気まぐれ日言己2

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松山戦跡巡り(2)

2023-07-23 12:03:07 | 軍事ネタ
石碑を見てからr22を空港方面に移動。
松山市南吉田町に向かい掩体壕群巡りを開始します。

松山の掩体壕群は17年程前の平成18年(2006年)5月に一度見に来ているので、
今回が2回目の訪問ということになります。
(平成18年訪問時のレポ⇒http://amefurashi.sakura.ne.jp/honpo/entai_matuyama.htm)

掩体壕群は現在の松山空港の南東側一帯に建設されたもので、
その数有蓋掩体壕23基、無蓋掩体壕40基というものでした。
他に掩体壕と滑走路を結ぶ誘導路や各施設なども建設されましたが、そのほとんどは終戦後に
取り壊されてしまい姿を消しました。
しかし南吉田地区には、平成18年5月時点で3基が残っていました。
うち1基は個人所有のようでガレージとなっており(掩体壕①と記します。以下同)、1基は倉庫として利用され(掩体壕②)、
残る1基が一部が破壊されていましたがほぼ原型と保ったまま放置されたままでした。(掩体壕③)
注)掩体壕の番号は個人で付けた番号です。

で、今回の訪問に先立ち下調べをしました。
正直、17年も経過すると宅地開発が進んで取り壊されていると思っていました。
とくに掩体壕②については県道(r22)沿いにあることから、同県道が松山外環状道路として整備されるにあたり、
道路の拡幅用地として取り壊されたと思っていたのですが、なんと現存していることが判明。
しかも松山市文化財として保存されているというではないですか。



上の写真は愛媛県庁の『松山外環状道路整備事業』のサイトより拝借。
今年の7月中旬に更新されて掲載された写真ですが、道路の左端に掩体壕②が写っています。
たまたま掩体壕を避けるルートだったのか、掩体壕があるからルートをずらしたのか分かりませんが、
県庁のサイトに堂々と掲載されるている掩体壕を見たのは初めてです。

残る2基も個人所有となっていますが現存していることを確認。
効率よく回るために、掩体壕①→②→③の順で訪れることにしました。

r22を南下。松山空港入口交差点を直進して南吉田町の町中に入ります。
町中をウロウロして掩体壕①のある個人宅の前に到着。
掩体壕を確認しましたが、個人所有なので撮影はしていません。
長時間掩体壕を眺めていると怪しまれるので早々に移動。
少し離れた場所から見てみますが、個人宅裏手の畑は駐車場となってしまい、
場内には勝手に入れないため近づけず後方の状態は不明。
Googleのストリートビューを見る限りはほぼ原型を保っています。

続いて訪れたのが掩体壕②
松山市文化財に指定された掩体壕です。
近年、いろいろな見方があるにせよ、自治体などの文化財に指定される掩体壕が増えてきています。
ここもその一つで、平成30年(2018年)5月に指定されています。

17年前は畑の中にあったのですが、文化財に指定されたこともあり掩体壕周辺は整備されていました。



道路整備で県道が高くなったので、掩体壕に下りるスロープと階段が設けられてます。
昔は道路脇にあったのです。



掩体壕です。
17年前は農業用倉庫として利用されていて、前面を波形スレートで塞いでいたため正面形状が不明でした。
保存にあたり撤去したので前面の形態が分かりました、ご覧の通りキノコ型というか雨傘形をしています。



上縁の写真。
ご覧の通り、縁に沿って鉄筋が残っています。垂れ壁の鉄筋ですかね?
前面は十字型か凸型をしていたかもしれません。
同じ時期に建設された掩体壕③は前面が十字型で上縁から垂れ壁があったのですが、
この壕にはみられないところを見ると、倉庫にする時に垂れ壁を撤去したのか、保存修復時に撤去したのか、
そもそも垂れ壁などなかったのか・・・。
飛び出ている鉄筋が謎ですね。



外観。
道路整備事業で県道が盛り土されて嵩上げされたことで、少し俯瞰することができるようにもなりました。
少し立体的に捉えることができます。
これはうれしい変化。



外観。
後方です。大小の蒲鉾をひっつけたような形をしています。
手前の天井にある出っ張りは排気口ですかね?



内部。
綺麗な状態に修復されています。
ここに零戦や紫電改が翼を休めていたのかも知れません。
ちなみに地元出身の方によると、昔は掩体壕のことを『零戦の家』と教えられていたそうです。



掩体壕内部左側。
説明板は掩体壕に関する説明。



掩体壕内部右側。
建設に関しての説明板があります。
建設するに当たっては殆どが人力で行われたとか。
近くの海岸から大小様々な石を運んできて基礎を造ったとかで、海岸から運んできた石が展示されて
います。



後部壁左側には『四〇一』『極天隊』と書かれています。
『四〇一』とは三四三空所属の戦闘第四〇一飛行隊のことで、『極天隊』は部隊名。

この写真の右側、後部アーチ部左側にも『剣部隊』と書かれています。
2枚上の写真に写っているのがそれ。

『剣部隊』とは第三四三海軍航空隊(二代目)の通称名です。
横須賀で編成された三四三空は、昭和20年2月までに松山基地に集結。
4月に鹿屋基地に移動するまでの活躍は有名です。

なお前述の「松山海軍航空隊」は予科練教育航空隊のことで、実戦部隊である三四三空とは別の部隊となります。
使用していた飛行場も予科練が北側、三四三空が南側と、別れていたそうです。

さて、この『剣部隊』の単独写真ですが、撮影するのを忘れてしまいました・・・ 
説明板読んでいたのに忘れるとは・・・_| ̄|○
また行かねば。

この後、掩体壕③に移動。
17年前は③がほぼ原型のまま放置されていました。
内部は荒れ放題でしたが、見学することができたのです。
その時点で周囲に住宅が建ち並び始めていたので壊されて宅地になっていると
思っていたのですが、なんと残っていました。

しかも住宅として・・・。

掩体壕③については掩体壕そのものを改造して住宅として売りに出されているいう情報を
得ていたのですが、6月末に現地に行くとどなたかが購入されておりました。
なので写真は撮影していません。

掩体壕に住む・・・
そこにシビれる! あこがれるゥ!

ひとまず松山掩体壕の3基については現存を確認しました。
令和の世の中まで残ったのは奇跡だと思います。
松山市文化財となった一基については半永久的に残ることになりそうです。

ただ個人所有の二基については、補修費用が個人負担となるため、いずれは姿を消す可能性があります。
そうなる前に自治体などが動いてくれると良いのですが・・・。



掩体壕②の向かい側はアパートが建っています。
騒いだり、アパートの敷地から撮影したりしないようにしましょう。
スロープを下りて自分の自転車やバイクを掩体壕内部に入れて撮影するなんぞ
もってのほかですからね。

また周辺に駐車場はありません。路駐したりアパートの駐車場に勝手に止めることがないように
訪れる時は周囲の住民の方々に迷惑にならないよう気を付けてください。

(令和5年6月末訪問/7月末記述)

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