・・・ということで、紀伊神谷駅に到着。



駅ですが周囲には人家はおろか自販機すらありません。
周囲は鬱蒼とした木々に囲まれており、駅舎の雰囲気も相まって
感じの良い山中のローカル駅となっております。(・∀・)イイ!!



道路から見た駅舎。



紀伊神谷駅の駅コンコース。
こんな山中にありながら有人駅であり、ご覧の通り自動改札機が
設置されています。

かつては高野山への玄関口であり、電車が着くと高野詣の参拝
客が改札口を出、神谷地区に向かって先ほどの狭路坂道を歩いて
行ったのでしょう。

コンコース内も賑やかだったに違いありません。

紀伊神谷駅が開業したのは昭和3年(1928年)のこと。
駅舎は当時のままとのことなので築90年ほどということになります。

しかし高野山への玄関口であれば、もっと大きく立派な駅舎になる
はずなのですが、ご覧の通りめちゃ質素な駅舎です。

というのも、高野山への玄関口は極楽橋駅となることが決まって
いたようで、開業時は暫定的な終点であり玄関口だったのです。



大正14年(1925年)7月に南海鉄道が高野下まで延伸してきた
後、南海鉄道の子会社であった高野山電気鉄道が、
昭和3年(1928年)6月、高野山電気鉄道が高野下~神谷
(現:紀伊神谷)間を開通させます。

そして昭和4年(1929年)2月には早くも神谷~極楽橋間が開通。
神谷駅は中間駅となってしまい、参拝客で賑わったのは1年弱の
短い間でした。

ちなみに極楽橋~高野山間のケーブルカーが開通し、
途中高野下駅で乗り換える手間があるとはいえ、高野山まで
鉄道で移動できるようになるのは昭和5年(1930年)6月のこと。
さらに直通運転が開始され乗り換えが解消するのは昭和7年
(1932年)でした。

駅探索に戻ります。

駅構内に入りホームに向かいます。



跨線橋などありません。
階段を上って構内踏切を渡ってホームに上がります。



ホームは島式一面2線。
極楽橋駅→高野下駅方向で撮影しているので、
写真向かって右側が下り(極楽橋駅)方面、左側が上り(高野下駅)
方面となります。



ホームの先端、極楽橋駅を見るとすぐにトンネルになっており・・・



カタンカタンと音が響いてきて、こんな感じで出て来ます。



橋本行き各停です。
極楽橋駅で撮影した列車の折り返しですね。

ちなみに各駅停車は高野線では”各停”、本線では”普通”と
案内しています。



ほどなくして出発。
駅長さんが見送りました。

この後、駅長さんと雑談。

山中の駅ですが利用客はいるとのこと。
さきほどの神谷地区と細川地区の方々が利用するそうです。
ここから橋本や難波まで通勤で利用している方もいるとか。

ちなみに南海電鉄全駅100駅の中で、紀伊神谷駅の
乗降人員ランキングは100位だそうです・・・。

細川地区って、紀伊細川駅があるんですけどね。
なんでだろ?

その理由は現地に行くとたぶん分かります。

>>つづく

近々再開予定・・・

2019-12-20 00:02:00 | ノンジャンル
放置プレイですみません。

いろいろと忙しく、全く更新できませんでした。m(_ _)m

約3ヶ月ほど本業とは畑違いの件でてんやわんやでした。
もう最後は本職に丸投げです。

件はほぼ終わりましたので、近々、更新再開いたします。

12月中には今年のネタをアップするよう努力いたします・・・。

まずは「南海ローカル駅」の話からやね・・・